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採点いたしますわ——断罪された悪役令嬢は100点の皿を探し続ける  作者: 夜凪 蒼


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第28話「この胸騒ぎに点はつけられません」

リュカさんは週に一度、橋を渡って王膳所に通うようになった。


 200年ぶりの型改定。検討の座は紛糾しているらしく、帰ってくるたびに「典礼派が」「いや師匠が今日は」と、疲れた顔で楽しそうに報告してくれる。けっこうなことである。


 けっこうなことなのだけれど。


「……ニナさん。今日は何曜日でしたかしら」


「リュカ様が王宮の日ですわ」


「あら、そう。別に訊いたのはそういう意味では」


「クロエ様、さっきから3回も窓の外をご覧になっていますわ」


「換気の確認ですわ」


「窓、開いていませんけれど」


 この看板娘、舌だけでなく目までいいのが玉に瑕である。


 夕方の営業は、つつがなく終わった。新顔の行商人が持ち込んだ干し茸の出汁を試して72点、ベルナールさんの試作の胡桃パンに76点。わたくしの物差しは今日も正常稼働。何の問題もない。


 問題は、閉店後に起きた。


 橋を渡って帰ってきたリュカさんが、外套も脱がずに厨房へ入っていって、しばらくして、一皿を持って出てきたのである。


「……座っててくれ」


「あら、更新ですの? 今日はもう舌が店じまいを——」


「更新じゃない」


 どん、と置かれた皿の上には、小さな焼き菓子があった。


 素焼きの器に、とろりと固まった山羊乳と卵の生地。表面には蜂蜜を焦がした薄い膜が張っていて、ほろ苦い香りが、ふわりと立ちのぼる。


 ……これ。


 これ、は。


「あんた、市場で甘味の屋台を見るとき、いつも少しだけ足が遅くなる。買わないのにな。それで、食う時は——目を閉じる時間が、他の皿より長い」


 リュカさんは、椅子に掛けながら言った。なんでもないことみたいに。


「王宮の帰りに、卵と山羊乳がいいのが手に入った。それだけだ。……点はいらない。更新でも挑戦でもない。ただの、あんたの飯だ」


 ただの、あんたの飯。


 匙を入れると、焦げた蜂蜜の膜が、ぱり、と小さな音を立てて割れた。下から現れた生地は湯気をまとって、ひと匙すくえば、ふるりと揺れる。


 口に運んだ。


 甘い。優しく、甘い。卵のこくと山羊乳の軽さ。ほろ苦い蜂蜜の膜が上から全部をまとめて——ああ、これは、あれだ。前世のわたくしが、最後の朝に買いに走った、あの。


 3か月待ちの幻のプリンを、わたくしは結局、食べられなかった。駅の階段で人生が終わったから。それがどうだ。世界をひとつまたいだ場末の食堂で、隣の料理人が何も知らずに、それを焼いて出してきた。


 点数を。


 点数を、つけなくては。味見係ですもの。84? いえ、技術的には蜂蜜の膜の厚みが——膜の、厚みが——


 ……あら?


 出てこない。


 数字が、出てこないのだ。舌は完璧に動いている。要素は全部読めている。なのに、いつもなら鼻歌みたいに降りてくる数字が、胸のあたりで何かに引っかかって、降りてこない。


「……どうした。まずいか」


「いいえ」


「なら、何点だ」


「————採点、できませんわ。今夜は」


 自分で言って、自分で驚いた。リュカさんも、目を見開く。それから、ふっと笑った。


「ならいい。点のいらない皿のつもりで、作ったからな」


 その顔が、いけなかったのだと思う。


 どん、と胸の奥で、何かが鳴った。心音にしては大きすぎる音だった。


 わたくしはその夜、寝台の上で自己診断を行った。味見係の体調管理は職務のうちである。


 症状:胸部の動悸、断続的。顔面の発熱、軽度。食欲、正常(プリンは完食した)。思考の一部が同じ場面を繰り返し再生する不具合あり。


 仮説1、風邪。——却下。熱はアガットが計って「ありません」と即答した。即答が早すぎたのも気になる。


 仮説2、食あたり。——却下。あの焼き菓子の材料に当たる要素は皆無。むしろ完璧だった。完璧だったのだ、悔しいことに。


 仮説3、舌の故障。——保留。数字が降りてこなかったのは観測事実。ただし夕方までは正常稼働していた。故障の発生時刻は、あの皿が置かれた瞬間に限定される。


 ……つまり原因は、あの皿。もしくは。


 もしくは、あの皿を「あんたの飯だ」と言って置いた、あの——


「これは、まずいですわ」


 わたくしは枕に顔を埋めた。仮説4が、輪郭を結ぶ前に思考を打ち切る。研究者の風上にも置けない態度であることは、重々承知の上である。でも世の中には、検証してはいけない仮説というものが、あるのだ。たぶん。今は。


 翌朝。


「お嬢様。お加減はいかがですか」


「万全ですわ。今日も舌は正常稼働ですのよ」


「左様ですか」


 アガットは朝のお茶を、完全な無音で置いた。それから、何の抑揚もなく付け足した。


「昨夜の焼き菓子の器、リュカ様が今朝、誰よりも早く来て、御自分で洗っていらっしゃいました。鼻歌つきで」


「……あら、そう」


「鼻歌、ですよ。あの方が」


「……あら、そう」


「以上、ご報告まで」


 この侍女は、わたくし係の職務範囲を、何か拡大解釈していないかしら。


 ノートを開く。昨夜から白いままの、採点欄。


 味見係になって初めて、わたくしは「不明」という文字を、点数の欄に書いた。


『リュカの焼き菓子(蜂蜜の膜の、山羊乳のプリン):採点不能。

 技術所見:完璧に近い。問題は技術側ではなく、観測機器(わたくし)側の不具合と思われる。

 不具合の内容:数字が胸でつかえて降りてこない。発生条件:特定の作り手+「あんたの飯だ」。

 対応:原因調査は——保留。期限未定。

 備考:あの皿は、前世の最後の宿題と同じ味がした。こんな偶然があるなら、世界も結構、隅に置けませんわね』


「お嬢様。また点をつけていますね」


「いいえ、アガット。今日のは——つけられなかった記録よ」


次話:「王都味見役、始めます」

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