第四章 保護
場所は戻って、GCR1課本部ビル。国王によるお小言と祝勝会もどきを終えて手洗いとか入浴とかを行い、各々の部屋で過ごす。かくいう自らも机上に置かれた資料を集めては棚に放り込んでいた。先の宣言どおり、明日はGCR1課の全員を休みにさせよう。疲れきった頭は、答えを出しようがない疑問をとめどなく浮かび上がらせてくる。何故こんなに食人が増えているのだろうか。長くここで働いているが、これほどまで増えたのは経験上初めてで。過去に一度だけ食人の大増殖があったようだが、短い期間で殲滅したと過去の文献には書いてある。
一世紀以上前、天上の存在が何かしらの要因で怒り狂い、食人を指揮して、無数の罪なき人々を殺戮した。その事件を経て、今のここが設立されたのだ。俺がGCR1課に入隊してから耳にタコが出来るほど聞いた話が今一度脳内で流れる。
(それはそう。だけどさ…増えすぎなんだよ。限度ってもんがあるの知らないのか本当に……!)
いつからこんなに増えたのだろう。錆びついて回らない歯車みたいな動きになった頭を無理に動かし、記憶を辿る。まだ睦希がいない時だったはずだ、あの子がこの課に来たのは5年近く前だから。そうなると、8年ほど前から増えていたはず。その間に何か起きたのだろう、だからこんなに多いのかもしれない。
「あー…もうこれ以上考えるのはやめよう。起きてから考える……」
耐えられない疲れと眠気に負けて、棚から離れて布団に潜り込む。枕に頭を預けた瞬間に、呼吸音を残して意識が眠りの海に潜った。
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頭を枕から起こす、気づけば既に朝日が煌々と部屋を照らしていた。単調な鳥の囀りと頬を照らす日差しが、未だ微睡む脳を覚醒させていく。朝が来た、そう自覚した瞬間に、喉の渇きが思考を支配する。時計を見ると、午前6時だった。
(うわ、昨日寝る前に水飲んでねぇ…水飲もう、うがいしてからだけどさ……)
台所に向かうため、自室を出て宿舎の廊下を歩く。初夏にしては珍しく異様に肌寒い日だ。宿舎に隣接した庭を見れば、冷気をまとった風が、どこか萎びた葉に吹き付けている。
台所に行けば、2人も先客がいた。
「おや、和樹。おはようございます」
「あら、和樹!おはよう」
「お、フィンに蒼生。おはよう、疲れ取れたか?」
「肉体的なのは取れておりますが、精神的にはまだ…流石に昨日の国王にはほとほと呆れましたよ」
「あまり抜けてないわね……昨日、気を使いすぎた」
「そうだよなぁ…ま、昨日言ったとおり今日は全員非番だから何も考えず休め」
「ふふ、ありがとうございます」
「ありがとう」
2人の物腰は柔らかくも気品がある。何をしているのか問えば、朝に飲む茶を全員分作っていたと返答が来た。流石に2人だけで作らせるのは申し訳ないため、共に煮出し始めた。
「にしても…今日は寒いですね。昨日はおかしな花弁が空を舞っているのを見かけましたし…」
「ほんとにな。この時期にしては珍しい。…え?どんな花弁だ?」
「おかしな花弁?どんな花弁なの?」
「凄く薄い青色の花弁だったんですよ。見た目は桜に見えるのですが、桜の匂いじゃなくて…何だったんでしょう?」
「なんだその花!?桜に見えて桜じゃないのかよ…東国に何が起きてんだ」
「桜の匂いじゃない桜の花……!?確かにおかしな花弁ね。何かしら……?」
「さぁ……?」
話は世間話から見たことの無い花の話に移り変わっていた。それはそれで気にかかるが、今日は非番だから2人とも考えないように努める。
暫し時が流れ、午前7時。軽やかな足音がして、他の者たちが起床してきた。非番の日は全員長めに睡眠を取っているからこの時間になっても何らおかしくはない。挨拶を交わし、ゆるゆると朝礼に入る。イリヤと玲音から鍛錬のために年雪山に登山すると報告を受け、全員快諾した。彼らの異能力は範囲も威力も高い、だからこそ鍛錬場で行うよりは年雪山のように広い場所の方が、異能力を使用した時の勢いや弱点が理解しやすいからだ。朝食を全員で取り、2人を見送った。
2人が出かけた後、花弁の話を共有して、気が向いた全員で調べ始めた。蒼生以外はその花を見たことがないとの話だった。本部ビルの離れにある資料館に足を運び、花に関する本を読み漁る。一冊、また一冊と手に取り開いては文章を隅々まで読んでいった。しかし、それに関する資料はどこにも載っていなくて。流石に諦めて資料館から部屋に戻る。時刻はまだ午前11時で、昼食には早すぎる。
ふと、フィンレーが声を上げた。
「異能1課なら情報何か握ってそうと思ったのだけど、どう思う?」
「うわフィン天才!確かにあそこって異能力に関する知識凄いもんな。聞いてみようぜ!」
「いいな。異能1課訪ねるか。多分、彼奴ら今日非番だったはずだしな」
流石はGCR1課の頭脳。俺が考えもしなかったことを思いついていた。昼食は食堂で摂るから、その時にアポイントメントを取ろうということになり、今は各々自室で休憩することにした。
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昼食時、異能1課の課長に許可を貰い、大ホールを借りて異能1課の者たちと情報交換を始めた。
