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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
9章 悪夢
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心を溶かすおまじない

夕方の作業をほとんど終えて、片付けて後は解散するだけとなった庭。

土の匂いに夜露の匂いが混じり、冷たい風が通り抜ける。

片付けしているリシェの姿が庭の端に見える。月明かりに白い髪が溶けて、影だけが長く伸びていた。


これからする事を思うと少し緊張はする。ため息をひとつ、頭をかいてから、手招きした。


「はぁ。リシェ。こっちきな」


「うん」

素直に立ち上がったリシェが近づいてくるのを見て、胸の奥に何かがゆるむ。


「明後日からテラリウムを預かるだろ。聞いときたいことがある。追っかけるから作業小屋に行っててくれ。あと、ジェス。悪いけど見張り頼む」

リシェを先に小屋へ押し込み、背後に声をかけた。


「誰か来そうなら、合図してくれ。……今から、いかがわしいことするからさ」

半分冗談で小声に吹かした。

 

内心はもっとずっと真面目だ。けど、やること自体は――聖女と兵士がするには、あまりにも距離が近い。逸脱と言われれば否定できない。


それに、ああ言っておけばジェスも空気を読んで近寄らない。


「え、は……はい」

ジェスが顔を赤くして頷くのが目に入った。たいしたことはしないし、吹聴するような奴でもないから、まあ、覗かれてもいい。


「セラン?なにが知りたいの」

リシェは、すでに小屋に安置されたテラリウムを覗きいていた。俺が合流したことに顔をあげた。

その青い目に映るのは不安と戸惑い――俺は胸の奥がざらりと鳴るのを感じた。旅のことを思い出すだけで不安を感じてるんだと分かってしまう。


それなら、真面目にちゃんとしよう。気恥ずかしさを誤魔化すように、腕を回して体をほぐし、気合を入れる。

「よし、やるか」


リシェの背後に寄り――膝を掬うように軽く持ち上げた。

この小屋で寝かせるわけにもいかない。俺の胸に頭を寄せさせるには、横抱きがいちばんいい。


「ちょ、ちょっと!?なに!」


驚いた声と一緒に、軽い体が腕の中へ収まる。


この小屋で寝かせるわけにもいかないし、胸へ引き寄せるなら横抱きが一番早い。抱え込んだ瞬間、ふわりと花と草の匂いが鼻先を掠めて、頭の奥がじんわり痺れた。


……やっぱり落ち着く。


作業台に腰を預け、幼子でもあやすみたいに抱き直す。

 

「よしよし。俺はここにいるぞ」


背中から手を滑らせ、髪を撫で付け、胸に寄せる。

俺の心臓の音を聞かせる。

うなされている夜と同じように。


「俺は生きてるよ。リシェ」

低く優しく囁く。


「このことちゃんと覚えてから行け」

 

リシェがぴたりと抵抗を止め、胸に顔をうずめるのがわかった。察したんだろう。サフィアが何を言ったかも、俺が何を思っているかも。


あの災害から帰った後から、リシェは夜中、泣いて飛び起きては俺が生きてるかを探して確認した。俺が気づかず寝ていれば、ゆすって起きて返事をするまで喚いた。


だから俺は、胸に耳を当てさせた。


鼓動を聞かせた。


生きてるって、音で分かるように。


そうすると、こいつは少しずつ落ち着いていった。悪夢から戻ってきて、安心したみたいに眠る顔を、俺は何度も見てきた。


だから――この動作は、リシェだけじゃなく俺自身も救う。


リシェが腕の中にいる。温度があって、呼吸してる。

それだけで、胸の奥の焦燥が静かになる。


 

「うん……思い出した」

小さな声が胸に落ちる。


「でもちょっと脈が速いかも。遅くしてくれない?」


……無理だ。

抱えているだけで筋肉を使っている。それに何より大好きな女を抱えているんだから、収まるわけがない。

息を吐きながら軽く拳骨を落とす。


「仕方ないだろ。俺のせいじゃねえ」


「でも久しぶりで。安心した。ありがと、セラン」

リシェが瞼を閉じ、俺の心音に心を預ける。

その顔に光が落ちて、唇の端がほんのわずかに上がっているのが見えた。


「ああ」

俺も小さく返事をして、幸せを噛み締めた。


……しばらく静かな時間が流れた。


外ではジェスの足音が微かに動いた。律儀に見張ってくれている。


「ありがとう、もう大丈夫」

その一言に、リシェの目の奥にあった不安げな影はすっと消えていた。

胸の奥がじんわり温かくなる。俺のしてきたことがちゃんと届いた、そう思えるから。


「はいよ」

 

