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採点いたしますわ——断罪された悪役令嬢は100点の皿を探し続ける  作者: 夜凪 蒼


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第23話「伝統への敬意を一皿に」

本選当日の夜明け前、最後の2点が降ってきた。


 降らせてくれたのは、ガストンさんの差し入れの混ぜ塩だった。竈の脇に置いてあった小袋から、ふわりと柑橘の皮の香り。


「……これだわ」


「お嬢様?」


「アガット、起こしてごめんなさいね。リュカさんとマルセルさんも呼んで。最後のひと品が決まりましたの——祝いの香りですわ」


 祝いの席の記憶を、鼻はずっと覚えている。建国祭の朝に町中で炊かれる、蜂蜜と柑橘の皮の甘い湯気。子どもの頃の祝いの匂い。あれを、仕上げの戻り香に仕込む。舌が鈍っていても、鼻の奥の記憶は鈍らない。


 夜明けの厨房で、最終形が完成した。


 祝いの白いスープ・御前仕様。澄んだ鶏がらの出汁に、白いんげん豆と炙り黒パンのとろみ。塩は限界まで引いて、出汁と香りと温度で組んだリュカさんの手品。仕上げに蜂蜜をひと刷毛と、乾かした柑橘の皮をほんのひとつまみ——飲み込んだ後、鼻の奥に祝いの朝が戻ってくる。


「86点。……これがわたくしたちの、今出せる全部ですわ」


「上等」とマルセルさん。


「行こう」とリュカさん。


 王宮の調理場は、戦場の朝だった。


 本選は5組が同時に調理し、出来たてを御前に運ぶ形式。調理台はくじ引きで、うちは銀杯亭の隣。オーバン氏は今日も優雅に目礼ひとつ寄越さず、クレマン書記官は監督官の腕章を付けて、わたくしたちの台の周りばかりを歩いている。


「点付け殿。本日は妙な騒ぎを起こされませんよう」


「ええ、お料理だけしに参りましたの。……あら、そういえば書記官さま。審査のお席で出されるお茶は、どちらが?」


「王膳所の手配だが——それが何か」


「いえ。良い香りのお茶だといいわね、と」


 クレマン氏は怪訝な顔で行ってしまった。ニナさんがすすっと寄ってくる。


「クロエ様。控えの間のお茶、検めて参りましたわ」


「それで?」


「……ありましたの。甘痺の蜜。審査のお歴々の茶器の盆、12客のうち7客。一の皿の時と、同じ数」


 同じ7人。つまり、狙いは固定されている。


「時刻と客数、ノートに記録を。それから、こちらの仕込みに集中しますわよ。——お守りは持った。あとは、届く皿を作るだけ」


 調理開始の銅鑼が、鳴った。


 うちの台は、静かだった。


 マルセルさんの出汁。30年の手と、数値で書き残した数か月の記録が、一切の迷いなく火を操る。リュカさんの仕込み。豆の裏ごしの粒度にパンの炙りの面。9年の型と母譲りの手品が、同じ手の中で初めて味方同士になっている。


 アガットは兵站総監として、道具と水と布巾を、必要になる半呼吸前に差し出し続けた。ニナさんは検味補佐として、すべての材料を鼻で検めてから鍋に通した。


 わたくしは指揮。そして、記録。


 順調——だった。仕上げの一歩手前までは。


「クロエ様」


 ニナさんの声が、低くなった。盆の上の塩壺を検めた姿勢のまま、動かない。


「この塩、匂いが違いますわ」


「……違う、とは?」


「うちの岩塩ではありません。粒の形は似せてありますけれど、苦塩が混ぜてあります。舐めれば一発で分かる濃さ——仕上げに使えば、後味が苦く濁りますわ」


 すり替え。


 いつ。——考えるまでもない。さっき監督官の「巡回」が、うちの台の脇を通った時だ。


 リュカさんの顔色が変わった。マルセルさんの太い眉が、ぐ、と寄った。会場のどこかから、こちらを窺う視線。騒げば「下町が言いがかりを」の筋書きまで、たぶん用意されている。


 わたくしは、塩壺を手に取って、しげしげと眺めた。


 それから——笑ってしまった。


「困りましたわね」


「お、お嬢様!? 笑いごとでは」


「だって、ニナさん」


 わたくしは壺を、ことりと台の隅に置いた。使わない物の置き場所に。


「うちの皿、塩をほとんど使いませんのよ」


 仕掛けた誰かは、知らなかったのだ。うちの一皿が、最初から「塩に頼らない祝い」として設計されていることを。仕上げの塩なんて、もともとひとつまみも要らない。


「妨害は成立しませんでしたわ。むしろ教えていただけましたわね——この皿の設計が、敵にとっていちばん怖い、ということを」


 リュカさんが、ふ、と息を漏らした。マルセルさんの眉が戻って、にやりに変わった。


「……ああ、まったくだ。塩を盗まれて痛くも痒くもねえ料理人なんて、王都にうちらだけだろうよ」


「念のため、検味記録に追記を。『仕上げ前、塩壺に異物混入を確認。当該壺、使用せず』。時刻も。——お守りは、厚いほどよろしいの」


 鍋が、仕上がっていく。


 湯気の白。女将さんの白。その上に、蜂蜜と柑橘の、祝いの朝の香り。


 給仕の作法も、打ち合わせ通りに。蓋付きの白磁の深器——典礼の型のまま。一人前ずつ、寸分違わぬ等しい盛り——型のまま。ただしその中身は、上座の老大臣も、最後のひと匙まで食べられる配合。


 型は、ひとつも破らない。


 意味で、満たすだけ。


「銅鍋亭、仕上がりました」


 式部官に告げると、会場がざわりと揺れた。5組の中で、一番乗りだった。火加減の勝負所が少ない設計は、こういう時にも強い。


 御前に皿が運ばれていく。蓋のされた白磁の列が、長い廊下を渡っていく。あの蓋の意味を、わたくしたちはもう知っている。検めた者の責任と、温かさを運びきる約束。


「……行ったな」とリュカさん。


「ええ。行きましたわ」


 ここから先は、皿が語る時間だ。作り手にできるのは、もう祈ることだけ——いいえ。


 わたくしは、ノートを構え直した。


 味見係にできることが、もうひとつだけ残っている。この目で見届けて、全部記録すること。あの皿が誰の前に置かれ、誰の匙が止まり、誰の器が空になるのか。


 壇上では、王族と審査団が着席を終えていた。


 上座の端に、あの老大臣もいる。給仕がその前に、湯気の立つ器をひとつ、置いた。


『本選・仕上げ完了:祝いの白いスープ御前仕様、86点。香りの最終ピース=ガストンさんの混ぜ塩の知恵(蜂蜜+柑橘の戻り香)。下町の知恵、全部この一皿に。

 妨害:塩壺すり替え(苦塩)。ニナ検知、使用せず、記録済み。設計上、実害ゼロ。敵さん、塩に頼る皿だと思っていらしたのね。

 茶器の細工:7/12客、一の皿と同数。記録済み。

 いま、皿が御前へ。——さあ、答え合わせの時間ですわ』


「お嬢様。また点をつけていますね」


「いいえ、アガット。今はまだよ」


 わたくしはペンを握ったまま、壇上の老大臣の手元だけを見つめていた。


「これからつくのは、わたくしの点ではなくて——あの方たちの匙が、つけてくださる点ですもの」


次話:「勝負の行方」

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