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採点いたしますわ——断罪された悪役令嬢は100点の皿を探し続ける  作者: 夜凪 蒼


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第1話「世界一まずいシチューですわ」

空腹は、人を素直にする。


 夕暮れの下町を、わたくしとアガットは歩いていた。頭上では洗濯紐が道を跨ぎ、軒先からは雨上がりの雫がぽたぽたと首筋を狙ってくる。革靴は泥を吸って重い。歩くたび、ぐず、と情けない音がする。


「お嬢様。本日宿を断られた件数が、これで7件になりました」


「数えなくていいのよ、アガット」


「うち3件は『サヴァランのご令嬢』と気づかれての門前払い。残り4件は満室です」


 昨夜の断罪劇は、もう王都中に広まっているらしい。婚約破棄された公爵令嬢。お父様からは今朝、短い手紙が届いた。『ほとぼりが冷めるまで領地に戻れ』。


 お断りしました。


 だって、あのテリーヌの作り手がこの王都のどこかにいるのだ。87点の腕を持つ誰かが。見つけ出すまで、王都を離れるわけにはいかない。


 ——という決意は固いのだけれど。


 ぐう、とお腹が鳴った。決意では胃袋は膨れない。


「アガット。何か、匂いません?」


「気のせいです。歩いてください」


「いいえ、これは……玉ねぎを炒めた匂い。それと、骨を煮た……」


 鼻が勝手に道を曲がる。路地の奥、傾いた看板に『銅鍋亭』の文字。窓から橙色の灯りが漏れていて、扉の隙間から、確かに煮込み料理の匂いが流れ出している。


 匂いの第一印象、悪くない。素材は鶏がら。香味野菜もちゃんと入っている。


「お嬢様、素性の知れない店は」


「アガット。わたくしたちが今、素性の知れない女二人ですわ」


 扉を押した。


 からん、と上で鈴が鳴る。店内は思ったより広くて、思ったより、空いていた。卓が8つ。客はゼロ。壁には店名の由来らしい大きな銅鍋が掛けてあって、長年磨かれてきたのか、鈍い飴色に光っている。


「……客か」


 厨房の奥から、声がした。


 熊みたいな男の人が顔を出す。年の頃は60手前。白髪交じりの髭、太い腕、年季の入った前掛け。眉間の皺が深くて、いらっしゃいませの「い」の字もない。


「2名ですわ。お料理を2人前、お願いいたします」


「シチューしかねえ」


「ではそのシチューを」


 男の人は無言で奥に引っ込んだ。アガットが椅子の埃を払い、わたくしを座らせ、自分はその隣に立とうとするので袖を引いて座らせる。ここは下町。侍女が立って控える店ではない。


 待つあいだ、店内を観察した。


 床は掃除が行き届いている。卓は古いが、がたつきはない。調味料の壺は口が拭き清められていて、銅鍋は埃ひとつなく磨かれている。


 手入れの行き届いた、お客のいない店。


 嫌な予感と、興味が半々。


「お待ちどう」


 どん、と木の器が置かれた。


 シチューだ。茶色い。具は大ぶりのじゃがいもと、人参と、肉のかたまり。湯気の向こうから漂う匂いを、まず吸い込む。


 ……あら?


 外で嗅いだあの匂いより、ずっと濁っている。焦げの苦い匂いの奥に、灰汁の鈍い匂い。それから、塩。匂いの段階でもう塩辛い。


 スプーンを取る。アガットが先に手を伸ばしかけたのは毒見の癖ね。制して、わたくしが先に掬う。


 一口。


 ——なるほど。


 口に入れた瞬間、塩の壁。その向こうで肉の旨味が出かかっているのに、灰汁の渋みが横から殴ってくる。じゃがいもは煮崩れる寸前まで火が通っているのに、人参の芯は硬い。投入の順番が間違っている。そしてこの焦げの苦味は、鍋底を最後まで掻いてしまった証拠。


