表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
採点いたしますわ——断罪された悪役令嬢は100点の皿を探し続ける  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/32

第7話「行列のできる銅鍋亭」

白いスープが品書きに戻って、半月。


 銅鍋亭の前には、見たことのないものが発生していた。


 行列である。


「白いスープ、本日あと8食ですわー!」


「8食!? おい、俺の前に並んでるの何人だ!?」


「数えて差し上げますわ。……ご愁傷さま、9人目ですわね」


「くそっ、明日は夜明けから並ぶ……!」


 開店から1刻で、卓は埋まり、土間に立ち食いのお客様まで現れる始末。マルセルさんは厨房で鬼の形相、わたくしは給仕と勘定、アガットは洗い場で皿の山と戦争中。ロザリーさんの宿六さんが見かねて水汲みを手伝ってくれているけれど、それでも手が足りない。


 人手不足。繁盛店の、贅沢な悲鳴というやつだ。


「味見係! シチューの味見、急げ!」


「ただいま!」


 お玉から小皿に取って、ひと口。……うん。澄んだ出汁に、香草の青い香りが一本通って、肉はほろりと崩れる。下味の塩も、もう数えなくたって決まっている。マルセルさんの舌が、帰ってきているのだ。最近は塩の記録帳を見る回数が、目に見えて減った。


「66点! お出しして大丈夫」


「66……上がったな、おい」


「ええ。60点、超えましたわよ。マルセルさん」


 厨房の手が、一瞬だけ止まった。


 約束の数字だった。この店のシチューが60点を超えるまで、毎日採点して差し上げます——住み込み初日の、あの商談。


 マルセルさんはお玉を持ったまま、こちらを見ないで言った。


「…………出て、いくのか」


「あら」


 わたくしはノートを開いて、これ見よがしにペンを構えた。


「契約の更新をご提案いたしますわ。新目標、定食で80点。達成までこの2階に住み込んで、毎日採点して差し上げます。家賃は据え置き、まかない付き。いかが?」


「……ふん」


 今日の「ふん」は、分かりやすく安堵の音だった。後ろでジョフロワさんが「年寄りをひやひやさせるんじゃないよ」と笑い、洗い場のアガットが何も言わずに皿を拭いている。彼女がいつの間にか2階の部屋に冬用の毛布を増やしていたことを、わたくしは知っている。出ていく気なんて、最初からこの侍女にはお見通しなのだ。


 昼の戦争が一段落した頃、ロザリーさんが新しい噂を運んできた。


「点付けの嬢ちゃん、あんた有名人だよ。市場どころか、橋向こうの貴族街まで噂が行ってるってさ」


「あら、なんと?」


「『下町に、皿を一口で見抜く令嬢がいる』『つけた点数は外れない』『改善案までくれて、店が次々うまくなる』——挙句の果てにゃ『あれは断罪された公爵令嬢の世を忍ぶ姿』」


「忍べていませんわね、それ」


「あはは! まあ実際、最近この界隈、飯がうまくなったもんねえ。ベルナールの白パンも生まれ変わったしさ。あんたの点数が回ってんのさ、この町を」


 点数が、町を回る。


 面白い言い方をなさる。わたくしはただ、挨拶をして回っているだけなのだけれど。


 でも貴族街、という言葉だけは、ノートの隅に留めておいた。橋の向こうには王宮がある。あのテリーヌの作り手がいる、はずの場所。


 ——実を言えば、捜索は難航していた。お客様にも市場でも、それとなく聞いて回ったのだ。王宮の厨房のこと。でも下町と王宮は、同じ王都にあって別の国だ。「宮廷の料理人様のことなんざ、雲の上だよ」で、いつも話は終わってしまう。


 ノートの1ページ目は、まだ宿題のままだった。


 その宿題が向こうから歩いてくるなんて、この時のわたくしは知らない。


 夜。


 最後のお客様が帰って、マルセルさんが暖簾代わりの鉢を下げようとした、その時だった。


 扉の鈴が、鳴った。


「……すまない。まだ、いいか」


 若い男の人だった。年の頃はわたくしより少し上。外套は埃っぽくて、目の下には濃い隈。何日もまともに寝ていない顔色なのに、目つきだけが妙に鋭い。


 マルセルさんが「残りもんでよけりゃ」と器によそう。男の人は隅の卓に着いて、匙を取った。


 わたくしは勘定台の陰から、何の気なしに見ていた。


 そして、釘付けになった。


 食べ方が、おかしい。


 最初のひと匙は、具を避けて出汁だけ。口に含んで、すぐには飲まない。次に人参だけ。じゃがいもだけ。肉は繊維を匙で割いて、断面を一瞬だけ確かめてから口に運ぶ。パンは齧る前に、香りを嗅いだ。


