第4話「市場は宝の山」
週に一度、下町の広場に大市が立つ。
いつもの仕入れとは規模が違う。近郊の農家が荷馬車ごと乗り付けて、川港から魚が上がり、香辛料商の天幕まで並ぶ。夜明けの広場は呼び込みの声と、土と藁の匂いと、絞めたての鶏の気配でいっぱいだった。
「いいか、味見係。大市は戦場だ。ぼやぼやしてると良いもんは昼前に消える」
「望むところですわ」
マルセルさんが大籠を背負い、わたくしは前掛けに財布、アガットは帳面と天秤を持つ。我ながら役割分担の取れた遠征隊である。
最初の獲物は、八百屋の台で見つけた。
「マルセルさん、あの人参」
「あ? あれは屑の山だろう」
台の隅に追いやられた木箱。二股に割れた人参や曲がった人参、太りすぎたのまでが投げ売りの札を付けられて積まれている。
「形は屑でも、味は屑ではありませんことよ」
1本手に取る。ずっしり重い。首の切り口はみずみずしくて、香りが土ごと甘い。形が悪いのは育ちすぎただけ。煮込みにとって、形なんて鍋の中で消える情報だ。
「この箱、まとめておいくら?」
「あん? 嬢ちゃん、そりゃ馬の餌……」
台の奥から出てきたのは、腕の太いおかみさんだった。日に焼けた顔に、値踏みの目。
「……いや、待ちな。あんた、噂の点付けの嬢ちゃんだね? 銅鍋亭の」
「あら、ご存じで」
「うちの宿六が先週、銅鍋亭のシチュー食って帰ってきてさ。『人参の味がした』って5回言ったんだよ。気味が悪いったら」
それはどうも。5回はたぶん、褒め言葉。
おかみさんはロザリーさんといった。この市で30年、野菜を売っているらしい。
「言っとくけど、屑箱に詰めてるのはあたしの目が曇ってるからじゃないよ。お貴族様も料理屋も、揃って形のいいのしか買わないからさ。味が分かって買う客なんて——」
「ここにいますわ」
わたくしは箱の中から、二股の人参をもう1本掲げた。
「採点いたしましょう。香り89点、重み87点、見た目12点。煮込み用としては、この市場で今朝いちばんの上物ですわ」
ロザリーさんが、ぷっと噴き出した。
「見た目12点は言い過ぎだろ!」
「正直は味見係の商売道具ですもの」
「気に入った! 箱ごと持ってきな。値は銅貨3枚でいい」
マルセルさんが横で「いつもの3分の1だ……」と呻いた。遠征隊、幸先の良い初戦である。
その後も狩りは続いた。
魚の台では、エラの色と目の張りで2尾を選び、腹の緩んだ残りを丁重にお断りした。香草の束は、茎を指で弾いて香りの立ち方を確かめる。玉ねぎは皮の乾き具合。じゃがいもは芽の窪みの深さ。
ひと回りする頃には、なぜか後ろに見物人がついていた。
「……なあ、今の見たか。嬢ちゃんが弾いた魚、よく見たら目が濁ってた」
「うちのカミさんに教えてえ」
見られて困る技ではないので、ご自由にどうぞ。目利きは秘術ではなくて、ただの観察ですもの。
一方で、収穫のない台もあった。
香辛料商の天幕。胡椒ひと袋の値札を見て、わたくしは二度見した。
「……これ、銀貨3枚ですの?」
「お嬢さん、胡椒は海の向こうから来るんだ。仕方ねえよ。関所を3つ越えるたびに値が倍になる」
「中身を拝見」
ひと粒、指で潰して香りを確かめる。……古い。香りの油が半分飛んでいる。海を渡った時間のせいというより、保管の問題。これで銀貨3枚は、率直に申し上げて追い剥ぎに近い。
「42点。お値段は据え置きで結構ですから、せめて袋を陽に当てないことね。香りが飛んだ胡椒は、ただの黒い砂ですわ」
