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24/58

北

 北の街まであと少しだった。街道の先から低い唸り声がして、馬が足を止めた。


 バレンティアは手綱を引いた。道の脇の茂みが大きく揺れ、魔獣が姿を現した。


 四本脚。人の背丈を超える身体。頭から背中まで硬い外殻に覆われている。こちらを見る。


 地面を蹴った。速い。バレンティアは馬から降りた。


 魔獣が正面から来る。


 あと三歩。


 二歩。


 一歩。


 バレンティアが半歩。外へずれた。踏み込む。蹴った。


 鈍い音。魔獣の前脚が横へ流れる。そこへ身体ごと、もう一度押し込む。


 巨体が進む方向を失い、街道の端へ転がる。


 魔獣はすぐに起き上がった。今度は、唸らない。地面を蹴る。もう一度。


 正面から来る。そこで初めて、バレンティアは剣を抜いた。


 一歩。


 剣閃が走る。それだけで硬い角が砕け、遅れて胸を覆っていた外殻も大きく割れた。魔獣が地面へ落ちる。


 もう、立たなかった。バレンティアは剣を鞘へ戻した。馬がまだ少し怯えている。


「もういない」


 首を撫でる。手綱を持つ。それだけだった。昔ならこんなものは戦ったうちにも入らなかった。


     ◇


 北の街はもう壊れてはいなかった。崩れた家は建て直され、焼けた通りには新しい店が並んでいる。人も歩いていた。


 だがバレンティアには元に戻ったようには見えなかった。


「バレンティア様?」


 声をかけられて振り返ると、衛兵が立っていた。


「やはり」


「私を知っているのか」


「当時、こちらへ来られていましたから」


「そうか」


 衛兵は少し迷ってから頭を下げた。


「妻が」


 その先を聞く前に分かった。


「事件で?」


「はい」


「そうか」


 それ以上、何を言えばいいのか。今でも分からない。


     ◇


「私は」


 墓地へ向かう途中、衛兵が言った。


「魔女を許せません」


 バレンティアは黙って聞く。


「ティリナを知っていた?」


「顔を知っている程度です」


「どんな人間だった」


「悪い娘ではなかった」


 少し、声が詰まる。


「だから余計に」


「怖い?」


「はい」


 昨日まで普通にパンを買い、道で会えば挨拶をする。そんな人間が突然、多くの人を殺した。


「あなたの娘さんのことも聞きました」


「そうか」


「助けたいのは」


 言葉を選ぶ。


「分かります」


「いや」


 バレンティアは首を振った。


「それは、分からなくていい」


 衛兵が見る。


「あなたは妻を失った」


「あの事件で」


「はい」


「そのあなたに、娘を助けたい父親の気持ちまで理解しろとは言えない」


 墓の前で足を止める。


「私は、ティリナを無かったことにはしない」


 花を置く。


「そのうえで」


 墓を見る。


「なぜそうなったのかを調べる」


     ◇


 記録にも大きな変化はなかった。ティリナ・アルヴェル。B級。直近の判定。


 安定。異常なし。事件当日も朝はパンを買い、昼には荷車の故障を手伝っている。


 夕方。


 暴走した。別の証言でもそこは変わらない。その間に何があった。


     ◇


「ティリナなら、よく来てたよ」


 パン屋の女主人が言った。


「事件の日も?」


「朝にね」


「変わった様子は」


「なかったと思う」


 バレンティアは店内を見る。


「事件の前に、彼女のことを聞きに来た人間はいなかったか」


「人?」


「知らない男」


 女主人が考える。


「……いた」


 衛兵が顔を上げた。


「記録にはありません」


「兵隊さんには話したよ」


「どんな男だった」


「黒い髪」


 バレンティアの目が止まる。


「細い人だった」


「年は」


「三十くらい?」


「顔に傷は」


 女主人が自分の右頬を指した。


「こっちに、細いのが」


 衛兵がバレンティアを見る。


「何を聞かれた」


「ティリナのこと」


「具体的には」


「いつ来るのか」


「毎日か」


「だいたい何時頃か」


 女主人が首を傾げる。


「変なこと聞く人だなって思ったから覚えてる」


「いつだ」


「事件のあとじゃないよ」


「前?」


「三日か四日前だったと思う」


 バレンティアは何も言わなかった。黒髪。右頬の傷。日々の行動を聞いていた。


 事件の三日か四日前。


「あの男は」


 衛兵を見る。


「事件が起きてから現れたわけじゃない」


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