「とはいえ、俺らもその花を見たことなくてですね……実物あれば分かるかもしれないんですが」
「ですよね……私も幻覚かと思って拾いもしなかったので」
なかなか情報は出ない。蒼生が見た花は幻だったのではないか、そんな雰囲気になっていた時、それは起きた。
「宏志ー!なんか変なの拾った!」
「おうおかえり。は?…ちょ、待て、これって!」
「おかえりなさいませ。……和樹!私が見たのこれです!この花弁です!」
大ホールに駆け込んできたのは、異能1課戦闘班の者で。その手には、パウチに入った大量の花弁が握られていた。その花弁は、確かに極々薄い青色をしている。見た目は非常に綺麗で見惚れてしまうが、宏志の顔を見れば、その顔は青ざめていた。
「創!ひとつ聞くぞ?お前これ素手で触ってねぇだろうな!?」
「まさか!パウチ越しに拾いましたよ?がさーって!」
「ならいいけど、早めに手ぇ洗ってこい。その花、場合によっちゃ危ないから」
「へっ!?承知しました、今すぐ行ってきます」
「宏志殿。危ないって…どういうことですか?」
宏志の口から語られたのは、この花弁は青雪桜の花弁であること。そして、青雪桜は使用者が敵意を向けた者の寿命を削る効果があるということ。また、望んだものに傷を付けることで、そこから青雪を染み込ませて弱体化させる力があるということだった。使用者の味方になれば痛み止めの効果があるようだが、敵になれば弱体化ばかりでなく、衰弱死の危険がある、と。
簡単にいってしまえば、劇薬だ。恐ろしいものを拾ってしまった、見てしまったのだ。確かに、この国には禁足地と呼ばれている島があり、そこに似たような花が咲いているのは知っていた。しかし、基本その島には誰も近寄らないから見たことがなかったのだ。
「和樹。私…とんでもないもの見たんですね……」
「みたいだな。……お前が無事で良かったよ蒼生。ということは、禁足地に何か変化があったってことか?皆はどう思う?」
「だよなぁ…行かない方が良さそうではあるけど。あの島見た瞬間に、俺の目がなんか異様なの見つけたから慌てて逸らした記憶がある」
「悠哉の目が映したってことは、とんでもないのいるってことじゃねぇか!怖いって!……食人よりゃマシか?」
予想以上に会話が弾み、気付けば夕暮れ時になっていた。夕食も近いから各々解散し、GCR1課全員で自分たちのフロアに戻る。廊下を歩いている最中に、フィンレーの携帯が震えた。
「もしもし?イリヤ。私よ、どうしたの?…え、なんですって!?ペンダント付けた赤ちゃんぬこが捨てられてた!?……聞く限りそのぬこちゃんもう危ないわね。ぬこ総合病院に連絡した方がいいわ、あそこならタブ受け入れると思うの。落ち着いたら連絡、もしくは帰ってきてから色々教えてちょうだいね」
話し込んだ後、通話は切れた。フィンレーの顔には、困惑と混乱が浮かんでいた。
「フィン、なんかあったのか?」
「イリヤと玲音が、年雪山の頂上で瀕死の赤ちゃんぬこ拾ったみたい。その関係で、病院連れていくから帰るの遅くなるって連絡よ」
「あぁ、了解。……ん?赤ちゃんぬこぉ!?」
「赤ちゃん!?こんな戦闘だらけのとこが保護は出来ねぇぞ!?」
この赤ちゃんぬこの影響で、俺たちの運命と結末が大きく変わったことを、今の俺たちは知る由もなかった。
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結局、俺たちはその赤ちゃんぬこを…いや、本来の種族は神工物である幼子を受け入れた。最初こそ反対をした。いつかは神と戦闘を繰り広げるであろう俺たちが、神のスパイを受け入れるなど想像しただけで恐怖だったから。しかし、入院する幼子と触れ合ったりイリヤをはじめとした受け入れ賛成派の子たちに説得されたりするうち、幼子を受け入れてもいいと思えた。
時は飛び、クリスマスの日。退院した幼子を車の中で腕に抱いた。白くて、温かくて、細くて、柔らかい。身体状態を守るために、喉には穴が空けられ、その穴から酸素を取り入れている子だ。食事はミルクしか飲めず、その量も極々わずかで。言葉も話せない、書けない。彼女が出来るのは、分かりにくいほど緩慢に身体を揺らすだけ。その頻度も非常に少ない。
「目はほぼ見えていないです。左目は完全に潰れていたので見える義眼を移植しています」
この子の主治医の言葉が頭から離れない。しかし、この子に名前をつけて、育てると決めたのは紛れもなく俺たちだ。この子が愛を受けたことがないのなら、俺らが与える。ふいに、この子が動いた。その様子は産まれたての赤子みたいで。……いや、この子は赤子なのかもしれない。そう思えるほどに愛おしい。
「おろ、どうした?なんか嫌か?」
「……」
返事はない。それでもこの子を見守る未来があるのなら、この子が生きる未来があるのなら、俺らは全力でこの子を護ろう。この子の可愛さに全員が癒されている。任務完了までのスピードは早くなり、怪我の頻度は減っている。この子がいるからなんとか大丈夫そうだ。
「ずぅっと大好きだよ。これからもここにいてな、かわい子ちゃん」
声を掛ければ、返事するかのようにこの子が動いた。