第4A話 : 第二段階 ― 荒れ狂う密林
「やったな、椿! 無事に出られて本当によかったぞ!」
部屋を脱出した瞬間、ノルは椿の細い肩にガシッと腕を回し、力いっぱいその身体を抱きしめた。
「きゃっ!? な、何するのよバカ!!」
金髪を揺らして頬を真っ赤にする椿をよそに、ノルは太陽のような眩しい笑顔を弾けさせた。
「よしっ、この調子で次行くぞ!」
「……ずいぶん楽しそうだな。さっきまで命の危険に晒されてたのを、もう忘れたのか?」
あきれたように肩をすくめたのは、テンセイだった。
「忘れるわけないだろ? でも俺、椿なら絶対やれると思ってたんだ。あいつ、一度決めるとやり遂げるまで絶対に諦めないからな。前なんて、俺にハンター試験を辞退させようとして本気で刺しにきたし」
「はあ!? やっぱり君たちを信頼したのは時期尚早だったかな……」
テンセイが顔を引きつらせて苦笑いを浮かべると、椿が角を立てて叫んだ。
「ノル! 新しい仲間の前で変な誤解を生むようなこと言わないで!!」
その横で、ジンジョウはノルの物騒な暴露話に震え上がり、さらに縮こまっていた。
ノルはそんな反応など意に介さず、前方の階段に向かって力強く歩み出す。
「さあ、あの二人組のハンター様に、俺たちが『本物』だってところを見せてやろうぜ!」
「ど、どうして……そんなに自信があるの……?」
消え入りそうな声で尋ねるジンジョウに、ノルは振り返り、胸を張ってみせた。
「だって、俺はお前たちと一緒にいるからな。第1の村の最強の四人だろ? お前たちがいてくれれば、何も怖いものなんてないさ」
その言葉に、テンセイとジンジョウは一瞬だけ息を飲み、驚きに目を見開いた。
「さあ行くぞ! 次のレベルへ! 気合入れていこう!」
「「おうっ!!」」
テンセイとジンジョウが、思わず勢いに押されて力強く拳を突き上げた。その背後で、椿とヒソカが顔を見合わせ、くすりと微笑む。
「ノルって……本当に人を巻き込むのが上手いわね」
「ああ。根拠のない自信で人をやる気にさせるのは、あいつの特技だからな」
ふたりで「おう!」と声を張り上げ、子供のように階段を駆け上がっていくノルとテンセイ。
ヒソカはその背中を少しだけ心配そうに見つめ、ぽつりと呟いた。
「……まあ、たまにやりすぎるのが玉にキソだが」
ジンジョウが青ざめた顔で力なく首を振る。
「……死ぬ未来しか見えない」
「嫌なことは早く終わらせるに限る。ほら、行くぞジンジョウ」
ヒソカは優しく少女の背中を押し、薄暗い階段へと歩を進めた。
階段を登り切った先には、無機質な巨大な金属の扉が立ちはだかっていた。上部には監視カメラとスピーカーが設置されている。
バンバンバンッ! とノルが容赦なく扉を叩いた。
「開けてくれー! 返事しろー!」
「管理してる人ー! 開けてくださーい! 次のレベルに行く準備は万全ですよー!」
テンセイも横で一緒になって大声を張り上げる。
『……無駄だ。全員が扉の前に揃わなければ、開閉システムは作動しない』
監視室のスピーカーから、マッサルの抑揚のない声が響いた。
「ちょっとだけ中を見せてもらえません? ほら、心の準備とか驚きの要素を取っておきたいだけですから!」
『ダメだと言っているだろう。邪魔をするな、今はお茶を淹れているところだ』
「お茶淹れてる場合かよ!?」
そこへ、ようやく階段からヒソカ、椿、ジンジョウの三人が姿を現した。
「やっと来た! おーい、スピーカーの人! 全員揃ったぞ、開けてくれ!」
『……まったく、うるさい連中だな』
マッサルの辟易した溜息が混じった後、重厚な電子音が鳴り響いた。
『第二試験区画、開放。認識テストを開始する。エリアの反対側へ進み、赤いボタンを押せ。そうすれば扉が開く』
ガギギギ……と重い音を立てて扉が左右にスライドした。
目の前に広がっていたのは――濃密な湿気と土の匂いが立ち込める、鬱蒼とした「ジャングル」だった。天井の照明が、生い茂る木々の葉を怪しく照らし出している。
「……何か裏があるわね。こんな分かりやすい一本道、簡単なはずがないわ」
