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跡だけ

 監理院へ戻ると。アリナはまだ移されていなかった。隔離区画の前。ディントが立っている。


「間に合った」


 俺が言う。


「何にだ」


「検査」


「聞いた」


「誰から?」


 ディントが俺の後ろを見る。


「本人から」


 ガンカレス。


「いつ」


「お前たちより先に伝令を走らせた」


「仕事早いね」


「必要だからな」


 扉が開く。中からアリナが出てきた。


「お兄ちゃん?」


「アリナ」


 顔を見る。普通。歩き方もいつも通り。


「面会?」


「違う」


 ディントが言った。


「俺もそれ言われた」


「じゃあ何?」


「確認」


「何の?」


 答えづらい。


「……刺さってるもの」


「私に?」


「あるなよ」


「お願いされても困るんだけど」


「俺も困ってる」


 アリナが笑った。それから、俺たちの顔を順番に見る。


「何かあった?」


 ガンカレスが答えた。


「あった」


「何が?」


「魔獣が軍の保管区へ侵入した」


「魔獣?」


「ああ」


「お兄ちゃん怪我してない?」


「そっち?」


「そっちでしょ」


「大丈夫」


 アリナがじっと俺を見る。


「本当?」


「本当」


「ならいい」


「信用ないな」


「あるよ」


 一度、俺の服を見る。


「ちょっと汚れてるけど」


「戦ったから」


「え?」


「あとで話す」


「絶対ね」


「ああ」


 ガンカレスが咳をした。


「話を戻すぞ」


「はい」


 アリナまで素直に返事をした。


     ◇


 検査室。女性の検査官が道具を並べていた。


「確認するのは」


 ガンカレスが言う。


「頭部と首周辺を中心に、皮膚の異常と異物だ」


「どうして?」


 アリナが聞く。


「魔獣の身体から」


 言葉を選ぶ。


「人工物に見えるものが出た」


「人工物?」


「ああ」


「それが私にもあるかもしれない?」


「可能性を確認する」


 アリナは黙った。怖がっている。たぶん。でも。


「調べて」


 自分で言った。


「いいのか?」


 俺が聞く。


「調べない方が嫌だよ」


「……そうだな」


「それに」


 アリナがこっちを見る。


「私のことでしょ」


「ああ」


「なら知りたい」


 もう一度。頷く。


「お願い」


 検査官が頷く。


「分かりました」


 と答えた。


     ◇


「腕から確認します」


「はい」


 手首、肘、首。異常は見つからなかった。


「頭も見ます」


 検査官が髪を少しずつ分けていく。額、こめかみ、頭頂。後ろ。


「ない?」


 聞いてしまう。


「まだです」


「ごめん」


「お兄ちゃん」


「何」


「静かにして」


「はい」


 ディントが口元を押さえた。


「笑った?」


「いや」


「笑っただろ」


「静かにしろ」


 ガンカレスまで言った。


「味方いないな」


「今気づいたの?」


 オルティナ。


「いたんだ」


「最初からいるよ」


「静かに」


「はい」


 今度は、二人で答えた。検査官がアリナの右耳を見る。


「こちらは問題ありません」


 次。左。髪を耳の後ろへ避ける。そこで手が止まった。


「……待ってください」


 空気が変わった。


「何」


 立ち上がりそうになる。


「動くな」


 ガンカレス。


「でも」


「見ている」


 検査官が灯りを近づけた。左耳の後ろ。髪の生え際。


「アリナ」


「何?」


「そこ痛い?」


「どこ?」


「耳の後ろ」


 アリナが指を伸ばそうとする。


「触らないでください」


「あ、はい」


「傷があります」


 喉が詰まった。


「何か入ってる?」


 検査官が少し角度を変える。


「今のところ」


 細い器具。光。ゆっくり。確認する。


「異物は見えません」


「本当?」


「はい」


 止めていた息が出た。


「よかった……」


「待て」


 ガンカレス。


