25.きっとそう
廊下に落ちたその声は、あまりにも小さくて、
けれど確かに震えていた。
「……嫌だ……」
と。
何かを恐れているような、そんな響きだった。
私は立ち止まった。
逃げていた彼も、ぴたりと動きを止めた。
まるで自分の口から溢れた声に、本人が驚いて固まってしまったように。
(……今のは、彼の声ですか?)
信じられない。
信じたくて、怖い。
「シェーゼ……今、喋りましたか?」
私の問いに、影は動かない。
ただ、わずかに肩が揺れた気がした。
揺れ方が、
“呼吸が乱れている”のではないことに気づく。
人形のはずなのに、
心だけが揺さぶられているような震え方。
私はゆっくりと近づいた。
彼は逃げない。
でも、近づくこともない。
まるで――
どうしていいかわからなくなった子どものように。
「シェーゼ。貴方は……人間でしょう?」
彼の肩がほんの少しだけ震えたような気がした。
だが、それだけで十分だった。
私は歩みを速める。
手を伸ばせば届きそうな距離。
その瞬間。
彼は後ろへ下がった。
だがその下がり方はさっきまでと違った。
軽く、正確で、淀みなく。
呼吸の乱れも、足の絡まりもない。
人形として作られた完璧な動作そのままに。
それなのに、どこか迷っているような、躊躇いのある後退。
「逃げないでください……」
私がそう言ったとき。
彼は、初めてわかりやすく反応した。
きっと彼は動揺している。
…そして
「……逃げたく、ない……」
途切れそうな声が落ちた。
息は乱れていない。
呼吸の音もしない。
なのに声だけが、震えている。
まるで、気持ちだけが苦しくて、身体がそれに追いつけない
そんな声だった。
私は足を止めない。
逃げたくないと言いながら下がる彼に、
ゆっくり、確実に距離を詰めていく。
「だったら……シェーゼ。どうして、逃げるのですか?」
問いかけた。
彼がぴたりと止まる。
沈黙。
でもその沈黙は“返事がない”のではなく――
“返事をこらえている”沈黙だとわかった。
そして
彼が、ほんの少しだけ私の方へ向き直った。
人形のはずの体が、感情に導かれたように。
(ああ――やっぱり。)
どうしても、気づいてしまう。
これは人形の動きではない。
人の躊躇い、迷い、恐れ……その全部を抱えた動きだ。
「シェーゼ。」
私は手を伸ばした。
触れればきっと、
もう引き離すことはできない。
貴方は、人間なのですか。
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