第6話 後編 気分爽快☆もう世界なんて滅んじゃえ
ここら辺で第一部完! といった所です。
果たして第二部はあるのか!? 作者は章分けのやり方を理解できるのか!?
もろに新展開を予想させてそのままラスト、というのも大好きです。
「ダークサイダーの使う魔法は、幻術に分類されるペコ」
「幻術?」
ボクの言葉に、キョーコが疑問の声を上げた。
ダークサイダーに属する謎の黒衣の男が消えた後。
ボク達はその場に座り込んで、異空間に消されたハルカちゃん救出のための緊急ミーティングを開いていた。
キョーコと保志君が神妙な顔付きでボクの説明に耳を傾けている。
そう言えばキョーコに魔法の事を詳しく話すのは初めてだったと、改めて気付く。
キョーコは魔法を打撃力としか捉えていないもんなぁ……。
とにもかくにも、ボク以外に魔法を説明できる人はいない。
ボクは決意を新たにしながら、二人に向かって言葉を続けた。
「まずボク達が使う魔法について説明するペコ。ボク達、魔法の世界の住民が使う魔法は、実際に物質を生み出せるペコ。これをダークサイダーの魔法と対比して、物質魔法、あるいはマテリアル魔法と呼ぶペコ」
「お金も出せるの?」
「キョーコは少し黙ってるペコ!」
いきなり話の腰を折るキョーコに、ボクは絶叫した。
状況が状況なので、キョーコも素直に従って口を閉ざす。
馬鹿な話に脱線している場合では無いのだ。
「ボクらの魔法とは違い、ダークサイダーの使う魔法は物質を生み出せないペコ」
公園の砂場に枝で図を描きながらボクは説明した。
二人はふむふむと聞き入っている。
「アイツらの使う魔法は、幻術魔法。人々の感覚や意識を騙す魔法ペコ」
そこまで説明すると、保志くんがハイっと手を挙げた。
「それじゃあ、僕らの感覚が騙されているだけで、ハルカは物理的に消えたわけじゃ無いって事ですか?」
ザッツライト! と言いたい所だったけど、そうも行かない。
あの男のしでかした事はそんな生易しい事では無いのだ。
奴が騙しているのは、ボクらの視界では無い。
奴が本当に騙しているのは――ああああああ、お、恐ろしいペコ!
「並みの幻術魔法ならそれが正解ペコ。……でも、アイツの魔法は違うペコ! ぶっちゃけ凄くヤバイペコ!」
恐怖のあまりテンパりながら説明するボク。
そんなボクに、キョーコがさっぱり理解出来ないと言った顔で聞いてきた。
「どーいう事?」
どういう事か。正直、ボクもその全容を理解しているわけでは無い。
しかし黒衣の男の見せた魔法式から、奴が何をやったのかくらいは推察出来た。
それはあまりに巨大で、異質で……ありえない魔法式の構成。
震える肩を両手で抱きながら、ボクはキョーコに答えた。
「アイツは、あろう事か時空間を騙してるペコ! 簡単そうに言ってたけど魔王クラスのヤバさペコ!」
そう、奴が騙したのはボクらでは無く空間そのもの。
言葉にすれば簡単だけど、実際出来るかと言えばほぼ不可能だろう。
奴は世界へと干渉し、その一部に仮想空間を作り出したのだ。
尋常では無い所業。そう言わざるを得なかった。
魔法の国の扱う物質魔法も、世界への干渉をしていると言う点では同じだ。
しかしそんな事が簡単に出来るわけが無い。
実際、ボクらの魔法は『神様へのお願い』という形式を取っているのだ。
この世界の上位に位置する天に祈願し、物理法則を超えた現象を起こしてもらっている。
しかし奴らダークサイダーの魔法は違う。
奴らは神の奇跡では無く、自力で魔法を展開しているのだ。
だからこの世界の法則を超える現象は導き得ない。
故にの幻術魔法であり、あの男が言っていた通り『弱い魔法』であるのだが……。
生物以外へ幻術魔法は通じるか? と、かつて魔法の国の暇な老人達が検討した事があるという。
「より高位の物質魔法が使えるのに、幻術魔法なんか研究してどうするのか?」と散々叩かれながらも、おジイちゃん達は会議を続けた。
賢者達は半分ボケていたんじゃないかと言われている。
それはさておき、検討の結果一つの答えが出された。
ほぼ実現不可能だろうが一片の可能性がある、という結論。それが導き出されたのだ。
そんな学説を元に、魔法の国で産み出された絵本がある。
「光と闇のファンタジア」。
世界そのものに幻術魔法をかける魔王と、それに挑む魔法の国の勇者の話だ。
世界を騙し、全てを欺く魔王。
あの黒衣の男の使った魔法は、物語の中の恐るべき魔王が使った物と酷似していた。
ぐぬぬ……! 作り話の世界の話だと思ってたのに! 実際に使うとか反則だよ!