 素材はいい。鶏がらの出汁は本物だし、肉の質も悪くない。


 なのに、工程のすべてが、少しずつ間違っている。


「お嬢様」


 アガットが小声で言った。


「顔に出ています」


「出してませんわ」


「ノートを出そうとする手が出ています」


 はっとした。右手が無意識にドレスの隠しを探っていた。


 駄目よクロエ。ここは昨夜の王宮ではないの。場末の食堂で点数なんてつけたら、ただの感じの悪い女——


「おい」


 低い声。見上げると、店主が腕を組んで立っていた。


「口に合わねえか、お貴族様」


 あ、これは。完全に顔に出ていたパターン。


「……いえ。その」


「言いてえことがあるなら言え。残すなら金は取らねえ。出てけ」


 売り言葉に、買い言葉。


 いいえ、違う。この人の目は喧嘩を売っている目じゃない。試している目だ。どうせお前も、何も言わずに残して消えるんだろうという、諦めの目。


 空腹は人を素直にすると、申し上げましたわね。


 わたくしはスプーンを置き、ノートを取り出して卓の上に開いた。


「では、採点いたしますわ」


「……は?」


「23点」


 店内の空気が、固まった。


「世界一まずいシチューですわ。素材がこれだけ良いのに、ここまでまずく作れるという意味で、世界一」


「て、てめえ……!」


 店主の顔が赤黒くなる。アガットが無表情のまま、すっと出口までの動線を確認したのが分かった。逃げ足の準備が早い。


 でもわたくしは続けた。ペンを走らせながら。


「出汁、鶏がら。引き方は丁寧で雑味がない。ここは85点。肉の下処理も及第。なのに完成品が23点になる理由は3つ」


「な……」


「1つ。灰汁を取る時機が遅い。沸騰してから取ったでしょう。沸く直前に集めて一気に引かないと、渋みが出汁に溶けますの。2つ。野菜の投入順。じゃがいもと人参を同時に入れましたわね。火の通りが違うものを同時に入れれば、片方は崩れて片方は生煮え。3つ——」


 顔を上げて、店主の目を見た。


「塩。この塩辛さは、味見をしないで塩を足した味ですわ。あなた、自分のシチューの味見が、できていない」


 店主の赤黒かった顔から、すっと色が引いた。


 図星、らしい。


「味見をしても、分からなくなったんじゃありませんこと? 正解の味を覚えているのに、自分の鍋がその味にならない。だから塩を足す。足しても届かない。また足す。——この鍋、そういう迷子の味がしますわ」


 沈黙が落ちた。


 外を荷馬車が通る音が、やけに大きく聞こえる。


 店主は何も言わずに、わたくしの手元のノートを見ていた。23点の数字と、その下にびっしり並んだ分析の文字を。


「……あんた、何もんだ」


「クロエと申します。しがない、食いしん坊ですわ」


「公爵家のサヴァランです」とアガットが横から補足する。余計なことを。店主の眉がぴくりと動いた。


「サヴァラン……ああ? あんた、まさか昨夜、王子さんの婚約破棄をすっぽかして飯を食ってたっていう」


「すっぽかしてはおりません。断罪は最後まで拝聴いたしました。食べながら」


「…………」


「…………」


 店主が、ふん、と鼻を鳴らした。怒りの鼻息ではなくて、呆れの。それから無言で器を下げようと手を伸ばすので、わたくしは器を両手で抱え込んだ。


「何をなさるの」


「まずいんだろうが。下げるんだよ」


「食べますわ。残すなんてもったいない。23点には23点の食べ方がありますもの」


 パンを千切って、シチューに浸す。塩辛さはパンが吸えば緩和される。灰汁の渋みは、よく噛んで肉と一緒に飲み込めば気にならない。空腹という最高の調味料も、まだ手元にある。


