第16話「宮廷という名の戦場」
準備のひと月は、嵐のように過ぎた。
規定の通知によれば、御前試食会は二皿勝負。一の皿は「伝統部門」——お題は当日発表。二の皿は「自由部門」——店の看板となる一皿を献じる。リュカさんは王宮時代の典礼の記憶を絞り出し、マルセルさんは鍋の仕込みを限界まで磨き、ニナさんは毎晩の試作を検味という名目で食べ尽くした。それは検味の量ではないと思う。
そしてアガットは、宣言通りにドレスを仕立て上げた。
仕立て屋のご夫婦が型紙を引き、布はロザリーさんが商人ギルドの伝手で都合し、縫いはアガット。深い葡萄色の、飾りのほとんどない一着。けれど袖は肘までで留まって腕が自由に動き、裾は歩幅を邪魔しない。胸元には小さな刺繍がひとつ——匙とペンを交差させた、味見係の紋章。
「下町中の寄せ集めです」とアガットは言った。「ですから、誰にも侮られません」
寄せ集めという言葉が、こんなに強い日が来るなんて。
当日。
王宮の門をくぐったわたくしたちを迎えたのは、磨き込まれた廊下と、好奇の視線の槍ぶすまだった。
「……あれが、例の」
「断罪された、サヴァランの」
「下町で点付けなどと、卑しい商売を」
ひそひそ声は、扇の陰から漏れるように設計されている。社交界の基本技術である。懐かしくて、あくびが出そう。
「クロエ様、クロエ様」とニナさんが袖を引いた。「皆さまに見られていますわ」
「ええ。見料は取れないものかしらね」
「あっ、廊下のあの彫刻、お菓子に似ていますわ」
「あなたはぶれなくて結構よ」
会場に通されて、わたくしは足を止めた。
大広間だった。
シャンデリア。楽団の席。壁際に長テーブル。——あの夜、わたくしが断罪された、あの大広間。テリーヌが並んでいた壁際には、今日は各店の調理台が並んでいる。
「……奇遇ですこと」
あの夜は審査される側で、退場する側だった。今日は皿を出す側で、点をつける側。同じ床の上で、人生はずいぶん風向きを変えるものだ。
参加店は、わたくしたちを含めて5組。
筆頭は「銀杯亭」——王膳所認可の名店筆頭、貴族の婚礼を一手に引き受ける格式の店。料理長のオーバン氏は銀髪を撫でつけた背の高い人で、わたくしたちの調理台を一瞥して、何も言わずに目を逸らした。眼中にない、という挨拶らしい。
控えの間では、宮廷の茶菓子が振る舞われた。礼儀としてひとついただく。
……あら、この香料の前への出方、覚えがありましてよ。
「64点。香料で素材を上塗りする癖、直っていませんのね」
「クロエ様、それ、どちらのお菓子ですの?」
「王妃陛下お気に入りの菓子店ですわ。わたくしの罪状の3つ目」
ニナさんが噴き出しかけて、慌てて淑女の顔を作った。
開会の刻限が近づくと、会場の空気が変わった。
王膳所の制服が一斉に動き、奥の扉が開いて——その人は、入ってきた。
白い料理着。固く結ばれた口元。歩くだけで厨房の温度が下がりそうな、彫像めいた背筋。年輪のような皺の刻まれた手が、それでも指の先まで張り詰めている。
王膳長、ボリス・ブレゼ。
会場の料理人たちが、一斉に頭を下げた。リュカさんも、下げた。誰よりも深く。
ボリス氏はゆっくりと会場を見渡して、その目が、わたくしたちの調理台で止まった。
正確には——リュカさんの上で。
「…………来たのか」
低い、岩を擦り合わせるような声だった。
「……はい。師しょ——いえ。王膳長」
リュカさんが言い直した、その一拍を、ボリス氏は表情ひとつ変えずに受け止めた。それから視線をわたくしに移す。値踏みの目、ではなかった。もっと冷たい。秤の目だ。人を乗せて、目盛りを読む目。
「貴様が、点付けか」
「味見係ですわ。クロエ・ド・サヴァランと申します。本日は、お招きにあずかりまして」
「招いてなどおらん」
ボリス氏は、にこりともしなかった。
「儀の場を借りて、正すだけだ。料理は数字遊びではない。型と、研鑽と、捧げる心だ。それを軽々しく点数なんぞで——」
「王膳長様。ひとつだけ、訂正を」
わたくしは、笑顔のまま申し上げた。
「わたくしの点数は、軽くありませんの。23点の店に通い詰めて、66点まで磨き上げる程度には、重うございますわ」
ボリス氏の眉が、ほんのわずかに動いた。何か言いかけて——その時、楽団が鳴った。
王族の入場である。
国王陛下、王妃陛下。そして第一王子ジルベール殿下。
殿下は壇上の席に着く直前に会場をさっと見渡して、わたくしのところで視線が止まって——それはもう見事な勢いで逸らした。首の角度が不自然でしてよ、殿下。フードがないと、そんなにも無防備ですのね。
「これより、建国祭の儀、御前試食会を執り行う」
式部官の声が、大広間に響いた。
「審査は、王膳所典礼基準に基づき、王膳長ならびに審査団がこれを行う。一の皿、伝統部門——お題は」
会場が、静まり返る。
「『祝いの鍋』」
ざわめきが走った。鍋。婚礼に出産に新築に、この国の祝い事の真ん中にはいつも鍋がある。そして——うちは、鍋の店だ。
「……来たな」とマルセルさんが低く言った。「うちの土俵だ」
「いいえ、マルセルさん」
わたくしは、壇上のボリス氏を見ていた。秤の目が、こちらを見下ろしている。
「うちの土俵に見える形をした、向こうの土俵ですわ。鍋なら下町も出しやすい——そう思わせて、審査するのは王膳所典礼基準。型の試験ですのよ、これは」
祝いの鍋を、宮廷の型で。
どちらの流儀で煮るのか、最初の選択から、もう勝負は始まっている。
『御前試食会、開幕。会場はあの大広間(因果なこと)。参加5組、筆頭は銀杯亭オーバン氏。
ボリス・ブレゼ、初対面。秤の目。「料理は型と研鑽と捧げる心」——点数の敵、でも言葉は本物の職人のもの。
一の皿:祝いの鍋。罠の形をした土俵。
宮廷茶菓64点(罪状3つ目の店、現状維持)。
余談:殿下の首の角度、不自然』
「お嬢様。また点をつけていますね」
控えの間の隅で、アガットが葡萄色の袖口を直しながら言った。
「ええ。今日はここが、わたくしの戦場ですもの」
次話:「伝統の92点」




