第12話「商人ギルドの算盤」
呼び出し状は、上等な紙に書かれていた。
『王都商人ギルドより、銅鍋亭の味見係殿へ。ご足労願いたい件あり』
「これ、行かないと駄目ですの?」
「行かねえと、仕入れが渋くなるな」とマルセルさん。「ギルドは王都の荷の元締めだ。睨まれて得する飯屋はねえ」
というわけで翌日の午後、わたくしはアガットを連れて、川沿いのギルド会館に出向いた。倉庫街の真ん中に建つ石造りの建物で、廊下まで麻袋と蝋とインクの匂いがする。商売の匂いだ。
通された部屋で待っていたのは、恰幅のいい中年の男の人だった。
「ようこそ、噂の点付け殿。番頭のドミニクと申します」
にこにこしている。目だけ、笑っていない。算盤の目だ。前世の取引先で何百人と見た、原価を数える目。
「本日はご用件が2つ。まず1つ目——苦情です」
「あら」
「大市の香辛料商から訴えが出ております。『商品を42点と公言され、売り上げが3割落ちた』と。営業妨害である、と」
来たわね。
「事実の指摘ですわ。あの胡椒は香りの油が半分飛んでいました。保管で陽に当てているからですわ」
「ほう。では値札に見合う品なら、高くても点は上がると?」
「当然ですわ。わたくしが採点するのは値段ではなく、値段と中身の釣り合いですもの」
ドミニクさんの指が、卓をことことと叩いた。算盤を弾く指の癖。
「……では2つ目。こちらが本題ですが」
番頭さんは身を乗り出した。
「その『点数』、ギルドで買い取れませんかな」
「と、おっしゃいますと?」
「食べ比べの市以来、下町の商いが目に見えて動いております。点数札のある店は客が増え、客が増えた店は仕入れを増やし、仕入れが増えれば我々も潤う。あなたの点数は、もはや通貨だ。——で、あれば。ギルド公認の『点付け印』として制度にし、審査料を取り、収益を折半する。悪い話ではないでしょう」
なるほど。算盤としては美しい。
そして、駄目な算盤だ。
「お断りいたしますわ」
「……ほう。即答ですな」
「審査料を取った瞬間、わたくしの点数は死にますの」
わたくしはノートを卓の上に置いた。
「お金を払った店だけが点を持てるなら、点のない店は『払えない店』に見える。払った店の点には『お金の匂い』がつく。どちらの点も、もう信用ではありませんわ。通貨とおっしゃいましたわね、番頭さん。通貨の価値は、刷りすぎないことと、混ぜ物をしないことで保たれますのよ」
ドミニクさんの指が、止まった。
長い沈黙。それから、初めて目のほうも笑った。
「……いや、失敬。試させていただきました。金で転ぶ採点なら、ギルドが抱える価値はないものでしてな」
「あら、ひどい」
「商売ですので。——では改めて、3つ目のご用件を。これは試験ではなく、相談です」
番頭さんが手を叩くと、奥から小箱が運ばれてきた。蓋を開けると、胡椒。例の天幕の品より、ふた回り上等な香りがする。
「42点とやらの一件、実はギルドでも頭の痛い話でしてな。香辛料は仕入れ値が高いくせに、王都に着く頃には質が落ちる。傷んだ品に高値がつく。客は離れ、商人は儲からず、誰も得をしておらん。……あなた、原因がお分かりのようだ」
「半分は輸送、半分は保管ですわ」
わたくしはノートを開いて、書きながら説明した。
「輸送は変えられなくても、保管は今日から変えられますの。第一に、陽に当てないこと。香りの油は光と熱で逃げますわ。第二に、挽いて売らないこと。粒のままなら香りは殻が守ってくれます。挽くのは売る直前、店先で。第三に、回転。古い在庫から売る癖を、質の落ちた在庫は値を下げて早く流す方式に変えること。——傷む前に安く売るほうが、傷んでから高く売るより、信用の利息がつきますのよ」
「信用の、利息」
「ええ。下町の主婦が『あそこの胡椒は外れない』と言うようになったら、それは看板より強い広告ですわ」
ドミニクさんは今度こそ本物の商人の顔になって、猛烈な勢いで帳面に書きつけ始めた。アガットが横で「無償の助言、通算23件目です」と例の謎の帳面に記録している。だからそれ、何の帳面なの。
交渉の結果は、こうまとまった。
ギルドは香辛料の保管改善を試験的に始める。改善した品はわたくしが採点する——審査料は取らない。代わりに、改善で浮いた分、下町の店への卸値を下げる。点数はギルドのものにも、わたくしのものにもしない。町のものにする。
「……まったく、あなたが商人でなくてよかった」
「あら、わたくし、味見係として一流の商人のつもりですわよ。利益の代わりに美味しいものが増える取引しか、いたしませんけれど」
帰り際。ドミニクさんが、ふと声を落とした。
「点付け殿。ひとつ、耳に入れておきますかな」
「なにかしら」
「先日の食べ比べの市——あれを調べていた者がおります。宮廷の御用商人筋から、下町の市の規模と、あなたの素性について照会がありました」
革靴。帳面。食べない見物人。
「……照会に、なんとお答えに?」
「『商いの邪魔をしない方だ』と。事実ですからな。ただ」
番頭さんの算盤の目が、すっと細くなった。
「宮廷の台所は、王都でいちばん大きな取引先で——いちばん、縄張りにうるさい台所です。お気をつけなさい」
数日後。ギルドの試験保管を経た胡椒の初荷が、銅鍋亭に届いた。
リュカさんがその場で粒を挽いて、香りを確かめて、無言で厨房に消えた。出てきたのは、胡椒を効かせた豚の煮込み。湯気の先で、挽きたての香りが鼻の奥まで真っ直ぐ届く。
「85点ですわ。胡椒が生きていると、こんなに違うのね」
「素材のおかげだ」とリュカさんは言ったけれど、口の端がほんの少し上がっていた。84点から、また1点。この人の点数は、着実に階段を上っている。
『商人ギルド:点付け印の買収提案→却下。香辛料の保管改善→協定成立(審査料なし・卸値還元方式)。
ドミニク番頭、算盤は太いが筋は通る人。敵に回さないこと。
リュカ:胡椒の煮込み85点(+1)。
警報:宮廷筋がこちらを照会中。革靴の男の線、ほぼ確定。——橋の向こうの台所は、縄張りにうるさいらしい』
「お嬢様。また点をつけていますね」
「ええ。今日は点数の値段を聞かれたけれど——売り物にしなかったご褒美に、町の胡椒が美味しくなりましてよ」
次話:「宮廷の不協和音」