椿が鋭い視線で密林を睨みつける。
「立ち止まってたって始まらないさ。行こう!」
ノルは躊躇うことなく、先頭を切って茂みへと飛び込んだ。ヒソカがすぐ隣に並び、周囲を警戒しながら進む。
「テンセイ、どんな試験だと思う?」
ヒソカの問いに、テンセイはあごに手を当てて分析を口にした。
「『認識試験』って言ってたからな。戦略的に言えば――脅威、罠、敵、地形の把握能力を総合的に評価するんだろうな」
「でもそんなの、俺たちがここ三ヶ月間ずっとやってきたことじゃないか」
ノルが軽く笑うと、テンセイはニヤリと口角を上げた。
「ただし――一つだけ特例がある」
「罠の確認……か」
ギシッ。
「きゃあああっ! 痛ああぁぁぁいっ!?」
直後、静寂を切り裂くジンジョウの悲絶な叫び声が響き渡った。
「あー……はい、ビンゴ」
テンセイが平然とした声で呟いた。
全員が一斉に振り返る。そこには、地面に開いた落とし穴に足をとられ、崩れ落ちているジンジョウの姿があった。
穴の底には、無数の鋭利な釘が植え付けられた鉄板――いわゆる『プンジートラップ』。ジンジョウの右足は、その毒々しい釘の群れに深く突き刺さっていた。
「ジンジョウ!!」
ノルが青ざめた顔で駆け寄る。
「落ち着け! 息を吸え! 大丈夫だ、俺たちがついてる!!」
「痛い……痛いよぉ……っ!!」
ジンジョウは涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにし、激痛に身をよじらせた。
「プンジートラップかぁ。いや〜、まさか本当に実践で使ってくるとはね」
どこか感心したように頷くテンセイを見て、ヒソカの青筋が立ち上がった。
「楽しそうに言うなッ! 仲間が重傷を負ってるんだぞ!?」
「分かってるって。心配はしてるよ。ただ、この手の罠ってさ――殺すためじゃなく、精神を削ってギブアップさせるのが目的なんだよな。珍しいからさ」
テンセイはケロッとした顔で指示を出した。
「とりあえず、ジンジョウの足を抜いて、傷口を洗って圧迫止血してくれ。俺は周囲の罠の配置を探してくる。地形的にパターンが読めるかもしれないし。……運良く、これ以上怪我人が出ないといいんだけどね」
テンセイがひらひらと手を振って奥へ消えていく。
「……っ! あいつ……!」
憤るヒソカに、椿が落ち着いた声をかけた。
「ヒソカ、テンセイの言う通りにして。今はジンジョウの処置が先よ」
「……分かった」
ヒソカは深く息を吐き出すと、首に巻いていたスカーフを解いた。
「罠ごと地面から引き揚げるぞ。ノル、道具箱のツルハシで周りの土を掘れ!」
「任せろ!」
ノルが猛烈な勢いでツルハシを振るい、穴の周囲を掘り起こしていく。やがて、数本の釘が足に刺さったままの鉄板ごと、地面から持ち上げられた。
「ノル、罠の台座をしっかり押さえろ。椿と俺でゆっくり足を抜く。椿はつま先、俺はかかとだ。抜けたらすぐに靴を脱がせて、『シーラント(止血スプレー)』で傷口を塞ぐぞ」
「待て、ヒソカ」
ノルは腕輪のストレージから一本の頑丈な木の枝を取り出すと、自分のマフラーを巻き付けた。
「ジンジョウ、これを噛め。釘を抜くとき、舌を噛まないように……耐えるんだ」
「お願い……早く抜いて……痛くて……もう無理ぃ……っ!」
ジンジョウが枝を噛み締めた瞬間――
「いくぞ……せーのっ!!」
ヒソカと椿が一気に足を引っ張り上げた。
「んぐううぅぅぅーーーっ!!!???」
枝を噛み砕かんばかりの押し殺した悲鳴が響き渡る。肉が裂ける生々しい感触に全員の手が震えたが、誰も作業を止めなかった。
靴が脱がされ、滑り落ちる。足の裏からは鮮血が噴き出していた。
「ノル、シーラントだ!」
ノルが傷口にスプレーを吹き付けると、ジュウウッという音と共に白い蒸気が上がった。
「ぎゃああぁぁぁっ!?」
焼けるような劇痛にジンジョウが激しく体をのけぞらせる。だが、薬剤が瞬時に組織を凝固させ、出血がピタリと止まった。
「はぁ……はぁ……っ……ありがと……みんな……」