「あの男は異空間とは違うって言っていましたけど、何が違うんですか?」
保志くんの質問に対し、ボクはしばし考え込んだ。
さてどう言えば良いだろうか?
ぶっちゃけ、ボクも全部が分かっているわけでは無い。
探り探り言葉を選びながら、ようやくボクは言葉を口にした。
「世界は、多重にあると言われているペコ。保志くんは知ってるペコか?」
「平行世界、とかでしょうか?」
うん、と頷いてからボクは説明を続けた。
「世界は、いくつもの可能性を内包しているペコ。今とは違う世界であった可能性。アイツの魔法はそこを突いたペコ」
「と言いますと?」
「アイツはこの世界を『騙し』、この世界の一部を他の時空間のように振舞わせているペコ。仮想世界の構築と、世界システムの欺瞞――実際に目にするのは初めてだったペコ」
世界は他の世界であったのかもしれない。
他の何かであった可能性を、世界は常に内包している。
それを利用しての世界システムの欺瞞。
物理に干渉出来ないダークサイダーならではの魔法と言えるが、ただの幻覚とは規模が桁違いだった。
「言ってる意味が分かんないよー、ペコ丸」
「ボクだって良く分かんないペコ! あんな変態な時空間魔法を実際にやるなんて反則ペコ!」
ボクは涙を流しながらキョーコに反論した。
クソッ、なんだよアレ!? あんなの無しだよっ!
ヤケクソになるボクを宥めながら、保志くんが真摯な瞳で尋ねてきた。
「結局、ハルカは一体どこに居るんでしょうか?」
「アイツの魔法は、この世界と異なる次元に干渉しているわけでは無いペコ。ただし、仮想展開された空間に閉じ込められているから、大差無いペコ」
ボクの説明に、保志くんは少し顔を伏せた。
しかしすぐに決意に満ちた顔でボクを見つめた。
「ハルカを直ぐに助け出せるっていうのは、本当でしょうか?」
「……本当だと思うペコ。幻術魔法は、基本的に『弱い』魔法ペコ。実体が無い分、効果が曖昧で不確かペコ」
奴から渡された空間座標を確認する。
その座標が示す先の空間を見つめた。
何の変哲も無い、公園の中空。
しかし――目を凝らせば、魔法による揺らめきが残留していた。
確かに、渡された空間座標は本物だった。
こんな特殊な痕跡が残る魔法が、二つも三つも存在するとは思えない。
そこに展開されている幻術魔法を破れば、仮想空間からハルカちゃんは解放されるだろう。
しかし座標だけでは足りない。足りないのだ。
奴の示した条件がただ一つあった。
ハルカちゃんを想う強い気持ち。
奴の言った通り、幻術魔法を破るには、確かに人の意思を持って臨むしかない。
ボクは真剣な表情を作ると、二人を真っ直ぐに見つめながら説明した。
「アイツの言った通り、幻術魔法は人の意思の力に弱いペコ。幻術よりも、世界を構成する要素の方が強いと言った方が正しいペコが。人も世界を構成する要素の一つペコ。人の意思の力で、幻術魔法を破る事が出来るペコ」
安堵が広がりかける二人に、ボクは深刻な表情で言った。
「ただ……アイツの使った魔法を打ち破るとなると、生半可な意思の力じゃ無理ペコ」
「ユメを超えるほどの何ちゃらって言ってたけど……」
曖昧に思い出しながらキョーコが語る。
そんなキョーコの言葉を、ボクは素早く補足した。
「ダークサイダーが言う『ユメ』は、欲望の事なんだペコ」
「欲望?」
疑問符を顔に浮かべるキョーコ。
そんなキョーコに、ボクは改めて説明を始めた。
「奴らは、夢が持てないペコ。欲望のままに行動する。それがダークサイダーなんだペコ」
「そう言えば、ダークサイダーっていっつもクネクネ動いてたよね。あれも欲望のまま動いている姿なの?」
「ザッツライ! あの亡者達は、失った夢を追い求め、当ても無く彷徨っているんだペコ」
