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追っていた

 市場へ戻ると、さっきまでの騒ぎが嘘みたいだった。


 荷車は片づけられている。


 割れた木箱。


 踏みつぶされた野菜。


 石畳に残った車輪の跡。


 それだけだった。


「どこにいた」


 父に聞かれる。


「あっち」


 記憶を頼りに歩く。


 アリナがいた場所。


 子供がいた場所。


 そして。


「たしか、ここ」


 通りの端を指さす。


「あの男はここにいた」


 父が周囲を見る。


「最初から?」


「分からない。気づいたときにはいた」


「事件のあと、どこへ行った」


「見てない」


「そうか」


 父がしゃがみ込む。


「何してるの」


「何も」


「何も?」


「残っていない」


 立ち上がる。


「探してみる。お前は顔を知っている者がいないか聞け」


「一人で?」


「見える範囲にいろ」


「はいはい」


「返事は一回でいい」


「父さんみたい」


「親だからな」


 こんなときなのに、少しだけいつもの父に戻った気がした。


     ◇


「知らないねえ」


 野菜売りの女が首を振る。


「その辺にいた男?」


「そう。袖に金属の器具をつけてた」


「この市場じゃ珍しくもないよ」


「黒い石がついてた」


「そこまでは見てないね」


 次。


「魔女って叫んだ人?」


「そうです」


「ああ、いたな」


 肉屋の男が腕を組む。


「知ってる?」


「いや。見たことない」


「いつからいたか分かる?」


「さあな」


 また次。


 三人。


 四人。


 誰も男を知らない。


 市場は毎日、大勢の人間が出入りする。


 知らない顔がいても、不思議じゃない。


「やっぱり無理か……」


 そう思い始めたときだった。


「兄ちゃん」


 声をかけられる。


 振り返ると、果物を並べていた老人がこちらを見ていた。


「さっきから何を探してる」


「男です」


「男なんていくらでもいるぞ」


「アリナ……魔法を使った女の子を、最初に魔女って呼んだ人」


 老人の手が止まる。


「そいつなら見た」


「本当?」


「ああ」


 身を乗り出す。


「どんな人だった?」


「お前が探してるんじゃないのか」


「そうだけど」


「黒い髪。細い男だったな」


 合っている。


「袖に何かつけてなかった?」


「そこまでは知らん」


「事件のあと、どこ行った?」


 老人が通りの奥を指さした。


「あっちだ」


「いつ?」


「兵隊が来る前だよ」


「……兵士が来る前?」


「ああ」


 胸の奥がざわつく。


 アリナが魔法を使った。


 男が叫んだ。


 周囲が騒ぎ始めた。


 そのあとすぐに兵士が来た。


 でも男は。


 兵士が来る前に消えていた。


「一人だった?」


「一人に見えたがな」


「見えた?」


 老人が顎を撫でる。


「後をつけてる女がいた」


「女?」


「ああ」


「どんな?」


「さあな。あんまり顔は見てない」


「何か持ってなかった?」


 老人が少し考える。


「ああ」


 指を鳴らした。


「弓だ」


「弓?」


「ずいぶん古そうな、大きいやつだった」


 そのとき。


「ライク」


 父の声がした。


 振り返る。


「何か分かったか」


「いた」


「何?」


「男を見た人がいた。兵士が来る前に、あの路地へ行ったって」


 父の表情が変わる。


「兵士が来る前に?」


「ああ。それと」


「まだあるのか」


「女が後をつけてたらしい」


「女?」


「大きな弓を持ってたって」


 父の動きが止まった。


「父さん?」


「……まさか」


「知ってるの?」


 返事をせず、父は路地へ向かった。


「ちょっと!」


 慌てて追いかける。


 市場の喧騒が遠ざかる。


 細い路地。


 建物に挟まれて、昼間なのに薄暗い。


「父さん」


「静かに」


 足を止める。


 誰もいない。


 路地の先には、小さな十字路があった。


「どっち?」


「分からない」


「じゃあ――」


「下がれ」


 突然、父が俺の前へ出た。


 同時に。


 風を切る音。


 一本の矢が飛んできた。


「うわっ!」


 矢は俺たちの横を抜け、壁に深々と突き刺さった。


「……外した?」


「違う」


 父が言う。


「警告だ」


 上を見る。


 二階建ての建物。


 その屋根の縁に、一人の女が立っていた。


 弓を手にしている。


「久しぶりだね」


 女が言った。


 父を見る。


「バレンティア」


 父が目を細めた。


「アカポリス」


 知り合い?


 そう聞くより先に。


 アカポリスと呼ばれた女が俺を見た。


「そっちが息子?」


「……そうだ」


「へえ」


 頭の先から足元まで値踏みするように見られる。


 そして。


「似てないねえ」


「初対面でそれ?」


 女が笑った。


「口は似てるか」


 屋根から飛び降りる。


 着地すると、そのまま俺たちの横を通り過ぎた。


「待て」


 父が呼び止める。


「お前だったのか」


「何が」


「市場の男を追っていたのは」


 アカポリスが足を止めた。


 笑みが消える。


「ああ」


「どこへ行った」


「逃げられた」


「お前が?」


「歳を取ったんだよ」


「冗談はいい」


「相変わらずだねえ」


 そう言ってから。


 アカポリスは懐へ手を入れた。


「でも」


 何かを父へ投げる。


 父が受け取った。


 小さな金属片。


 その中央に。


 黒い石が埋め込まれていた。


「手ぶらじゃない」


 父の顔から、表情が消えた。

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