滝のような汗を流しながら、ジンジョウが途切れ途切れに感謝を口にする。
ヒソカは外したスカーフを彼女の足に固く巻き付け、しっかりと固定した。
「傷が開かないように圧迫した。少し痛むが……我慢してくれ。よし、これで大丈夫だ」
「おーい! みんなー! ちょっとヤバいかもー!」
遠くの茂みから、緊張感のないテンセイの声が響いた。
「テンセイ!? どこだ!? 何があった!?」
ノルが叫び返す。
「朗報と悲報があるぞー! まず朗報! 罠の種類、だいたい把握した! プンジ杭がメインで、サイズ違いも多数!」
「で、悪いニュースは!?」
椿が声を張り上げると、テンセイの声が上空から降ってきた。
「木に仕込まれた吊るし矢と毒トゲの罠! それから、空から渡るのを阻止する偽物の丸太! 中は空洞で、内側にはぎっしり釘が仕込まれてる! 要するに――進めば進むほどヤバいってことだ!」
「……で、追加の悪いニュースは?」
椿があきれ顔で上を仰ぎ見ると、そこには――天井から足を縄で縛られ、逆さ吊りにされて目隠しまでされたテンセイの姿があった。
「見ての通りさ。追加のトラップに引っかかった。たぶん、試験を楽に攻略しようとしたズル賢い奴への罰だな」
「あんたでも避けられなかったんじゃない……」
ヒソカが頭を抱える。
「いやぁ、プレッシャーの中で思考させるのが目的の試験だからね。大丈夫、俺が見抜いた罠の痕跡を辿れ。出口はもうすぐだ。進行状況を教えてくれれば、安全なルートを誘導するよ」
「ほら、乗れ」
片足で立とうとするジンジョウの前に、ヒソカが背中を向け、すっと屈んだ。
「え……!? い、いいよ……大丈夫……ぴょんぴょん跳ねて進めるから……っ」
ジンジョウが顔を真っ赤にして手を振る。
「いいから乗れ。お前が乗るまで、俺はここから一歩も動かない」
「……っ、じゃ、じゃあ……おねがいします……」
消えそうな声で呟き、ジンジョウがヒソカの背中にしがみついた。ヒソカは立ち上がり、慎重に歩みを進める。
周囲の木々や地面には、テンセイが刻んだ『×』の印が残されていた。一行はその痕跡に従い、最奥にある最後のトラップ――巨大な鉄棘の鉄球へ辿り着いた。
「テンセイ、最後の鉄球の罠まで来たぞ!」
『そこだな! 出口まではあと約二百メートルだ! 木の枝を一本折って杖代わりにし、地面を突きながら進め。足場が安定しているか確認しながら、ゆっくり進むんだ!』
指示通り、ノルが先頭で枝を地面に突き刺しながら進む。
やがて、生い茂る木々の隙間から、澱んだ水面が姿を現した。
「テンセイ、前に湖がある」
『罠だらけだろうな。広さはどのくらいだ?』
「ざっと百メートルってところだ」
『橋を作るには長すぎるな。……最悪、簡易の筏でも作るしかないか』
「……待て、ここにハッチがあるぞ!」
ノルが茂みの根元に隠された金属の蓋を見つけた。ツルハシの先端をこじ入れ、慎重に持ち上げる。
「階段があるわ。……どうやら次の百メートルは地下みたいね」
椿が覗き込む。
『その可能性が高いね。でも気を抜くなよ。そこから先、俺は助けられないから』
「分かった。出口で会おう」
五人は急な階段を五十メートルほど降りていった。
そこは、壁に設置された薄暗いランプが怪しく光る、極めて狭い一本のトンネルだった。
「気をつけて進もう。動けるスペースが狭すぎる。俺が先頭でジンジョウを背負う。もし崩落トラップがあっても対応しやすいからな」
ヒソカを先頭に、椿、ジンジョウ、最後尾をノルが固めて暗がりを進む。
しかし――十数メートル進んだところで、異変が起きた。
ヒソカが重い息を吐きながら、何度も目をこすり始めた。
「……っ、ハァ……変だ……空気が……どんどん薄くなって……」
「出口なんて……最初からなかったのかもね……息苦しいのも……それで……」
椿が頭を押さえ、苦しそうに壁に手をつく。背中のジンジョウは激しい嘔吐感に襲われ、ノルも激しく咳き込み始めた。
「……待て。この腐った匂いは何だ……? それだけじゃ説明がつかないぞ……」
ノルが息を詰まらせながら呟く。