ダークサイダー。それは、失った夢を追い求める影である。
強い喪失感だけを胸に抱え、奴らは蠢いている。
何を失ったのかさえ分からぬまま……。
ダークサイダー達は泣き喚きながら、己が身から欠落した大切な何かを探している。
「キョーコが普段しばいている黒い影は、ダークシャドーと呼ばれているペコ。失った夢を追い求め、もがき続ける亡者。それに対し、上位の存在がいるペコ。魔法の国ではそいつらを名前無き影と呼んでいるペコ」
「上位? あのウネウネって進化するの?」
「それは実はよく分かって無いペコ。名前無き影と呼ばれる上位存在は、確認された数が本当に少ないペコ」
一通り説明を終えたボク。
保志君が堰を切ったように真剣な表情で言った。
「ペコ丸さん。欲望を超えるほどの強い想いとは何でしょうか?」
真摯な瞳をボクに向ける保志君。
そんな保志君に、ボクもまた瞳に熱いものを燃やしながら語る。
「欲望を超えた穢れ無き夢。相手の幸せを願う純粋な心。つまりは……愛! 愛情と呼ばれる、美しく穢れ無き強い気持ちペコ!」
「ねえねえペコ丸、公園のど真ん中でそんな事言ってて恥ずかしくないの?」
「愛は恥ずかしい事じゃ無いペコ! そうだよね、保志君!?」
保志君はそっと視線を逸らしていた。
ペコ丸さんの言葉を聞いたキョーコさんは、難しい顔をしながら言った。
「う~ん、愛かぁ。私には無理っぽいなぁ」
「キョーコ!? 諦めが早過ぎるペコ!!」
「いやだってさあ。正直、ハルカちゃんの顔も良く覚えて無いし」
「……あ、ああ。そういう話ペコか」
「んん? ペコ丸、どういう話だと思ったのかなぁ?」
ペコ丸さんにズズイと詰め寄るキョーコさん。
追い詰められたペコ丸さんが、救いを求めるように僕を見た。
「保志くん……」
プルプルと震えながら僕に助けを請うペコ丸さん。
その潤んだ瞳を見つめ返しながら、僕は助け舟を出した。
「まあまあ、キョーコさん。とにかく今は、ハルカを救うのが先決だと思うんです」
焦燥を押し隠しながら言う僕に、キョーコさんも真剣な表情を取り戻す。
「でもさあ、具体的にどうすれば良いの? ペコ丸?」
「だから、愛ペコ! 愛が全てを救うペコ!」
「愛……愛ねえ……」
ぶつぶつと呟きながら、キョーコさんはその手に持つステッキを高く掲げ上げた。
「キョーコ!? なんでステッキを振りかぶってるペコ!?」
「愛を超える想いを、この一撃に乗せて……!」
「物理魔法ってそういうんじゃないペコよ!? 止めるペコ! 魔法力が変に干渉して、仮想空間に居るハルカちゃんがどうにかなる可能性があるペコ!」
「むむむ……! 無念……!」
ガックリと地面に膝を着くキョーコさん。
超えられないハードルを前にして、ステッキを力無く手放している。
敗北した甲子園球児のように肩を落とすキョーコさん。
そんなキョーコさんに対し、ペコ丸さんが捲し立てるように言った。
「腕力じゃなくて純粋な感情を込めるペコ! 人は無意識に魔法を使っているペコ。その力が世界を今の姿に保っているペコ」
物理学で解決を図るキョーコさんを諭すように、ペコ丸さんは魔法の解説を続けた。
「奴の作り上げた仮想空間は、ハルカちゃんをこの世界から奪っているペコ。この世界とハルカちゃんとの絆を――ハルカちゃんの存在を願う純粋な気持ちがあれば、奴の魔法は破れるペコ」
「それは、例えば友情ですか?」
問いかけた僕に、ペコ丸さんは妙に真剣な表情で言った。
「愛ペコ! 自分の欲望を超えた感情、それは愛と呼ぶべき物ペコ!」
ペコ丸さんが僕に視線を向ける。
期待を込めた瞳で見つめられ、我知らず体が震えた。
ハルカの存在を願う強い気持ち。愛と呼ぶべき感情。それが僕にあるのだろうか?
