北の記録
父さんの仕事部屋。
何度も入ったことはある。
でも。
中を探したことはなかった。
「勝手に見ていいの?」
アカポリスが聞く。
「今さら?」
「私は止めないよ」
「止める気ないだろ」
「ないね」
机の上には、何も出ていない。
父さんらしい。
使ったものは片づける。
書類も。
本も。
俺とは違う。
「どこから見る?」
「坊ちゃんの家でしょ」
「だから聞いてるんだけど」
「バレンティアなら、大事なものをどこに置く?」
考える。
「机?」
「普通だね」
「悪かったな」
引き出しを開ける。
筆記具。
封蝋。
何枚かの便箋。
「ない」
「次」
「扱い雑じゃない?」
「急いでるからね」
本棚。
王国史。
戦争の記録。
領地関係の本。
よく分からない分厚い本。
「父さん、こんなの全部読むのかな」
「昔から読むよ」
「知ってるの?」
「部下だったからね」
「どんな?」
「面倒くさい上司」
「それ本人に言った?」
「何回も」
「よく生きてたな」
「私が強かったから」
「父さんが優しかったんじゃなくて?」
「それもある」
アカポリスが一冊抜く。
「これは違う」
「分かるの?」
「埃」
戻す。
また一冊。
「これも」
「何探してるんだよ」
「最近触ったもの」
「ああ」
俺も棚を見る。
背表紙。
隙間。
埃。
一番下。
「これ」
薄い箱があった。
本の後ろ。
押し込むように置かれている。
「最近?」
アカポリスが覗く。
「周りより埃が少ない」
「開けるよ」
「どうぞ」
「そこは止めないんだ」
「止めたらやめる?」
「やめない」
「じゃあ意味ないだろ」
蓋を開ける。
紙が何枚か。
地図。
それから。
小さな布袋。
「……これ」
アカポリスの声が変わった。
「何?」
「先に紙」
「珍しく慎重」
「私はいつも慎重だよ」
「嘘だ」
一番上の紙を取る。
王国の印。
でも。
正式な報告書ではなさそうだった。
写し。
手書きの注釈がいくつもある。
「読める?」
「それくらい読める」
「学院サボってるから心配で」
「読めるって」
目を落とす。
北部第三街区。
被害確認。
死亡者。
負傷者。
焼失家屋。
途中で読むのを止めそうになった。
「坊ちゃん」
「……分かってる」
続ける。
次の紙。
その次も。
どれも北の事件についての記録だった。
どうやら父さんは。
あの事件について集めたものを、この箱にまとめていたらしい。
最初の紙に戻る。
下の方に、赤い線が引かれていた。
『現場周辺より、用途不明の器具片を回収』
「器具片?」
さらに読む。
『計四点』
息が止まった。
「四つ?」
アカポリスが横から覗く。
「続き」
『いずれも王国式刻印なし』
その下。
『黒色結晶を含むものあり』
紙を持つ手に力が入る。
「黒い石」
「ああ」
「一つじゃなかった」
「北ではね」
四点。
市場の男が持っていたものと。
同じかは分からない。
でも。
「父さん、これ知ってたんだ」
「だから探してたんだろうね」
紙の余白。
父さんの字があった。
短い。
『暴走との因果、不明』
その下。
『偶然と判断するには早い』
少し笑いそうになった。
「何?」
「いや」
「何笑ってるの」
「父さんらしいなって」
怪しいと思った。
でも。
分からないものは。
分からないままにしている。
「じゃあ」
言いかける。
アリナも。
あの男も。
黒い石も。
北の事件も。
全部つながっている?
そこまで考えて。
止めた。
「……いや」
アカポリスが俺を見る。
「何?」
「まだそこまでは分からない」
一瞬。
アカポリスが黙った。
「何」
「いや」
「また成長したとか言うなよ」
「言おうと思ったのに」
「やめて」
紙をもう一枚めくる。
器具片の発見場所。
地図に四つの印。
被害の中心から少し離れた場所にもある。
「これ」
「何かある?」
「全部、同じところに落ちてたわけじゃない」
アカポリスが地図を見る。
「そうだね」
「誰かが持ってた?」
「それは書いてない」
「じゃあ分からないか」
「うん」
さらに一枚。
目撃証言。
半分は潰れていて読みにくい。
『暴走直前――』
そこで切れている。
「続きないの?」
「裏」
めくる。
文字が続いていた。
『不審な男を目撃したとの証言あり』
心臓が鳴った。
「男?」
「特徴は?」
読む。
『年齢不詳』
『細身』
『黒髪』
アカポリスと目が合った。
「……同じ?」
「まだ」
「分かってる」
続き。
『右頬に傷があったとの証言あり』
息を呑んだ。
市場。
あの男。
右頬の細い傷。
「同じだ」
今度は。
アカポリスも否定しなかった。
「可能性はかなり高い」
「三日前どころじゃない」
北の事件。
もっと前から。
あいつは。
いた。
「じゃあ、あいつが暴走させた?」
口にして。
すぐ首を振る。
「……それはまだ分からない」
「そう」
アカポリスが紙を見る。
「男がいた」
「黒い石の器具片もあった」
「そこまで」
「ああ」
それだけでも。
十分だった。
あの男は。
突然アリナの前に現れたんじゃない。
北にもいた可能性が高い。
「父さんは、これを追ってた」
「だろうね」
だから。
男は父さんの仕事部屋を見ていた?
また仮説が浮かぶ。
今度は。
頭の中に置いたままにした。
「布袋」
アカポリスが言った。
「忘れてない?」
「あ」
箱の中。
小さな袋。
紐をほどく。
「待って」
アカポリスが俺の手を止める。
「何」
「机に置いて」
「危ない?」
「分からないから」
「はいはい」
机に置く。
袋を開く。
中から。
小さな金属片が落ちた。
黒ずんでいる。
焼けたような跡。
中央に。
ごく小さな。
黒い欠片。
「……これ」
アカポリスが。
机の上の金属片を見る。
「市場で拾った欠片と似てる」
「分かる?」
「形は違う。でも」
一度。
黒い石を見る。
「石の色と、金属の感じは近い」
「北の?」
「たぶん」
袋の中に紙が一枚。
父さんの字。
『北部事件現場・未提出破片より採取』
その下。
一行。
『本体、北部で保管』
「……未提出?」
読み直す。
「これ、本体じゃないの?」
「みたいだね」
アカポリスの表情が変わる。
「バレンティアが一部だけ持ち帰った?」
「なんで」
答えはない。
もう一行。
小さく。
『提出前に、確認すべきことあり』
「確認?」
その先は。
何も書かれていなかった。
でも。
紙の裏。
人の名前が一つだけあった。
『ティリナ・アルヴェル』
「ティリナ……?」
聞いたことのない名前だった。
「これ、誰?」
アカポリスの顔から。
完全に笑みが消えた。
「知ってるの?」
しばらく。
答えなかった。
そして。
「北で暴走した魔法使いだよ」
部屋が。
急に静かになった。




