第8話 — ある取引
広間のバルコニー。
バルコニーに着くと、木製の欄干に肘をつき、星空を眺めた。
数秒の間、ただ静けさを味わった。
そして左を見る。
「うわあっ! エレナ王妃! びっくりした!」
返事はなかった。
*これは予想してなかった……というか、どこから出てきたんだ?*
エレナは俺の隣にいたが、俺が来たことにすら気づいていないようだった。沈んだ表情のまま、夜の遠くの一点をぼんやり見つめている。
俺はしばらく彼女を見た。
*頭の中、めちゃくちゃなんだろうな。*
再び空へ目を向ける。
*俺にはカグラを失うことなんて想像もできない……夫と息子たちを失った彼女が、どんな気持ちなのかと思うと。*
少し身体を前へ傾け、そのまま黙っていた。
俺に言えることなんて、ほとんどなかった。
少しすると、背後から足音が聞こえた。
振り返る。
カグラだった。
こちらへ近づきながら、すでに話し始めている。
「それで、兄弟? どうした? 俺に何の話があるんだ?」
俺が答えるより先に、カグラは隣にいるエレナに気づいた。
「あ、そうだ……エレナ王妃、元気にしてるか? しばらく見てなかったな」
エレナは横目で彼を見た。
「なんとか、陛下。前に進もうとしています」
彼女は再び景色へ目を向けた。
「それと、私はもう王妃ではありません」
俺は顎に手を当て、カグラを見た。
「そういえば……国王に何かあった場合、王妃はどうなるんだ?」
カグラは考え込むように視線を落とした。
「俺……そんなこと考えたこともなかった」
エレナは肩をすくめた。
「当然のことです。王妃の称号は失われます。私の場合は、公爵夫人に戻りました」
彼女は数秒黙ってから続けた。
「そして、もう王妃ではありませんから、近いうちに実家へ戻るつもりです。王家とのつながりが何もないのに、宮殿に住み続ける意味はありません」
カグラがすぐに口を挟んだ。
「俺たちのところを離れるのか、エレナ?」
彼女はカグラへ目を向けた。
「なあ、ここに残ってくれよ。俺が知る限り、交渉に関しては達人なんだろ? これから先、相手にうまく出し抜かれないためにも、その力が必要になるかもしれない」
エレナはしばらく黙っていた。
*私はカグラを信用していない。*
その目は新たな国王に向けられたままだった。
*彼がヴァレドーンにとって、どのような統治者になるつもりなのか、まだ理解できていない。*
やがて、その表情が真剣になる。
「考える時間が必要です、陛下。あまりにも突然のお話でしたので」
カグラは肩をすくめた。
「わかった。決まったら、どこにいるかは分かってるだろ、公爵夫人」
俺はその流れに乗って、彼へ目を向けた。
「そうだ、カグラ……ジェフ公爵のことで話したかったんだ」
カグラはすぐに注意を向けた。
「それで?」
俺は腕を組んだ。
「あいつの家は、簡単に言えば精鋭の暗殺者を育ててる。それにジェームズ王は、まるで外科手術みたいに正確に暗殺された。今に至るまで、犯人につながる証拠は一つも見つかってないくらいにな」
俺はカグラをまっすぐ見た。
「調べてみるのは悪くないと思う」
彼の目が見開かれた。
「確かに、兄弟……その可能性は考えてなかった」
カグラは顎に手を当てた。
「父さんと兄弟たちの死についての調査はジャンに任せてる。ジェフの家も調べるよう頼んでみる」
「その必要はありません」
俺とカグラは同時にエレナへ目を向けた。
カグラは眉をひそめた。
「必要ない? もう調べたのか?」
「はい」
エレナは欄干から少し離れた。
「ジェフの一族については徹底的に調査しました。可能な限りすべてを洗い、特に暗殺の動機がないかを探しました」
彼女は首を横に振った。
「何も見つかりませんでした」
俺は黙った。
「私が保証できるのは、ジェフが無実だということです……」
エレナは少し間を置いた。
「少なくとも、今のところは」
俺は彼女から目を離さなかった。
その目には何かがあった。
*見ればわかる。彼女も答えを求めてる。*
そこで、一つの考えが浮かんだ。
*もしかしたら、それを利用してエレナをヴァレドーンに残せるかもしれない。カグラ自身、彼女の能力はこれからも王国にとって重要になるかもしれないと言ってたしな。*
欄干から腕を離し、彼女のほうへ向き直った。
「エレナ……取引しないか?」
彼女は疑うように目を細めた。
「取引?」