「腐った匂い……? いつから感じてたんだ、ノル!?」
「二、三十メートルくらい前だ……弱かったし、みんな平気そうだと思って言わなかった……っ」
その時、ヒソカの背中で苦しみに耐えていたジンジョウが、絞り出すような声を発した。
「……り、硫化水素……です……」
「え……?」
「鉱山の授業で……危険ガスについて……習いました……。腐った卵の匂いがするのが……特徴で……これ……毒ガスです……っ!」
「なっ……匂いが消えたのは、嗅覚が麻痺したからか!?」
ヒソカの顔から血の気が引いた。トンネル内に仕掛けられた、目に見えない死のトラップ。
「全員、腕輪から『ヒネロチューブ』を取り出せ! すぐに飲むんだ! 手遅れになる前に!!」
全員が震える手でストレージから解毒・保護用チューブを取り出し、一気に飲み干した。
数分後、体内の酸素効率が強制的に引き上げられ、激しい眩暈と頭痛が少しずつ和らいでいく。
五人は這うようにしてトンネルの反対側にある階段を登り、ハッチを押し開けて地上へと脱出した。
「ハァ……ハァ……ハァ……っ! なんとか……やり切ったわね……」
新鮮な空気の中で、椿が草の上に倒れ込むようにして深呼吸をした。
「みんな……大丈夫か……?」
「はい……まだ少し頭がクラクラしますけど……なんとか……」
ジンジョウが弱々しく答える。
「ヒネロのおかげで吸収量は抑えられたが……すでに吸い込んだ分の毒素は、すぐには抜けそうにないな」
ヒソカが顔を拭いながら立ち上がった。
『おーい! お疲れさーん! ちょっと心配したけど……よく頑張ったな!』
天井からぶら下がったままのテンセイが、能天気な声をかける。
「……ありがとう、テンセイ。でも、もうあんな罠は御免だ。早くここから出よう」
「よし! 俺が先に安全を確認してくる! みんなは少し休んでてくれ!」
ノルは枝を杖代わりにし、慎重に地面を叩きながら前方の重厚な扉へと近づいた。
「よし……異常なし! ボタンを押すぞ!」
ポチッ。
重厚な扉がスライドして開き、同時にテンセイを縛っていた縄が解除されて彼が着地した。
五人が通路へ足を踏み入れると、背後の扉がバタンと音を立てて閉まった。
『第二階層突破、おめでとうございます』
スピーカーからマッサルの冷淡なアナウンスが流れる。
『準備が整い次第、階段を上り次のステージへ向かってください』
「よっしゃーー! 次、行こうぜ!!」
拳を突き上げるノルだったが、ヒソカがその肩を静かに掴んだ。
「待て、ノル。焦るな。俺たちはもう二つの階層を越えたんだ。ここに入ってからすでに七時間が経過している。少し休まないと身体が持たない」
「えっ……でも……」
振り返ったノルは、仲間たちの疲労困憊した顔を見てハッと息を飲んだ。
「……そ、そっか。俺、ちょっと調子に乗ってたみたいだ。みんな、休もう」
監視室。
青白いモニターの光が照らす暗闇の中で、マッサルが淡々とキーボードを打ち続けていた。
部屋の隅に敷かれた簡易布団の上では、シゲルが大の字になって横たわっている。
「あいつら、案外やるじゃねぇか」
シゲルが大あくびをしながら天井を仰いだ。
「ブシダの坊主がいなきゃ、あのガスの罠で全滅してると思ってたんだがな」
「彼らを過小評価しすぎですよ。見た目よりずっと優秀です。次の階層では、ここまで苦戦しないでしょう」
マッサルは冷静に画面を切り替えた。
「で、チーム2の方はどうなんだ? 第三階層は順調か?」
「いえ、まだ試験の本当の意図を理解できていませんね。少し睡眠を取り、センサーを起動して交代で見張りを立てています。……まあ、夜明けまでには気づくでしょうが」
「そりゃ……いい……じゃねぇ……か……ふぁぁ……」
シゲルはそのまま豪快なイビキをかき始めて寝落ちした。
マッサルは半分あきれ顔で溜息をつくと、静かに画面のログを更新し続けた。
モニターに映し出されたノルの顔を見つめながら、彼の指先がキーボードの上を静かに滑る。
(……この世代の生存者たち。どこまで耐えられるか、見ものだな)