「な……勝手に値踏みすんな!」
天幕の主人には怒られたけれど、周りの見物人がさっと引いたので、効果はあったらしい。香辛料の流通、いつか誰かが何とかすべき問題だと思う。ノートの隅に書いておこう。『香辛料・流通に難。改善の余地、大』。
お昼前。戦利品を山と積んで、わたくしたちは広場の隅の屋台で休憩にした。
炭火の串焼き屋。豚の串が、じゅうじゅうと脂の音を立てている。焼き手は陽気な兄さんで、振りかけている赤い粉が気になった。
「1本くださいな。……あら」
ひと口で、分かった。塩だけじゃない。乾燥香草と、ほんの少しの唐辛子と、何か柑橘の皮を乾かして挽いたもの。
「この赤い粉、あなたの配合ですの?」
「お、分かるかい嬢ちゃん。婆ちゃん直伝の混ぜ塩よ」
「71点。お見事ですわ。脂の重さを柑橘の皮が引き上げて、後を引く辛さが次のひと口を呼ぶ。……粉の挽きが少し粗いのだけが惜しい。歯に当たった粒が、たまに香りより先に苦味を出しますの」
「……碾き臼、買い替えるかあ」
兄さんは笑って、お代わりの串をおまけしてくれた。アガットが「無償の助言が今日4件目です」と帳面に何か書いている。何の帳面なの、それ。
マルセルさんは串を齧りながら、横目でわたくしを見ていた。
「……あんた、見てると分かるな」
「何がですの」
「点数ってのは、あんたにとっちゃ喧嘩じゃねえんだ。挨拶なんだな」
あら。
今日いちばんの言葉が、まさかの23点の男から出た。
「ええ、そうですわ。美味しいものを作る人に、わたくしが返せる一番丁寧な挨拶。——それを分かってくださる方は、多くありませんのよ。王宮には一人もいませんでしたわ」
「だろうな。あいつら、形のいい人参しか買わねえ連中だ」
マルセルさんがそう言って、ふん、と笑った。初めて見る種類の「ふん」だった。
帰り道。荷を分け持って店に戻ると、ジョフロワさんが先に来て、定位置に座っていた。
「おう、大漁だの」
「ええ。今夜のシチューは過去最高を更新しますわよ」
「楽しみだのう。……なあ、マルセルよ」
ジョフロワさんは湯呑みの白湯をすすって、ぽつりと言った。
「シチューが戻ってきたらよ、欲が出ちまった。次はあれだ。……女将さんの白いスープが、もういっぺん飲みてえなあ」
がちゃん。
マルセルさんの手から、玉ねぎが3つ、土間に落ちて転がった。
拾わない。拾わないまま、マルセルさんは背中を向けて厨房に入ってしまった。重い足音と、乱暴に水を使う音。
ジョフロワさんが、しまった、という顔で湯呑みを置く。
「……悪いことを言ったかの」
「いいえ」
わたくしは転がった玉ねぎを拾い集めながら、首を振った。
「悪いのは言葉ではありませんわ。3年間、誰もその名前を口に出せなかったことのほうですもの」
その夜のノート。
『大市の戦果:規格外人参1箱(銅貨3)、川魚2尾、香草各種。串焼き屋の混ぜ塩71点。胡椒の流通は42点、いずれ何とかしたい。
そして——白いスープ。常連の願い、確認。鍋は磨かれている。願っているのは、たぶんお客だけではない。
次の実験テーマ、決定』
「お嬢様。また点をつけていますね」
「ええ。それとね、アガット」
ノートを閉じて、わたくしは言った。
「明日から少し、難しい実験を始めますわ。火も包丁も使わない、聞き取りの実験。——手伝ってくださる?」
アガットは瞬きをひとつして、それから黙って頷いた。
次話:「舌は覚えていますわ」