あの男の言葉が脳裏に甦る。
『あの女を本当に必要とするなら、貴様達は容易く辿り着けるだろう』
僕はハルカの事を、それほどまでに想っているだろうか?
純粋に、己の欲望を超えた感情を。
果たして僕は持っているのだろうか?
試されているのは僕の本心だ。それがたまらなく怖かった。
もしもアイツの魔法が打ち破れなかったら?
やはり僕は己の罪悪感を消すためだけに、彼女の存在を利用していたという事になるだろう。
逆に、アイツの魔法を打ち破れてしまったら?
ちらりとキョーコさんの姿を見た。
初めてキョーコさんに出逢った時。
僕はやはり、幻影を追いかけていたのだろう。
死んだ妹の残したノート。
その最後の一ページに描かれていた魔法少女は、僕にとって優しさの象徴だった。
キョーコさんを通して、僕は本当の優しさを知りたかった。
偽物の優しさ。偽善。今まで誰も愛した事の無い、僕。
本当の優しさを知りたかった。優しい人間になりたかった。
そんな僕の目の前に立つキョーコさんは、本当の意味で優しい女性だった。
ペコ丸さんは否定するだろう。キョーコは優しく無いペコ! って。
しかしそれは違う。僕はキョーコさんを眩しく見た。
キョーコさんは、甘やかさないのだ。
誰にでも手を差し伸べるわけでは無い。
自ら立ち上がり、困難と対峙しようとする人だけに。
優しく微笑みながら、一緒に歩こうと手を差し出すのだ。
誰もかもを救おうとするのは、本当の優しさじゃない。
他人から良く見られたいという欲望だ。
その事を、僕は誰よりも痛感していた。
かつてハルカに手を差し伸べた僕。その感情は――決して優しさでは無かった。
本当に救いたかったのは、自分自身だった。
お前は良い奴だよと誰かから保証されたかったのだ。
妹を見殺しにした過去を、無かった事にして。
ハルカを救うことで、自分の罪を何かで埋めようともがいていた。
「キョーコさん、僕の話を聞いてもらっても良いでしょうか?」
「何? 保志くん」
きょとんとした顔で僕を見返すキョーコさん。
そんなキョーコさんに、僕は笑いかけようとした。
強張る僕の顔は、笑顔を作れているだろうか?
どうでもいい見栄を気にしながら、震える口で言葉を紡いだ。
「僕は、人を愛する事が出来なかったんです」
かつて病気の妹を気にも留めなかった事。
その妹が、僕だけを待っていた事。
一人ぼっちで死んでいった事。
取りとめも無く語る僕の話を、キョーコさんはただ黙って聞いてくれている。
「前に、僕はハルカの力になりました。でもそれはきっと……誰か褒められたかっただけなんです。お前は優しい人間だと、誰かから保証されたかった――」
きっと本当は、優しさなんて無くて。
優しい自分という形。見得。外観。
それを作ろうと、醜く足掻いていただけだ。
そんな僕にとって、白石ハルカの存在は渡りに船だった。
誰からも見られない少女。
誰でも良かった。妹と同じ状況で苦しむ人なら、誰でも。
そんな誰かを助ける自分を――妹を助け、自分の罪を無かった事にする事を。
心の何処かでいつも夢想していた。
懺悔するかのように僕は言った。
実際、それは懺悔だったのかもしれない。
僕は罰されたかった。本当の優しさを知る人間に――キョーコさんに。
とりとめの無い僕の話しを聞き終ると、キョーコさんはふっと笑顔を浮かべた。
そしてあっけらかんとした調子で言った。
「いいじゃん、別に」
「え?」
「きっと、それが君の優しさの形なんだよ」
「違うんです、キョーコさん、」
言い募ろうとした僕を視線で止めると、キョーコさんはふっと空を見上げた。
釣られて僕も見上げる。夕暮れの空は、徐々に深い色を増しつつあった。
「知ってる? 地上から見る星は歪んで見えるんだよ? 今は見えないけどね」
