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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
9章 悪夢
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始まりは引く潮の静けさ

※引き続き津波災害描写があります※

リシェの予定は、俺にも知らされている。庭の主人が来ない時に、するべき作業の代行者として知っておくべきだから。だから一週ほど城を不在にすることも、その間遠く離れて守れない事もわかっている。

でもそれは仕方ない事で、別に永遠の別れでもない。いっそ訓練所に詰めてた時の方が、入隊できるかどうかで焦っていた。


だからまあ、俺の方はあまり気にはしてなかった。

サフィアに声をかけられるまでは。


今朝、サフィアに呼び止められたときのことが頭に浮かぶ。

 

「リシェリアちゃん、今度の外遊にご不安があるようで……最近、またうなされているんです。何か、安心させるように励ましてもらえませんか」


サフィア自身も寝不足そうな顔で――そう言われた。


リシェの悪夢。

もちろん心当たりはある。廃墟小屋や洞穴で肩を寄せ合って共に寝ていた頃は、俺が宥めて寝かしつけてやってたんだから。

でもそんな生活から、一緒に寝るようなことはしなくなってから二年は経つ。

流石に今は乗り切っていると思っていた。


そうじゃなかった。今でもただ、ひたすら一人で耐えていると聞いたら、居ても立っても居られなかった。


……あいつの悪夢の真ん中には、いつも俺がいるんだと知っているから。


***


小さいころ。

リシェが拾われてうちに来て、弟のソーマと一緒に、俺の後をくっついて回るのが、誇らしくて俺は両手で繋いで引っ張っていった。あの頃は弟妹を守らなきゃって胸を張っていた。


「私だけ色が違うのは、捨てられた子だからなんだって」とリシェが泣いて帰ってきた時は驚いたし、俺も焦った。青い目から、透明な涙がぽろぽろと落ちていった。その顔を見ているのが辛くて、いつの間にか叫んでいた。

 

「リシェは俺と結婚するから!」

リシェは大人になったら俺と結婚するために、うちに来てくれた。そんな考えが、言葉で発した瞬間には俺の中に馴染んでいた。隣で同じように心配していたソーマが「俺が結婚するんだ!」って怒鳴り返してきて取っ組み合いの喧嘩になったけど。


リシェはその時、涙の跡を残したまま「ふたりともする!」って笑ってくれた。

だから、自然に信じていた。

大人になったら、リシェは俺かソーマと結婚するんだって。そういうふうに、未来は決まってるんだって。


でもそうはいかなかった。

リシェには異能があることがわかったからだ。


森で転んで膝をすりむいたとき。罠に手を引っかけて血がにじんだとき。リシェが小さな手でそこをそっと撫でてくれると、不思議と痛みが薄れていった。最初はおまじないだとおもっていた。でもいつしか、ほんとうに傷そのものが消えるようになった。


父さんに見せれば褒められた。

「百人かにひとりくらいしか持たないっていう珍しい力だ。村じゃ医者のじいさんがちょっとだけ使えるだけだ。……弟子にしてもらえるかもしれないな!」


医者のじいさんに話すと、「もう少し大きくなったら弟子にする」と言ってくれた。けれど、同時にこう釘をさされた。

「この力は見せびらかすな。悪いやつに攫われるぞ」


絶対に秘密にすると誓った。でも誰か村の子どもが、リシェが癒すのを見ていたんだろう。秘密は漏れていた。大人もかなりの人間は気づいていたらしい。


ある年、天気のせいで塩が途轍もなく値上がりした。保存食も調味もできなくて、村はすぐに困窮した。冬を越せない、と皆が焦った。


そんな折、取引のある町の金持ちがなぜかリシェのことを知っていた。

「一年分の塩の値と引き換えに、その子を譲れ」

顔もよくて、癒しの力を持っている。育てれば金になる――そう言った。


俺たちの家族はもちろん反対した。

父も母も声を荒げて「よその金に娘を売れるか!」と怒った。


村の人々は、元々リシェを「よそ者」と思っていた節があった。塩が尽きて苦しみが募るうちに、反対の声は小さくなり、次第に賛成の声が大きくなっていった。村長すら「どうか」と何度と何度も頼みに来た。リシェはその姿を見て、震えていた。