「何で」


「傷はある」


 近づく。眼鏡の奥。じっと見る。


「小さいな」


「はい」


 検査官が答える。


「点状です」


「刺し傷?」


 俺が聞く。


「そうとは断定できません」


 ガンカレスが先に答えた。


「でも」


「針でも」


 検査官が言う。


「細い枝でも」


 一度、傷を見る。


「似た跡にはなります」


「いつの傷?」


「治っています」


「じゃあ昔?」


「そこまでは」


 やっぱり。分からない。


「アリナ」


「うん」


「覚えてる?」


「何を?」


「そこ怪我したこと」


 アリナが考える。


「……ない」


「本当に?」


「たぶん」


「刺されたとか」


「ないよ」


「ぶつけた?」


「耳の後ろを?」


「枝とか」


「分かんない」


 アリナが困った顔をした。


「そんなところ、普段見ないし」


 そうだ。髪の中。耳の後ろ。俺だって今日まで妹のそこに傷があるかなんて。


 考えたこともなかった。


「入所時の記録」


 ガンカレスが言った。


「持ってこい」


「はい」


 検査官が棚へ向かう。


「あるの?」


「外傷確認はしている」


「じゃあ」


「あれば記録されている」


 紙が出てくる。何枚か。ガンカレスが順に見る。止まった。


「……ある」


「何が?」


 紙をこちらへ向ける。簡単な人体図。その横。短い記録。


 左耳後部。点状外傷。治癒傾向。


「入ったときから?」


「ああ」


「じゃあ」


 ディントが紙を見る。


「隔離されてからできた傷じゃない」


「そうだ」


 ガンカレスが答える。


「少なくとも」


 一度、アリナを見る。


「監理院へ入る前には、すでにあった」


 部屋が静かになった。


「……私」


 アリナが左耳の後ろを触らないように少しだけ顔を傾ける。


「知らないよ」


「うん」


「こんな傷」


「うん」


「いつできたかも」


「分かってる」


 俺はそれしか言えなかった。魔獣の耳の後ろ。刺し傷。その中には金属の輪と。


 黒い粒。アリナの耳の後ろ。小さな傷。今は何も入っていない。


「同じ傷?」


 オルティナが聞いた。


「言えん」


 ガンカレス。


「大きさも違う」


「場所は近いけど」


「それだけだ」


「でも」


「ああ」


 ガンカレスが記録を見る。


「確認する価値はある」


 俺はアリナを見る。


「三回」


「何?」


「お前が知らないうちに」


 言葉を止める。


「魔力を測られたかもしれないって話」


「うん」


「その前後に」


 傷を見る。


「何かされてたとしたら」


 そこまで言って、止めた。今あるのは、傷だけだ。アリナがこっちを見る。


「お兄ちゃん」


「何」


「その三回も」


「ああ」


「この傷も」


「うん」


「ちゃんと調べて」


 一瞬、言葉が出なかった。


「怖くない?」


「怖いよ」


 普通にそう言った。


「でも」


 アリナは逃げなかった。


「分からないままの方が嫌」


「……分かった」


「約束」


「ああ」


「今度は忘れないでね」


「何を」


「私のことなんだから」


「忘れてないよ」


「前は勝手に決めようとしてた」


「……」


「覚えてる?」


「覚えてます」


「ならいい」


 ディントが小さく笑った。


「何」


「いや」


「最近それ多くない?」


「気のせいだ」


 ガンカレスが記録を閉じた。


「検査は続ける」


「まだ?」


「他も見る」


「全部?」


「全部だ」


 アリナが俺を見る。


「お兄ちゃん」


「何」


「今度は静かにしてて」


「努力する」


「無理そう」


「やる前から諦めるなよ」


 少しだけいつもの顔に戻った。でも、俺の目はどうしても左耳の後ろへ戻る。何も刺さってはいなかった。だから、安心していいはずだった。


 でも、そこにはアリナ自身も知らない小さな跡だけが残っていた。


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