空に吸い込まれるように、キョーコさんの言葉が大気を流れる。
視線をキョーコさんに戻す。キョーコさんは、まだ空を見上げていた。
見つめる僕の前でゆっくりと視線を下ろすと、そのまま言葉を続けた。
「大気とか、空を循環する雨とか……色んな物が星の姿を屈折させてるんだって。だからきっと、今見上げる宇宙も揺らいでて、」
そう呟くキョーコさんは、普段見せる天真爛漫さとは無縁だった。
幾重にも重ねた青色のような瞳で僕を見る。
地平に輝く落日の太陽を背景にして。キョーコさんは緩やかに唇を開いた。
「色んな物に歪められてさ。何億年もかけなきゃ地球に届かなくてさ……。私達は一生、本当の宇宙の姿を見られないのかもしれない。それは寂しいけどね? 星はきっとそこにあって、今も輝いているから……。あれ? 私、何言ってるんだろうね?」
少し苦笑しながら。キョーコさんは真っ直ぐに僕を見た。
深海のように、静かで透明な瞳が僕を射抜く。
音が消えていく。街の喧騒も、鳥の鳴き声も、子供のざわめきも……。
世界の中で、二人ぼっちになったような。そんな幻想に捉われる。
時間が止まって行く。静かに収縮していく世界の中で。
キョーコさんだけが、言葉を紡ぐ。まるで時の女神のように。
「保志君。君はきっと、君だけの優しさを持ってるよ」
「キョーコさん……」
「揺らいで見えても、歪んでいるように感じても――。偽物だと決めて、諦めて瞳を閉じなければ。きっとそれは、君にも分かるよ」
静かな時が流れていた。
大気は密度を増したように、外部の音を遮断する。
キョーコさんの声だけが響き、それが僕の世界だった。
「いつまでも、私達は悩むんだよ。私達の優しさは、気持ちは本物だろうかって。それは寂しい事だけど。でもさ、私は思うんだ。たとえ見失っても、色んな気持ちに邪魔されて歪んで見えてしまっても……。私達の心の中には、星のように輝く想いがあるって。だからね、保志君。私は、君の中にある心も信じてるんだ」
言葉を言い終わると、キョーコさんは強く強く瞳を輝かせた。
その輝きの中に、僕の心も映っているんだろうか?
僕は思う。彼女には僕の優しさが――本当の優しさが見えているんだろうか。
そうだと良いな。そんな風に思った。
何だか涙が溢れてきて止まらない。
そして僕は、キョーコさんの言葉とは全く関係の無い事を考えていた。
僕はきっと、彼女に恋をしている。
自分自身の本当の気持ちは、分からないのかもしれない。
それでも僕は祈らずに居られなかった。
この気持ちが、僕の唯一の物であれば良いのに。
ただ一つだけの、本物のアイであれば――。
小さな夢を胸に秘めながら。
僕はペコ丸さんに視線を向けると、短く叫んだ。
「ペコ丸さん、お願いします!」
ペコ丸さんは大きく一つ肯くと、合わせた両手の間から魔法陣を生み出す。
魔法陣は空中を浮遊し、何も無い空間に静止した。
「そこが仮想空間のゲートになっているペコ! さあ、魔法陣の中心に手を当てるペコ! 後は、保志くんの気持ち次第で決まるペコ!」
僕はそっとキョーコさんを振り返った。
キョーコさんは、微笑んでいた。僕を信じるように。見守るように。
いつか彼女の隣に立ち、共に進んで行きたい。
そんな強さを手に入れたいと、僕は願った。
そっと魔法陣へと手を伸ばす。
そこに込めるべき感情は、ハルカに対する強い想い。
それは――愛とすら呼べるほどの、想い。
ハルカ――僕は。
僕は、恐れている。
君を救えない事が、じゃない。
ごめんよ、ハルカ。僕はやっぱり、自分勝手な男のようだ。
そんな想いと共に。
縋るような瞳を僕に向けるハルカの姿が脳裏に広がった。
その顔に、僕はどんな気持ちを抱いているのだろうか?
懺悔、後悔、同情。あるいは……そこには、愛もあるのだろうか?
