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握った手

 レイリは、開いた手を見つめていた。


「怖かったんだ。あの人が動かなくなって、どうしようって。それしか考えられなかった」


 指先で光が弾ける。


 オルティナは水を構えたまま、返事を待った。


「でも、逃げなきゃって思って。森を歩いてたら、また見つかって」


「同じ奴らに?」


「分かんない。追いかけてきたのか、別の人だったのか」


 レイリが顔を上げる。


「今度は、先に魔法を使った」


 雷が走った。


 オルティナは水壁を傾ける。


 光が表面を滑り、水路の向こうへ逸れた。


「っ……!」


「それで、逃げられたの?」


「うん」


「……ほかにも?」


 レイリは頷いた。


「何度か」


 オルティナは返事をしなかった。


「最初の人の顔は、覚えてるんだ」


 レイリが言った。


「次の人も。その次の人も、しばらくは」


「……うん」


「寝ようとすると、思い出すんだよ。何か言ってたな、とか。どんな顔してたかな、とか」


 オルティナが水を動かす。


 地面に落ちた水を細く伸ばし、レイリの足元へ回した。


「捕まえる?」


「捕まえるよ」


「そっか」


「あんたを、このままにはできない」


 水が足首へ絡む。


「動かないで」


「……うん」


 レイリは抵抗しなかった。


 もう一本。


 右手へ。


「話は聞くから」


「うん」


「まず止まって」


 水が手首へ届く。


 その瞬間。


 内側が白く光った。


「!」


 雷が弾ける。


 水が吹き飛んだ。


「……ほらね」


「ほらね、じゃない!」


 オルティナが新しい水を引く。


「止めたいんだけどね」


 レイリが両手を握った。


 指の間から、白い光が漏れる。


 その声が。


 妙に落ち着いていた。


「……どういうこと?」


 レイリは少し黙った。


「変なんだ」


「何が?」


「最初は、あんなに怖かったのに」


 握りしめた指の間から、光が漏れる。


「昨日まで覚えてた顔を、今日になると思い出せなかったりしてさ。思い出しても、前みたいには苦しくならない」


 オルティナは動かなかった。


「……レイリ」


「また誰かが死んでも、そのときは嫌だなって思うんだよ。でも、少し経つと」


 レイリが首を傾けた。


「何であんなに嫌だったんだろうって」


 水路の音が聞こえた。


 レイリは、あの頃と同じ顔をしている。


 さっきまで、ここで一緒に笑っていた。


「日に日にね、人を殺すことへの罪悪感がなくなっていくんだ」


 レイリは続けた。


「どんどん人間じゃないものになっていく気がする」


 そこで初めて。


 声が少し揺れた。


「その感覚が、何より怖い」


 オルティナは、何も言えなかった。


 レイリがこちらを見る。


「……」


 オルティナは、ゆっくり息を吐いた。


「あたし、難しいこと分かんないんだけどさ」


 レイリがこちらを見る。


「その『怖い』って感情が、人間の証だよ」


 レイリの目が開いた。


 しばらく。


 オルティナを見ていた。


「……ありがとう。でも、もうだめなんだ」


「何で!」


「ほら」


 レイリが握った手を少し持ち上げる。


 指の隙間から、光が漏れていた。


「今だって、何もしてないつもりなのに」


「だったら、そのまま握ってて」


「え?」


「私が止める」


「……うん」


 レイリは手を下ろした。


 オルティナも水を構えたまま待つ。


 一呼吸。


 二呼吸。


 光が弱くなる。


「そう。そのまま」


「……うん」


 オルティナが一歩近づく。


 そのとき。


 森へ続く道から、弦の音がした。


「!」


 矢が一本。


 レイリの右手へ飛ぶ。


 反射的に腕が上がる。


 雷。


 矢が空中で砕けた。


「今!」


 オルティナが水を放つ。


 左右から、両手首へ。


 地面を這わせていた水も、両足へ絡める。


「動かないで!」


「……うん!」


 水が締まる。


 レイリの指先に光が走った。


 オルティナは水を重ねる。


「お願い」


「……うん」


「今だけ我慢して」


 レイリの肩から力が抜けた。


 光が弱まる。


 オルティナがゆっくり近づく。


「……できた?」


「まだ。ちょっと待って」


「うん」


「痛くない?」


「大丈夫」


 レイリが、水に包まれた手首を見る。


「オルティナ」


「何?」


「水、上手くなったね」


「今さら?」


「昔は、すぐこぼしてたのに」


「それ、いつの話だよ」


 思わず返す。


 レイリが笑う。


 オルティナも、少しだけ笑った。


「このまま帰ろう」


「……うん」


「診てもらって。それから考えよう」


「うん」


 今度こそ。


 そう思った。


「……あれ?」


 レイリが呟く。


「何?」


「手が」


 水の内側で。


 光が生まれた。


「レイリ?」


「待って。今、止める」


 握ろうとする。


 けれど。


 手首を包む水が白く光った。


「オルティナ、離れて」


「大丈夫!」


「離れて!」


 雷が弾けた。


 水が内側から吹き飛ぶ。


「っ!」


 オルティナが残った水を前へ引き寄せる。


 光が肩の横を抜けた。


 焼けるような痛み。


「ぁっ……!」


 片膝をつく。


「オルティナ!」


 レイリの声。


「私、今――」


「動かないで!」


 オルティナは左手を伸ばす。


 散った水が集まる。


 少ない。


「レイリ、お願い……!」


「止めてる」


 レイリの両手が震える。


「止めてるんだって!」


 雷が地面へ落ちた。


 石が砕ける。


 光が幾筋にも分かれた。


 一つは水路へ。


 一つは森へ。


 そして。


 一つが、道の入口へ走る。


「――ライク!」


 オルティナが叫んだ。


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