 もぐもぐと食べ進めるわたくしを、店主が変な生き物を見る目で見下ろしている。


「……まずいんじゃなかったのか」


「まずいですわ。でも、もったいないの。この鍋の底に、85点の出汁が眠っているんですもの」


 手が止まった。店主の、ではなく。


 わたくしの手が、止まった。言ってしまってから気づく。85点の出汁。そう、出汁は本物なのだ。ということは、この人は基礎のある料理人で、それがどこかの時点で、味見ができなくなった。


 手入れの行き届いた、お客のいない店。


 磨き込まれた銅鍋。


 迷子の味。


「ねえ、ご店主。この店、3年ほど前から味が変わったと言われませんこと?」


 店主の肩が、はっきりと揺れた。


「……何で、分かる」


「灰汁の取り方も野菜の順番も、昔は体が覚えていたはずの手順だからですわ。腕が落ちたのではなくて、手順を組み立てていた何かが、抜けている。そういう崩れ方をしています」


 店主は長いこと黙っていた。それから、組んでいた腕をほどいて、ぼそりと言った。


「……名乗ってなかったな。マルセルだ」


「マルセルさん。良いお名前」


「世辞はいい」


 マルセルさんは厨房に引っ込むと、何かをごとごとやって、戻ってきた。新しい器。中身は同じシチュー。それをアガットの前ではなく、どん、とわたくしの前に置いた。


「もう一杯ですの? 嬉しい」


「……さっきの講釈。灰汁と、野菜の順番と、塩。明日の仕込みでやってみる。だから」


 マルセルさんは、わたくしから目を逸らして、銅鍋の方を見た。


「明日も来て、点をつけろ」


 あら。


 あらあらあら。


「お嬢様」アガットが耳元で囁く。「お断りすべきです。わたくしたちは今夜の宿もないのですから、明日の約束など——」


「マルセルさん。この店の2階、お部屋はあって?」


「あ? ……物置と、空き部屋が1つあるが」


「では商談ですわ。住み込みの味見係として、わたくしとアガットを置いてくださいまし。お給金は不要。寝床と、1日2食。その代わり、この店のシチューが60点を超えるまで、毎日採点して差し上げます」


「お嬢様!?」


 アガットの声が珍しく裏返った。マルセルさんは目を丸くして、それから疑わしげに眉を寄せた。


「……公爵家の令嬢が、場末の食堂に住み込むだと」


「あら。昨夜婚約破棄されたばかりの令嬢に、他にどんな就職先がありますの」


 マルセルさんはわたくしの顔と空になりかけた器、それからノートの23点を順番に見た。


 長い沈黙のあと、深いため息がひとつ。


「……飯はまずいぞ」


「存じてますわ。23点ですもの」


「……部屋は埃だらけだ」


「アガットが3時間で人の住める場所にいたします。彼女、そういうことの天才ですの」


 アガットが諦めた顔で頭を下げた。マルセルさんはもう一度ため息をついて、前掛けで手を拭きながら厨房へ戻っていく。その背中が、ぼそりと言った。


「……60点超えたら、出ていくのか」


 あら。


 今の言葉、ちゃんと聞き取りましたわよ。


「超えてから考えますわ。なにせこの店、伸びしろしかありませんもの」


 返事はなかった。代わりに厨房から、鍋を磨く音が聞こえ始めた。今夜はもう店を閉めるはずなのに。


 わたくしはノートの2ページ目に、今日の記録をつける。


『銅鍋亭のシチュー・23点。出汁85点、工程に迷子。原因は3年前——要調査。目標:60点。ここを王都で一番の食堂にすること——は、まだ内緒』


「お嬢様」


 アガットが荷物を抱えて、2階への階段を見上げながら言った。


「また点をつけていますね」


「ええ。これからは毎日つけるのよ。お仕事ですもの」


 悪役令嬢の再就職先は、客ゼロの場末の食堂。


 悪くない。だってここの出汁は、85点なんですもの。


次話:「辛口は愛のうち」

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