ハルカの美しい横顔が目の前に浮かぶ。
綺麗な少女だった。僕に向けられる彼女の感情にも、心のどこかで気付いていた。
そんな彼女に惹かれる、僕の気持ちにも――。
しかし僕は、そんな感情に蓋をした。
下心から助けたのでは、本物の優しさでは無い。心のどこかでそう思ったからだ。
本当の優しさで無ければ、僕の罪は消えない。
だから彼女の気持ちに気付かないフリをした。自分の心から目を逸らして。
彼女はきっと、僕に恋している。僕を必要としている。
そして僕も、彼女を心のどこかで――。
その確信と共に。僕の意識は、真っ白な光に塗り潰されていった。
「ハルカ……」
気付けば、一面に霧が立ち込む平野に立っていた。
すっと見回す。居た。少女が一人、ポツンと座り込んでいる。
僕は辿り着けた。
この、ハルカを閉じ込めた世界へ。
安堵と共に、強い喪失感を感じる。
……辿り着けてしまったのか。
それはある一つの事を証明していた。
僕がハルカに、愛とも呼べるほどの感情を抱いている事だ。
二つの思いが胸の裡にあった。
キョーコさんに対する想いと、ハルカに対する想い。
思わず自分自身に苦笑した。偽善の次は、二股か。
同時に二人の女性に愛を向ける自分。そんな自分が、どこか汚らわしく思えた。
『間抜けにはなるなよ。』
以前聞いた言葉が思い浮かぶ。
その言葉を僕に言った人物は、好きでも無い人と付き合っていると言った。
本当に好きな人がありながら、違う人と付き合う。
僕はその時、確かに彼を軽蔑したはずだった。
では今の僕はどうなるだろうか?
彼を責めるだけの資格があるだろうか?
……いや、今はそんな事を考えている時じゃ無い。
僕は頭を振り払うと、ハルカを目指して進んだ。
ハルカは、いつかと同じように膝を抱えていた。
僕が名前を呼ぶと、さっと顔を上げる。
彼女は僕の名前を短く呟くと、何度も確認するように視線を這わせた。
そして懇願するような瞳を向けながら、泣き出す寸前のような声で言った。
「ジュン、あたしだけを見て」
「僕は……」
僕は、何て答えればいいのだろう?
他に好きな人がいる?
――では何故ココに来れたのだ?
――欲しいのだろう? その女が
不意にあの黒衣の男の顔が思い浮かんだ。
仮面を被っていても分かる、嘲笑を貼り付けた顔が、笑う。
――その女を必要とするから、貴様は辿り着けたのだ
――助けたければ、助けるが良いだろう
――まあ結果がどっちでも、俺は構わんしな
……結果とは、何の結果の事だろうか?
ハルカを助ける事か。それとも。
僕は、自分自身に対する小さな夢を失っていた。
誰か一人の女性だけを愛する。
それが当然だし、自分にも出来ると信じていた。
しかし、それを否定する現実の中に。僕は立っていた。
複数の女性を同時に愛する。
そんな不誠実な自分がココに在った。
自分がこんな身勝手な男だなんて、知りたく無かった。
もっと純粋で、美しい恋心を持って――誰かと共に歩く事が出来ると、そう信じていた。
晒け出された自分の欲望が、あまりに醜くて。
身勝手な自分が、ありえない夢を見ていた事に気が付いて。涙が出そうだった。
『いいじゃん、別に――』
突然、僕の耳にキョーコさんの言葉が聞こえた気がした。
微笑むキョーコさんの幻が浮かぶ。
『きっと、君だけの――』
その言葉は多分、今の僕の悩みに対して送られたものでは無い。
でも……。心の中で祈る。
僕には、僕だけの愛の形がある。
本当の愛が心の中にある。それを、信じて。
「僕は、きっと君の事が好きだったんだ」
ジッと僕を見つめているハルカ。
そんなハルカに、僕は語りかけた。
「でもそれは多分、君の望む形じゃない。僕は……他にもっと好きな人が、いるんだ」
我ながら、酷い言葉だ。情けなくて死にたくなる。
挫けそうになる心を必死に支えながら、僕は言葉を紡いだ。
膝を抱えたまま座り込んでいるハルカ。
僕はハルカの手を引いて立ち上がらせた。
立ち並んでみて、ハルカの背が僕より低かった事に改めて気が付いた。
こんな事でいちいち驚くなんて、僕は今までハルカの何を見てきたんだろうか?