 味わっていない。——分解している。


 あれは食事の所作ではない。検品の所作だ。前世の同業者か、と思うような。そして気づいた。匙を持つ手。指の付け根の硬そうなたこ、手首の内側に走る古い火傷の痕。何百回も鍋の縁と熱に触れてきた手。


 料理人だ。それも、厨房の最前線の。


 男の人は器を最後まで——本当に最後の一滴まで食べ終えて、長いこと黙っていた。それから顔を上げて、店の中を見回して、わたくしのところで視線を止めた。


「……あんたか。『点付けの令嬢』ってのは」


「ええ、そう呼ばれておりますわ。お粗末さまでした。お口に合いまして?」


「66点」


 ……あら?


「出汁は厚い。火入れも正確だ。だが香草を入れる時機が早い。青さが立ちすぎて、肉の甘みを上から押さえてる。あと2刻遅く入れれば、70は超える」


 店の空気が、ぴんと張り詰めた。


 マルセルさんが厨房から顔を出す。わたくしは、ゆっくりと勘定台を出た。心臓が、変な打ち方をしている。66点。わたくしが今日つけた点と、寸分違わない。そして香草の時機——それはわたくしが次の改善案として目をつけていた、まさにその一点。


「……どちら様かしら」


「あんたに、聞きたいことがあって来た」


 男の人は立ち上がった。背が高い。疲れ切った顔の中で、目だけが燃えている。


「断罪の夜の王宮で、あんた、テリーヌに点をつけたそうだな。87点と」


「ええ、つけましたわ」


 まさか。


 まさか、まさか、まさか。


「火入れ、完璧。香草の比率も良い。層の構成に明確な意図。ただし煮こごりの塩がわずかに強くて、後味の余韻を一段削っている。……そう言ったと聞いた。一言一句、確かか」


「一言一句、その通りですわ。よくご存じね」


「忘れるわけがない」


 男の人は、外套の前を握りしめて、絞り出すように言った。


「あれを作ったのは——俺だ」


 来た。


 探していた人が、向こうから、うちの店に。


 ノートの1ページ目が、頭の中でめくれる。『作り手不明——必ず探し出すこと』。お待たせしましたわ、1ページ目。宿題がたった今、自分の足で扉をくぐってきましてよ。


「あなたが……! ああ、やっぱり! その手を見て、もしやと思っていましたの! お会いしたかったわ、ずっと探して——」


「13点だ」


 男の人は、わたくしの感激を遮った。


「あんたの満点まで、13点。俺の皿に、何が足りなかった。塩のことだけじゃないはずだ。教えてくれ。……それだけを聞きに、ここまで来た」


 その目を見て、わたくしは言葉を呑み込んだ。


 これは、社交の目ではない。崖っぷちの目だ。87点を喜ぶでもなく、辛口に怒るでもなく、足りない13点だけを真っ直ぐ取りに来た、職人の目。


 ああ——この人、本物だわ。


「……いいでしょう。お教えしますわ、全部」


 わたくしはノートを取り出して、卓の上に置いた。


「ただし、座ってくださいまし。長くなりますもの。それと、お名前を伺っても?」


 男の人は一瞬ためらって、それから観念したように椅子に座った。


「……リュカ。リュカ・ミルポワ。——元、王宮厨房の料理人だ」


 元、という一文字に、いろんなものが詰まっている声だった。


 厨房の入り口でマルセルさんが腕を組み、アガットが音もなくお茶を3つ運んでくる。窓の外はもう真っ暗で、下町には銅鍋亭の灯りだけがまだ点いている。


「では、リュカさん」


 わたくしはノートの、あの夜のページを開いた。


「87点の続きを、始めましょうか」


次話:「78点の男」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