第15話「御前試食会の招待状」
建国祭が、ひと月後に迫っていた。
下町の通りには早くも色紙の飾りが揺れ始めて、市場では祭り用の砂糖と香辛料の取り合いが始まっている。ロザリーさんいわく「1年でいちばん財布の紐がゆるむ祭り」。食堂としても書き入れ時——のはずだった。
あの封書が届くまでは。
「銅鍋亭、料理人マルセル・ブレ殿。並びに、味見係クロエ・ド・サヴァラン殿」
蝋の封印には、王膳所の紋。読み上げるわたくしの声に、店中の手が止まった。
「『建国祭の儀の一環として催される御前試食会に、貴店を招待する。当日は国王陛下、王族各位の御前にて、王都を代表する料理人らが一皿を献じ、その技を競うものである。貴店は——下町代表として、一席を与えられる』」
差出人の署名は、王膳長ボリス・ブレゼ。
しん、とした店内で、最初に口を開いたのはマルセルさんだった。
「……罠だな」
「ですわね」
即答できてしまうのが、悲しいところである。
御前試食会といえば、宮廷と、王膳所の認可を受けた名店だけが立てる格式の舞台だ。そこに突然「下町代表」の席。自粛要請を突っぱねた相手からの、満面の笑顔の招待状。意図はひとつしかない。
「公開の場で、潰す気だ」とリュカさんが言った。声が硬い。「御前試食会の審査は、王膳長が仕切る。土俵も、行司も、向こうのものだ。下町の店が御前で恥をかけば……『やはり下町の味は』という話に、一晩でなる」
「断れば断ったで『下町代表は逃げた』ですわね。受けても地獄、断っても地獄。良くできた招待状ですこと」
数日のうちに、情報も集まってきた。ドミニク番頭がわざわざ足を運んでくれて、算盤の目を曇らせながら教えてくれたのだ。
「ギルド筋の話では、下町枠は王膳長が直々にねじ込んだそうですな。『王都の食の秩序を、御前で正すべし』と。……点付け殿。これは商談ではなく、果たし状ですぞ」
受けるか、断るか。
閉店後の店で、いつもの面々が卓を囲んだ。
「わしは反対だの」とジョフロワさん。今日は居残り組である。「孫の代まで語り草になる見せ物にされるくらいなら、下町の飯は下町で食ってりゃいい」
「あら、わたくしは出たいですわ!」とニナさん。「宮廷のお料理が食べられますのよ!? 審査席の隅にでも置いていただければ、わたくし」
「お前は食う側の話しかしてねえ」とマルセルさん。
わいわいと、卓が揺れる。その端で、リュカさんだけがずっと黙っていた。膝の上の拳が、白い。
御前試食会。王膳長。あの人にとってそこは、ただの戦場ではない。9年仕えた師匠が行司を務める土俵で、追放された弟子が皿を出す——それが何を意味するか、考えるだけで胃の痛くなる話だろう。
だからわたくしは、自分の分だけ、先に旗を立てることにした。
「わたくしは、受けますわ」
卓が、静まった。
「理由は3つ。1つ、点数は逃げたら嘘になりますの。下町の味は上がった、と言い続けてきたのはわたくしですわ。御前だろうと路地裏だろうと、本物なら、どこに出しても本物のはずですもの」
指を、2本目。
「2つ。わたくし、王膳長ボリス・ブレゼ様のお料理を、一度きちんといただいてみたいんですの。200年の型を命より重く守る方の皿が、何点なのか。——これは味見係の、純粋な食い意地ですわ」
ニナさんが「分かりますわ!」と力強く頷いた。あなたのそれは多分もっと単純な食い意地よ。
「3つ目は」
わたくしは、リュカさんを見なかった。見ないまま、言った。
「内緒ですわ」
沈黙。
火の爆ぜる音。
やがて、低い声がした。
「……俺も、行く」
リュカさんが、顔を上げていた。膝の拳はまだ白いままで、でも目は——78点の夜の終わりに見た、あの火の色をしていた。
「逃げた弟子のままで、一生を終えたくない。師匠の土俵で、今の俺の皿を出す。……それで破門が破門のままでも、構わない。出さないまま終わるよりいい」
「おう」とマルセルさんが、それだけ言った。
「では決まりですわね。銅鍋亭、御前試食会、参戦。布陣は——料理人リュカ・ミルポワ、料理人マルセル・ブレ」
「俺もか」
「当然ですわ。300年の配合の人ですもの」
「ふん」
「味見と献立設計、わたくし。検味補佐、ニナ・ブリオッシュ」
「はいっ! 検味係ですわ!」
「兵站と——わたくしの身支度一切、アガット・セル」
「かしこまりました。つきましては、お嬢様」
アガットが、すっと前に出た。
「御前です。ドレスをご用意します」
「前掛けで参りますわ」
「ドレスです」
「アガット、わたくしは下町代表の味見係として」
「下町代表の味見係に相応しい——動けて汚れてよくて、それでいて誰にも侮られないドレスを、わたくしが仕立てます」
……この侍女は、たまに反論の余地を残さない。それに「誰にも侮られない」のところで、声が半音だけ低くなったのを、わたくしは聞き逃さなかった。断罪の夜を一緒にくぐった人の声だった。
「……お願いするわ、アガット」
「はい」
会議が終わって、皆が帰り支度を始めた頃。リュカさんが、まかないの残りで小さな一皿を作った。例の、品書きに持っている彼の一品——川魚と香味野菜の重ね焼き、改良に改良を重ねた現在形。
「更新だけ、しておきたい」
「ええ」
ひと口。火入れ、完璧。香味の層、完璧。そして皿の向きは、もう審査員ではなく、ちゃんと食べる人を向いている。
「86点」
「……っ」
「テリーヌまで、あと1点ですわよ、リュカさん」
リュカさんは握り拳を作りかけて、やめて、代わりに深く息を吐いた。
「あと1点の意味は、もう知ってる。御前までに、超える」
ところで、ひとつだけ気になることがある。
フードの旦那が、今週、一度も来ていない。
週2回の人が、ぱたりと。……橋の向こうで、何かが動いている気配だけが、川風に乗って届く。
『御前試食会:参戦決定。ひと月後、建国祭の儀。敵地、敵の行司、満場の貴族。
布陣:リュカ(86点・更新中)、マルセル、わたくし、ニナ、アガット。
ボリス・ブレゼ。200年の型の人。あなたの皿を、まず食べてから、戦いますわ。
気がかり:フードの旦那、今週0回。王宮の風向き、不明』
「お嬢様。また点をつけていますね」
「ええ。次にこのノートへ書く点数は、御前のものになりましてよ」
承知の上の、敵の土俵。
でもね、皆さま。下町の味見係は、味のことでは、一度も嘘をついたことがありませんの。
次話:「宮廷という名の戦場」