後悔にも似た思いを抱きながら、宣言する。
「僕は、ハルカだけを見る事は出来ない。ごめん」
僕の言葉が終わった時。
時が止まったかのような静寂が。
しばしの間、続いた。
ハルカは「他に好きな人?」とブツブツ呟いたかと思うと、ギョロリとした目で僕を睨みつけた。
そして両手で僕の襟を握り絞めて来る。凄い力だ。
「あたしね、夢があるの」
「ど、どんな夢かな?」
ギリギリと締め上げられながら、僕は何とかそう口にした。
この細い腕のどこにこれだけの力があるのか?
ハルカは謎の強力で僕の襟を掴み続けた。
「でもね、壊れちゃったの」
「そ、それは残念だったね」
「そう? でも心配しないで。新しい夢を見つけたから。……ジュンも、応援してくれるでしょう?」
その言葉と共に、ハルカの腕にいっそう力が込められる。
僕は呻き声を上げながら、落ち着かせようと彼女の肩に手をおいた。
「ぐうう……!? ぼ、僕も応援したいと思うよ。どんな夢?」
「そう……なら、ここであたしと一緒に死んで?」
「ハルカ! 冗談でも死ぬとか言うな!」
「うるさい! うるさい! うああああああん、もう世界なんて滅んじゃえ~!」
激昂する僕の前で、子供のように泣き出すハルカ。
泣き喚きながら、僕の胸元を掻き毟る。
そんなハルカを僕は抱きしめ続けた。
まるで幼子をあやす様に。
いつしか霧は晴れ――異空間とやらは消え去り、世界は元に戻っていた。
夕焼けに照らされる公園で。
僕はハルカが泣き疲れるまで、ずっとそうしていた。
「結局、幻想の刃は使わなかったか」
闇の中。ハルカから突き返された剣を手に、ミスター・ノワールは呟く。
そんな彼に話しかける影があった。
「ケケケ、テメエも酷いもん使わせようとするナァ」
「心外だな。俺は誰一人傷つけていないと言うのに」
後ろから現れた男を振り返りもせず、ミスター・ノワールは反論した。
そんなミスター・ノワールをニヤニヤと見つめながら、男は言う。
「幻想の刃を使わせようとしたってのにかァ? アレは、使った人間の命を削る諸刃の剣じゃねえか」
「その点も配慮してある」
まるで熟練の教師のように淀みなく答えるミスター・ノワール。
己の策の磐石さを確信しているようだった。
「幻想の刃で寿命を削られるのは、男だけだ。女の場合は違う」
「ヒヒッ? そうだったっけカナァ?」
聞き返す男に対し、ミスター・ノワールは解説を続ける。
「そうだ。あれが削るのは命。一つの命しか持て無い男と違い、女は複数の命を持てるからな」
「その代わり、身に宿すはずの赤子が犠牲になるのであろう?」
話に割って入ったのは、女だった。
幼い少女の姿をした女が、豪奢な着物を身に纏いながら立っている。
やはりミスター・ノワールは、その少女にも視線を向ける事無く言った。
「子供を産めなくなるだけだ。何か問題があるか?」
「ヒヒッ。確かにそりゃ、問題ねえナ」
何が可笑しいのか、腹を抱えて笑い転げる男。
ひとしきり笑った後、まるで命令するかのようにミスタ・ノワールに言った。
「次は、俺がイカせてもらうぜ? いいよナァ?」
「別に構わん」
「ヒヒッ。話が早くて楽だゼ。じゃあナ」
そう言って消える男。
後にはミスター・ノワールと少女だけが残された。
「良かったのかえ? あんな男に任せて」
少女のその言葉に、ミスター・ノワールは何でも無い事のように答える。
「俺たちは同類であって、仲間じゃない。良いも悪いも無いだろう? 自由にやればいいさ」
そんなミスター・ノワールの態度を憎々しげに見つめた後。
少女は何かを言いかけるが、止める。
興が失せたように顔を背けると、最後に一度だけミスター・ノワールを振り向いて言った。
「ふん、お主は……まあよいわ。わらわも消える。サラバじゃ」
言葉の余韻だけを残し、少女も消え失せる。
一人残ったミスター・ノワール。
手の中で幻想の刃を弄びながら。
ここでは無い何処かを見つめて、ポツリと呟く。
「別に貴様達がどうなろうと構わんし、な」
酷薄な言葉を呟きながら。
仮面に隠された顔は、何も語らない。
第一部、ハルカ編でした。
いつの間にかハルカとジュンの話になってましたね。
間抜け王子とかどこに消えてしまったんでしょうか? 思い出は風の中に――。