それならいい。


旅立つのが惜しいのは、あいつだけじゃない。触れていると、俺のほうが離したくなくなる。


…… 本当は、いつまでだって抱いていたかった。


だから、勢いをつけるみたいにさっと下ろした。


「はー。重かった」


軽口みたいに吐き捨てる。


本気なわけがない。むしろ軽すぎるくらいだ。



「今はきちんと食べてるからね……そんなに重い?」

思いのほか心外だったらしく、不貞腐れたような声が返ってくる。

その唇の形を見た瞬間、胸の奥がくすぐったくなった。


「はは、嘘嘘。もっと食って太んな」


笑いが込み上げた。

頭に手を置いて宥めるみたいに軽く撫でた。

その髪の感触に、俺の指先が勝手に馴染んでいく。

本当は、もっと肉がついていい。

 抱えたときの重みは俺にとって“幸せな重さ”だ。そのほうが絶対いい。腰とか胸とか抱きしめたときの柔らかさが増えていくなら、それは、そのほうがいい――なんて考えて、慌てて思考を打ち切る。


危ない。


「あ、最後に。せっかくだから、おまじないもお願い」

 

リシェが微笑みながら瞼を閉じて俺に向き直った。

まるで口付けを強請るような姿勢。

その仕草に一瞬息を止める。


……こいつ。本当に唇を奪ってやろうか。

心の奥ではそう呟きながら、喉の奥で笑う。


リシェが言ってるのは、母が良くしてくれていた、寝る前の決まり事だ。

寝る前に、両瞼に一つずつ、悪いものが入り込まないようにと口付けを落とす、安眠のまじない。


兄どころか親扱いかよ。納得いかない。


だけどせっかく前向きになれたところに水を差すのは気が引けた。


帰ってきたら覚えておけよ。


「はぁ……動くなよ」

 

そっと瞼へ唇を落とす。二度。

悪夢じゃなく、俺に恋する夢を見ろ。


「……うん。ありがとう。満足」


「ん」


本当なら、このあと頬へお返しの口付けをする。

それが寝る前の流れだった。

小さい頃は何にも考えてなかったが、今ではリシェから自分へ返ってくる親愛の行動。


ひとときの期待で胸がときめく。しばらくはその余韻だけで楽しめる――そう思っていたのに。


「じゃあ、もう出ようか。ジェス待たせてるだろうし」


こいつ、自分だけ満足して終わる気だ。


……は?


期待が綺麗に空振った。


「おい……お礼はないのかよ」


俺は自分の頬を指した。


「え。あれはお礼じゃなくて、おやすみの挨拶でしょ?」


「は?お礼だろ。何でもしてもらえて当然じゃないだろ」


「まあ。いいけど」


いや、寝なくてもしてほしい。俺の胸に残っているこの熱を、どうにかしてほしい。


大袈裟に腕を広げると、リシェが戻ってくる。

 

不満だから、終わった後で抱きしめてくすぐり回してやろうか――そんな悪戯心がよぎる。


リシェが返してくれそうなので、とりあえず目を閉じる。

頬に意識を集中して、堪能するために。


「あ」


その声と一緒に落ちてきた感触は――頬じゃなかった。柔らかい感触が、唇の真ん中へ触れる。


ほんの軽く。


ちゅ、と。


唇と唇が合わさる。


「!」


は!? え?


「ごめん、ずれちゃった。けど、別にいいよね。じゃあ、出よう」


いや、待て。よくない。いいけど、いや。いいんだ。

だけど確認……何でもいい。もう一回してくれ。


そう言いたかったけど、判断が遅れ、リシェはもういなかった。

先に外へ出てしまう。


「ごめん、ジェスお待たせ。ありがとうね」

 

「いえ……大丈夫ですよ」

戸外でリシェとジェスの会話が聞こえる。

俺は追い縋れない。


……はぁ。

どうしてこんなに翻弄するんだ。


胸の奥がぎゅっと掴まれるように熱い。多分、顔は真っ赤になっているし、動悸がすごい。


「……セランさん?」

気遣わしげなジェスの声がかすかに届く。


「あ、後から行く。先に帰ってくれていいから」

なんとかそれだけ返した。

声が自分のものじゃないみたいにかすれていた。

世界観としては

挨拶としての「触れない頬へのキス」と、親しい人とする「触れる頬へのキス」2種類があります。

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