いつもの場所
「まだ?」
「もう少し」
「さっきも聞いた」
「じゃあ聞くな」
アカポリスは振り返りもしない。
市場を離れてしばらく歩くと、人通りが少しずつ減っていった。大通りから一本外れた、古い商店の並ぶ通りだ。
「こんなところに何があるんだよ」
「着いた」
アカポリスが足を止める。
「ここ」
「……ここ?」
見覚えがあった。小さな菓子屋で、木の看板の向こうには焼き菓子が並んでいる。
「知ってるの?」
「アリナがよく来る」
アカポリスが俺を見る。
「どれくらい」
「週に一回くらい。もっと来てるかも」
「一人で?」
「たぶん」
「たぶん?」
「俺、ずっと妹について歩いてるわけじゃないから」
「仲いいのに?」
「仲いいのと、それは別だろ」
「へえ」
「何その顔」
「別に」
アカポリスが店の向かい側へ移動する。
壁際。
「三日前、あの男はここにいた」
笑えなくなった。
「……ずっと?」
「私が見ていた限りでは、しばらくね」
「店に入った?」
「入ってない」
「じゃあ何してたんだよ」
「見てた」
「何を」
アカポリスが菓子屋を見る。
それから俺を見た。
「それを調べるんだろ、坊ちゃん」
「……そうだった」
「しっかりしな」
店へ向かう。
扉を開けると、小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃい」
奥から年配の女性が顔を出す。
「あら」
俺を見る。
「今日は一人なの?」
「え?」
「妹さんは?」
胸が詰まった。
やっぱり、アリナはここへ来ていた。
「今日は……いない」
「そう」
女性はそれ以上聞かなかった。
市場の話をもう知っているのかもしれない。
アカポリスが店内を見回す。
「この子の妹さん、よく来る?」
「ええ」
「最近、変わったことはなかった? 誰かと一緒に来るようになったとか、話しかけられていたとか」
「さあ……」
女性が首を傾げる。
俺も考える。
アリナはこの店の焼き菓子が好きだった。
父さんが帰りの遅い日は、ときどき三人分買ってくる。
俺の分だけ妙に小さいこともあった。
「三日前」
アカポリスが言う。
「この店の向かいに、黒い髪の男がいなかった?」
女性の表情が変わった。
「……ああ」
俺とアカポリスが同時に見る。
「覚えてるわ。あとで店にも入ってきたの」
「入ったの?」
思わず声が出る。
アカポリスが俺を見る。
「私が見たあとだろうね」
「何か買った?」
「何も」
女性は思い出すように目を細めた。
「変な人だったわ。お菓子も見ないで、よくここへ来る女の子のことを聞いてきたの」
心臓が大きく鳴った。
「女の子?」
「明るい髪の、若い子」
アリナだ。
すぐ分かった。
アカポリスの声から、いつもの軽さが消える。
「何を聞かれた?」
「いつ来るのかとか、一人で来ることが多いのかとか」
拳を握る。
「答えたの?」
声が強くなった。
女性が怯えたように俺を見る。
「あ……」
「坊ちゃん」
肩を掴まれた。
「その人を責めるな」
「でも!」
「知らなかったんだ」
言葉が止まる。
そうだ。
三日前は、誰も何も知らなかった。アリナが連れていかれることも、誰かに見られていたことも。
「……すみません」
女性が首を振る。
「私も、変だとは思ったのよ。その子が来たら、店の外に白い布を掛けて教えてほしいって言われて」
アカポリスの目が細くなる。
「白い布?」
「ええ。でも気味が悪かったから断ったわ」
少しだけ息を吐いた。
「男は?」
「すぐ帰ったわ。怒りもしなかった」
女性が考える。
「笑ってた」
「笑ってた?」
「ええ。それで確か……『必要ないかもしれない』って」
店の中が静かになった。
「必要ないかもしれない?」
「それだけ?」
「ええ」
アカポリスが腕を組む。
「三日前には、妹さんを知ってた」
「ああ」
「でも、どうして最後にそう言ったのかは分からない」
でも、分からないことが一つ減った。
あの男は、市場で偶然アリナを見つけたんじゃない。
三日前にはもう、アリナを知っていた。
「坊ちゃん」
「何」
「妹さん、他によく行く場所は?」
考える。
菓子屋。
本屋。
市場。
それから。
「あ」
「何かある?」
「一つ」
「どこ」
「学院の近く」
アカポリスの表情が変わる。
「アリナは学院に通ってないんだろ」
「通ってない」
「じゃあ何しに行く」
「俺を迎えに来る」
言ってから思い出す。
学院からの帰り道。
紙袋を抱えたアリナ。
俺を探していた。
荷物持ちとして。
「……まさか」
アカポリスが俺を見る。
「行くよ」
「ああ」
店を出る。
背後で鈴が鳴った。
今度は俺が先に歩き出した。