狩りに行かない日が増えた。金もないから食べるものが減る。両親が食事を抜くのを見るようになった。

そしてある朝、泣き腫らした顔で両親とリシェが「行くことになった」と言った。


青い目に涙をいっぱいにためて、それでも笑おうとして。その姿を焼きつけたまま、俺はただ拳を握るしかできなかった。


そして――リシェは町の女の子になった。


最初の頃は、別れの痛みで胸が締め付けられた。けど、少しずつそれも和らいで、怒りも少し収まった。また会うことができるようになったから。


売られた先は、行商で必ず通る近くのサリーナという港町だった。うちの村では週に一度は行商に行く。手伝いができる年になってすぐに市場の角でこっそり会うことができた。


再会したリシェは上等な服、髪も肌もつやつやしていた。立ち方も歩き方も、もう村の子供じゃなくて、町のお嬢様になっていた。

俺はいつか金を貯めて、リシェを返してもらうんだと覚悟を決めた。


リシェを売った金で、村は助かっていた。危機は去りなんとか年を越した。村長はうちに気をつかうようになっていたし、村全体の空気は緩んでいた。きっとこれからは良くなる。そんな雰囲気で。


けれど町側の海は、その次の年も荒れ模様で、天候は悪かった。塩はまた足りなくなり、周りはどんどんきな臭くなっていった。


それと、リシェの異能は、村にいた頃よりも確かに強まっていた。

手のひらで触れるだけで治せる怪我の数は増え、しかも深手までも癒せるようになっていた。さらに、少し離れた場所で誰かが怪我したことを言い当てたり、天気や釣果を予想したり。俺たちからすれば不思議でたまらないことが、リシェには自然にできるようになっていた。


街の養父母は、それを定期的に使わせて日々の小銭を稼いでいた。市の片隅に座らされて、人々に手を触れては安堵させ、病を軽くし、当たりを告げる。リシェは嫌そうにしていたけれど、それでも笑顔を作っていた。


そんなある日。

リシェが俺と父に真剣な顔で言った。


「少ししたら、ここに怖いことが起きる」


声は震えていなかった。けれど、その青い目には底の見えない不安が広がっていた。

天気が悪いのはその前触れだ、と。


リシェの予感は外したことがない。

矢を放てば当たるかどうか、獲物が多いか少ない……彼女が口にすれば必ずそうなった。だから今回も信じるしかなかった。


「その日は、海の近くにいちゃだめ。森も安全じゃない。私もお家の人に言って町から離れてもらうから、二人も絶対にこっちにきちゃだめ」

そう告げるリシェの声が、やけに小さく胸に響いた。


俺と父は村に戻り、村のみんなに伝えた。

同時にリシェも養父母にも訴えたはずだった。それなのに次の行商の日にはリシェは広場にもう来なかった。


「村の野良犬風情が!うちに二度と関わるな」


家を覗きに行くとそう怒鳴りつけられ、叩き出された。俺はリシェに近づくことすら禁じられ、どうにもできなかった。


その間に、天気は信じられないほど好転していった。

青空が続き、風は穏やかで、陽の光は豊かに注いだ。


村人たちは「これを逃せば冬に飢える」と言い、猟や採集に精を出した。俺は森も出ない方がいいと言ったけど、もう村を離れたリシェの言葉を、信じる者はほとんどいなかった。

町には浜辺に見たこともない大きな魚が打ち上げられたらしい。大鯨とか呼ぶらしい。死骸は動かせないほど巨大だと、町からきた旅人がそいつの不思議な皮を見せながら語っていた。


そして――その日が来た。


その日も天気は静かで不思議に良かった。

午後になると、地面が不気味に長く揺れた。家々の戸が鳴り、器が落ちたが、そこまで強くはなかった。


「なんだ、これだけか」

外に出て、皆が胸をなで下ろしていた。

 

「大地の機嫌が悪いな」「確かに森で転落してるやつはいるかもな。様子をみにいくか」


確かにリシェの予言は当たった。だが被害は大したことがない、と安堵して笑う声があちこちで上がっていた。


その夕方だった。

街道の先から駆けてくる商人が叫んだ。


「大変だ!町――サリーナが……ながされた!」


海沿いの町。リシェが売られて暮らしていたあの町。

大波に呑まれて、消えたと聞かされた。

養父母はリシェリアにある程度教育を仕込み終えたら更にどこかの貴族に売るつもりでした。

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