手首の跡
レイリは、水路の向こうを見ていた。
帰りたいと言ったのに。
立ち上がらない。
「何か、帰れない理由があるの?」
俺が聞く。
「うん」
少し困ったように笑った。
「ある」
「俺が聞いてもいい?」
「……できれば、オルティナに話したい」
上流を見る。
オルティナはまだ水を汲んでいた。
「分かった。呼んでくる」
「ごめんね」
「謝らなくていいよ」
立ち上がる。
近くで待っていたアカポリスが、こっちを見た。
「どうしたの?」
「二人で話したいって」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
◇
「レイリが話したいって」
声をかけると、オルティナの手が止まった。
「二人で?」
「うん」
「……分かった」
「俺たちは向こうで待ってる。何かあったら呼んで」
「うん」
俺とアカポリスは、水場から離れた。
◇
「お待たせ」
オルティナが戻る。
「水は?」
「あとで飲む」
「せっかく汲みに行ったのに」
「あんたが呼んだんでしょ」
「そうだった」
レイリが笑う。
でも。
すぐに手元へ目を落とした。
「レイリ」
「何?」
「森で何があったの?」
しばらく返事はなかった。
水の音だけがする。
「……捕まった」
「誰に?」
「知らない人たち」
オルティナの表情が変わる。
「何人?」
「何人かいた。ちゃんと顔は見えなかった」
「どこに連れていかれたの?」
「森の奥。たぶん」
「たぶん?」
「途中から、よく覚えてないんだ」
レイリが袖を引いた。
「腕、縛られてて」
手首が見える。
擦れたような赤い跡。
その中に。
黒ずんだ部分が残っていた。
「何それ」
「これをされた」
「何を?」
「黒いものを当てられた」
「黒いもの?」
「石みたいな……でも、金具も付いてたと思う」
「大きさは?」
レイリが片手で形を作る。
「このくらい」
手のひらに収まるくらいだった。
「触っていい?」
「うん」
オルティナが手を伸ばす。
指先が近づいた瞬間。
レイリの腕が少し引いた。
「痛い?」
「今は平気」
「そのときは?」
「すごく痛かった」
「ほかには?」
「……分かんない」
「分かんない?」
「覚えてないところがある」
レイリが袖を戻す。
「ただ」
「何?」
「そのあとから、魔法が変なんだ」
◇
「変って?」
「大きくなる」
「雷が?」
「うん」
レイリが自分の手を見る。
「ちょっと出すつもりなのに、思ったよりずっと大きくなったり」
「止められない?」
「止められるときもある」
「じゃあ、止められないときも?」
「……ある」
レイリは笑おうとした。
「前より強くなったって言えば、聞こえはいいんだけどね」
「よくないでしょ」
「うん」
すぐに認めた。
「怖いよ」
オルティナが手首を見る。
「それで帰らなかったの?」
「それだけじゃない」
「ほかにもある?」
「……ある」
でも。
レイリは続けなかった。
「逃げてきたんだよね?」
「うん」
「なら、一回帰ろうよ」
「……」
「手首も診てもらって。詰所で話して。それから考えよう」
「うん」
「家の人も待ってる」
「分かってる」
「じゃあ」
「分かってるんだって」
少しだけ。
声が強くなった。
オルティナが止まる。
「……ごめん」
レイリが言った。
「怒ってないよ」
「うん」
レイリは膝の上で手を握った。
◇
「レイリさん!」
道の方から声がした。
詰所の兵士が歩いてくる。
「お待たせしました」
レイリの肩が動いた。
「詰所で、もう少し詳しくお話を――」
レイリの指先で。
小さな光が弾けた。
「レイリ?」
「……何?」
「手」
レイリが見る。
また。
白い光。
「止められる?」
「やってる」
反対の手で指を押さえる。
それでも。
細い雷が手首を走った。
「レイリ」
「分かってる」
「一回、深呼吸しよう」
「してるよ」
「兵士さん!」
オルティナが声を上げる。
「そこで止まって!」
兵士が足を止めた。
「どうしました?」
「今、魔法が――」
光が大きくなる。
オルティナは水路を見る。
何かあったら。
受けるしかない。
二歩だけ、水の近くへ動いた。
「……水、使うんだ」
レイリが言った。
「え?」
「私を止めるために」
「違う」
オルティナがすぐに返す。
「あんたが危ないから」
「同じだよ」
「同じじゃない」
「……そっか」
レイリが立ち上がる。
「待って」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ」
「私」
レイリの声が震えた。
「また連れていかれるの、嫌なんだ」
兵士を見る。
その顔が。
一瞬だけ、ひどく怯えたものに変わった。
「レイリ。この人は――」
「分かってる」
「分かってない!」
「分かってるよ!」
雷が膨らむ。
オルティナが水路へ手を向ける。
「手、下ろして」
「……ごめん」
「謝らなくていいから!」
「ごめんね、オルティナ」
レイリが手を上げた。
「まだ」
白い光が弾ける。
「捕まりたくない」
次の瞬間。
雷が放たれた。




