第11話「屋台戦争」
発端は、1枚の木札だった。
大市の帰り道、ニナさんが屋台の前で足を止めた。
「クロエ様、あれ」
串焼き屋台の軒先に、誇らしげな木札が下がっている。曰く——『点付けの令嬢採点・71点』。
「……あら」
確かにつけた。つけたけれど、札にして掲げてよろしいとは言っていない。
「おう、嬢ちゃんたち! 食ってくかい!」
焼き手の兄さん——ガストンさんは、悪びれもせず串を扇いでいる。聞けば、あの札を出してから売り上げが倍になったらしい。
「71点てのは『王都の点付けが本気で測って71』だ。そこらの『うちが一番うまい』って看板より、よっぽど信用されるのさ。減点の理由まで聞きに来る客がいるんだぜ?」
「……碾き臼は買い替えまして?」
「おう! 粉が細かくなったら、味も2段上がった気がすらあ。なあ、測り直してくれよ!」
ひと口。……粒の苦味が消えて、柑橘の香りが素直に立つようになった。
「74点。3点更新ですわ」
「よっしゃあ!!」
ガストンさんが木札を裏返すと、裏にはもう『74』と彫る場所が用意されていた。商魂たくましい。
——これが、いけなかったのだと思う。
数日のうちに、下町のあちこちで「点数札」が増殖を始めたのだ。
パン屋ベルナールさんの店先には『白パン・点付け採点75点(改良済)』。仕立て屋の奥様まで、なぜか漬物の壺に『61点』と貼っている。それは商品ではなくお裾分けでは。
そして当然のように、偽物が現れた。
「クロエ様、大変ですわ!」
ニナさんが息を切らせて駆け込んできた。
「橋向こうの通りのパイ屋が『点付けの令嬢公認・90点』の看板を!」
「……90点?」
記憶にない。そもそもわたくし、90点台はこの世界でまだ2回しか出していない。テリーヌの87点が歴代3位と申し上げれば、90点台の重みはお分かりいただけるかと。
「行きますわよ、ニナさん」
「出動ですわね!」
件のパイ屋は、看板の効果か行列ができていた。店主は若い男の人で、わたくしの顔を見た瞬間、見事に青ざめた。本物が来るとは思っていなかった顔である。
「ひ、ひいっ……お、お代は結構ですから、どうか穏便に……」
「お代は払いますわ。採点は買収されませんの」
肉のパイをひとつ、その場でいただく。ニナさんも横でひとつ。目を閉じて、二人で黙々と咀嚼する。周りの行列が固唾を呑んで見守っている。
「……ニナさん、先にどうぞ」
「皮はいい線ですわ。バターをけちっていません。でも中身が55点……いえ、53点。お肉の臭み消しに失敗して、香辛料で上塗りしています」
「同感。総合で53点ですわね」
行列から「90点じゃねえのかよ!」と声が飛び、店主はますます縮こまった。
さて、ここからがわたくしの流儀である。
「ご店主。看板は下ろしてくださいまし。——その代わり、53点の理由を差し上げますわ」
「……え?」
「臭み消しに使った香草が、お肉の脂と喧嘩していますの。この脂には庭茴香ではなく、玉ねぎを濃い飴色まで炒めて混ぜ込むこと。それから皮は55点ではなく68点。この皮は財産ですわ。捏ねの腕は本物ですもの、胸を張りなさいな」
店主はぽかんとして、それから慌てて前掛けで手を拭き、紙切れを探し始めた。横からニナさんが「メモでしたらわたくしが」と取り出すあたり、うちの看板娘は仕事ができる。
「い、いつか……いつか本物の点数を、いただきに行きます」
「ええ。お待ちしていますわ。銅鍋亭の隣の卓で、いつでも」
——と、ここまでなら美談で済んだのだけれど。
屋台と店同士が、今度は張り合いを始めてしまった。
「うちは76点だ」「うちは77点!」「測り直しを要求する!」「いいや先に並んだのはうちだ!」
銅鍋亭の前に、採点待ちの行列ができる事態である。お客様の行列ではなく、店主の行列。マルセルさんは「うちは食堂だぞ……」と遠い目をしている。
収拾をつけたのは、意外にもロザリーさんだった。
「あんたたち、いっそ祭りにしちまいな!」
言い出したら早かった。次の大市の日、広場の一角に「食べ比べの市」が立つことになった。下町の店と屋台が一品ずつ持ち寄り、買った人が好きに食べ比べる。採点はわたくしとニナさんの2本立て。順位はつけるが、全店に改善案つき。
当日の広場は、お祭りそのものだった。
串焼きの煙と揚げ菓子の甘い匂い、どこかの鍋の香草の湯気が、秋の空の下で混ざり合う。ニナさんは13品を完食して涼しい顔のまま、見物人から拍手をもらっていた。あの胃袋も才能だと思う。
結果発表は、広場の樽の上から。
「第1位、ガストンさんの串焼き、79点! 碾き臼と、新しいタレの勝利ですわ!」
「うおおお! 札ァ彫り直しだ!!」
「第2位、ベルナールさんの白パン76点。第3位、パイ屋のロランさん、71点!」
「ろ、ろくじゅう……えっ、71!?」
あのパイ屋さん、たった半月で18点更新してきたのだ。飴色玉ねぎ、ちゃんと混ぜ込んできた。順位を聞いた瞬間に泣き崩れて、ガストンさんに肩を叩かれていた。
樽の上から見下ろす広場は、湯気と笑い声でいっぱいだった。
点数が、町を回っている。
ロザリーさんの言った通りだ。わたくしはただ挨拶をして回っただけなのに、挨拶された人たちが勝手に走り出して、町ごと美味しくなっていく。前世の商品開発部で、こんな景色は一度も見たことがなかった。
「クロエ様! 次の食べ比べはいつですの!?」
「そうねえ。月に一度くらいが——」
答えかけて、ふと視線を感じた。
広場の端。祭りの輪から一歩引いた場所に、身なりのいい男の人が立っていた。下町には不釣り合いな、磨かれた革靴。何も買わず、何も食べず、ただ広場全体を眺めて——手元の小さな帳面に、何かを書きつけている。
目が合う、寸前。男の人は帳面を閉じて、橋の方へ歩き去った。
「……ニナさん。今の方、ご覧になって?」
「ええ。何も召し上がりませんでしたわね。食べ物の市で何も食べないなんて、変な人」
食べずに、書くだけの人。
あの靴は、橋の向こうの靴だ。
『食べ比べの市・初回:大成功。串焼き79(ガストン)、白パン76(ベルナール)、パイ71(ロラン・18点更新の殊勲)。
偽看板1件、指導済み。点数札は下町の新しい流行。
気がかり:食べない見物人、1名。革靴、帳面。——橋の向こうが、こちらを測り始めたのかもしれない』
「お嬢様。また点をつけていますね」
「ええ。……ねえアガット。点数って、つけているうちは楽しいけれど」
ノートを閉じて、わたくしは橋の方角の夜空を見た。
「つけられる側に回ると、少し落ち着かないものなのね」
次話:「商人ギルドの算盤」




