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採点いたしますわ——断罪された悪役令嬢は100点の皿を探し続ける  作者: 夜凪 蒼


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第17話「伝統の92点」

「競技に先立ち、王膳長が範を示す」


 式部官の声に、会場がどよめいた。


 古い習わしらしい。御前試食会では、競技の前に王膳長自らが範例の一皿を献じ、「これがこの国の型である」と示す。審査の物差しを、先に全員へ食べさせるのだ。


 リュカさんが、息を呑むのが分かった。


「……師匠が、御前で鍋を出すのは、9年で2回しか見たことがない」


 ボリス・ブレゼが、調理台に立った。


 助手は2人。けれどほとんどの工程を、王膳長は自分の手でやった。雉の骨を払う包丁の角度。根菜の面取りの、定規で測ったような均一さ。澄まし汁を張る時の、手首の止め方。


 無駄がない、という言葉では足りない。あれは無駄を削った手ではなくて——200年かけて磨かれた型を、骨の髄まで写し取った手だ。一挙手一投足が、誰かの一生分の研鑽の上に立っている。


 会場中の料理人が、瞬きを忘れて見ていた。リュカさんは祈るような目をしていた。憎みきれるはずがないのだ、あの手を。あの手から、すべてを貰った人なのだから。


 やがて、祝いの鍋が成った。


 白磁の鍋に、金色に澄んだ汁。雉の身と、亀甲に切られた蕪、長寿を象る結びの青菜。立ち上る湯気は薄絹のようで、香りは——静かだった。騒がない。誇らない。ただ、底の方からゆっくりと押し寄せてくる。


 範例の鍋は王族に献じられ、それから小さな碗に分けられて、参加者にも回された。物差しを食べさせるための、儀式の一杯。


 わたくしは碗を両手で受けて、まず香りを聞いた。


 雉の出汁。下に昆布のような海藻の気配。浄めの香草が、輪郭だけ残してすっと退いている。


 ひと口。


 ——ああ。


 度肝を、抜かれた。


 澄んでいるのに、厚い。どこかで聞いた言葉だけれど、桁が違う。出汁の層が、口の中で順番に礼をして通り過ぎていく。雉に海藻、根菜の甘み、最後に香草の名残。喧嘩がひとつもない。すべての素材が、自分の出る幕を200年前から知っている。


 型とは、これか。


 ひと口の中に、200年分の「こうすれば美味しい」が折り畳まれている。誰か一人の閃きではない。何百人の料理人が、何万回の祝いの席で、少しずつ確かめてきた答えの集積。型は鋳型ではなくて——巨大な、レシピの記憶なのだ。


 気づけば、碗が空いていた。


 そして気づけば、わたくしは立ち上がっていた。


「王膳長様」


 会場中の目が、こちらを向いた。式部官が慌てて何か言いかけたけれど、止まれなかった。味見係の性である。


「採点いたしますわ。——92点」


 大広間が、凍りついた。


 扇が止まる。衣擦れが止まる。壇上の殿下が、身を乗り出したのが見えた。


「92点。わたくしが今生で食べたすべての皿の中で、最高点ですわ。王都歴代1位、更新。この鍋は——本物ですわ」


 ざわめきが、波のように広がった。「下町の点付けが、王膳長に最高点を」「敵に塩を送るのか」「いや、媚びたのだろう」。


 ボリス氏は、動かなかった。


 彫像のような顔のまま、わたくしを見下ろして、低く言った。


「……世辞か。それとも、命乞いか」


「どちらでもありませんわ。わたくし、味で嘘をつきませんの。敵の皿でも、美味しいものは美味しい。それを曲げたら、わたくしの点数はただの算盤になりますもの」


「ほう」


 秤の目が、すっと細くなった。


「では訊こう、味見係。8点。貴様の物差しで、儂の鍋に足りなかった8点は、何だ」


 来た。


 会場が、再び静まる。これは罠だ。答えられなければ「数字遊び」の証明になり、的外れなら嘲笑が待つ。リュカさんが「やめろ」という顔でこちらを見ている。


 でも、訊かれたのだ。減点の理由を。


 それに答えるのは、味見係の礼儀である。


「——お言葉に甘えて。まず2点は、雉の脂ですわ。この鍋の型が結ばれた時代の雉は、もっと痩せていたはずですの。今の雉は飼育が良くなって脂が乗っています。型の通りの下処理では、脂がほんの少しだけ、汁の透明度の足を引きますわ」


 ボリス氏の眉が、動いた。


「残りの6点は——季節ですわ」


「……季節だと」


「この配合は、底冷えのする冬の、芯まで凍えた体のためのものですわね。塩がわずかに強く、根菜が大ぶりなのはそのため。200年前の王都の冬は、今より寒かったと聞きますわ。暖炉も窓も外套も、当時より良くなりましたもの。——つまりこの鍋は、200年前の冬には、おそらく100点でしたのよ。今日のわたくしたちの体には、92点。型は完璧ですわ。完璧なまま、少しずつ、時代と離れていっていますの」


 言い切って、わたくしは静かに座った。


 沈黙が、長かった。


 ボリス氏は微動だにしない。けれどその目の奥で、何かが——秤の針が、わずかに揺れたように見えた。


「…………戻れ」


 絞り出すような声だった。怒鳴り声より、ずっと重い。


「競技を、始める」


 王膳長は背を向けた。その背中を、リュカさんが蒼白な顔で見つめていた。当然だと思う。「型が時代と離れていく」——それは3年前、彼が王宮で言おうとして言えず、皿で言ってしまったことのはずだから。


「……あんた、とんでもないことを言った」


「あら。点数の内訳を申し上げただけですわ」


「あの人に『時代と離れてる』なんて、王宮の誰も……誰も、言えなかった」


 リュカさんの声が、震えていた。


「俺も、言えなかった。言葉で言えなくて、それで俺は——」


 言いかけた言葉は、式部官の声に断ち切られた。


「一の皿、伝統部門! 各店、調理を開始せよ!」


 会場が、戦場に変わる。


 火が入る。包丁が鳴る。5つの調理台が、一斉に動き出す。


 わたくしはノートを開いて、走り書きをした。調理台に向かうマルセルさんとリュカさんの背中に、その1行を見せる。


『敵は92点。型に型で挑んだら負けます。うちの鍋の60点台の歴史ごと、出しますわよ』


 マルセルさんが、にやりと笑った。


「おう。23点からの叩き上げだ。年季が違わあ」


『ボリス・ブレゼの祝いの鍋:92点(王都歴代1位)。型=巨大なレシピの記憶。喧嘩のない出汁。本物中の本物。

 減点8点:脂2(雉の時代差)、季節6(200年前の冬の配合)。完璧なまま、時代と離れていく型。

 ボリス氏、減点の内訳を自分から訊いた。点数の敵は、点数の中身には興味があるらしい。針、揺れた。

 リュカ:「言葉で言えなくて、それで俺は——」。鍋の蓋、持ち上がりかけている』


「お嬢様。また点をつけていますね」


「ええ。今日のは、王都でいちばん高くて、いちばん切ない点数よ」


次話:「初戦敗北」

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