第3B話 : 第一段階 ― 心理戦
「『予想外を予想しろ』って、昔の賢者は言った……」
ファクロウが旅立ってから五日目の午後。
ノルは自室の屋根の上に寝転がり、かじりかけのリンゴを空にかざしながら真剣に深遠な思索にふけっていた。
(……でもさ。予想外を予想した時点で、それってもう『予想の内』なんじゃないのか? じゃあ、予想内が予想外になるのはいつだ? それとも、予想通りのことが起きたら、こっちが予想外の行動をとればいいのか……?)
ぐるぐると頭の中で螺旋を描く思考に、ノルは「はぁーーーー……」と巨大なため息をついた。
「退屈すぎる……」
シュッ! ドスッ!!
「うわっ!?」
耳元をかすめた風切り音と共に、屋根の木材に一本の矢が突き刺さった。矢の先には折りたたまれた一枚の紙。
「な、なんだこれ……?」
ノルは身を起こし、紙を広げて文字を追った。
『親愛なるハンター候補生へ。
エメラルドランクのマッサル、サファイアランクのシゲルが率いる重要任務のため、あなたを招集いたします。
明日午後三時、フォルテレサ湖にて集合。場所が分からない場合は、中央の村から北東へ三十キロ進んでください。
皆様のご参加を心よりお待ちしております』
「うおおお! 任務だ! めっちゃワクワクする!!」
立ち上がって拳を突き上げたノルだったが、次の瞬間、ぴたりと動きを止めた。
「……待てよ。俺、北東がどっちか分かんないんだよな」
腕を組み、真顔で三秒考え込む。
「よし、今回は諦めるか」
くしゃくしゃに丸めた手紙を、そのまま勢いよく投げて捨てた。
シュッ! ドスッ!!
「ぶおっ!?」
二本目の矢がノルの目と鼻の先に突き刺さった。そこには別の紙切れ。
『中央の村でコンパスを買え……阿呆』
「誰が役立たずだ!!! 怒るぞ!!」
青空に向かって、ノルの叫びが虚しく響き渡った。
翌日の午後三時直前。
フォルテレサ湖のほとりに辿り着いたノルは、知った顔を見つけて大きく手を振った。
「やっほーー! 椿、ヒソカ! 久しぶりぃ!」
「五日しか経っていないわよ」
木陰に立っていた椿が、あきれたように、けれどどこか嬉しそうに口元を緩めた。金髪から覗くオレンジの前髪が、湖面からの風に揺れる。
「俺は会いたかったぞ! 抱きしめさせろ!」
すかさず駆け寄ってきたヒソカが、ノルの両脇を抱えてそのまま持ち上げた。
「うわっ!? ほら見ろ椿、少しはヒソカを見習えよ!」
「それは無理ね」
控えめな笑みを浮かべたまま、椿はそっぽを向いた。
「皆さん、こんにちは。やっと会えましたね」
木々の影から、すっと二人の影が現れた。
先頭に立つ小柄な少年が、丁寧にお辞儀をする。
「俺はテンセイ・ブシダ、十五歳です。こちらはジンジョウ・ワン」
「は、はじめまし……」
後ろに隠れるように立っていた少女――ジンジョウが、消え入るような声で小さく会釈した。
「じゅ、十五歳……!? 俺、その年で試験落とされたんだけど……時代変わったなぁ」
ノルが遠い目をして呟くと、テンセイは照れくさそうに苦笑いした。
「はじめまして。新しい顔を見るのはいいものね」
椿が優しく語りかけると、テンセイの表情が引き締まった。
「はい。俺、四日間探し回っていたんです。試験の生存者――『生き残った最後の三人』に会うために」
場が一瞬で凍りついた。
ノルの笑顔が消え、椿の青い瞳が大きく見開かれ、ヒソカが眉をひそめる。
「最後の三人……? どういう意味だ……?」
「わ、わたしたちを……除けば……」
ジンジョウがおずおずと手を挙げ、声を震わせた。
「生き残っているのは……あなたたち三人だけ……です」
「そんな……嘘だろ。他にも大勢いたはずだ……」
ノルが言葉を失っていると、背後から軽薄な拍手が響いた。
「残念だけど、事実だよ」
優雅に歩み出てきたのは、サファイアランクのハンター・シゲルだった。
「第一の村、生存者五名。第二の村、生存者八名。第三の村、生存者四名。――そして今日の任務では、お前たちに四つの試練を受けてもらう。それを通して、お前たちが本当にハンターに相応しいかを判断する」
「ちょ、ちょっと待って! 今なにが起きてるのか全然わかんないんだけど!?」
取り乱すノルに、シゲルは底意地悪くニヤリと笑った。
「ほら見ろ、役立たず。結局ちゃんと来られたじゃないか。まぁそのうち理解できるさ。とりあえず覚えておけ。これは“競争”だ。全力を出せ。……死なない程度にな」
「少なくとも、あなたが誰なのかくらい言いなさい!」
椿が警戒露わに一歩踏み出し、シゲルを睨みつけた。
「俺はシゲル。俺に会えただけでも運がいいと思え」
シゲルは優雅にお辞儀をすると、ポケットから小さなリモコンを取り出した。
「それじゃ、さらばだ」
ポチッ。
「「「え――」」」
次の瞬間、5人が立っていた地面が前触れもなく崩落した。
「うわああぁぁぁ――!?」
絶叫を残して暗闇へ落ちていく5人を見下ろし、シゲルは腕の通信機を口元に寄せた。
「マッサル、落としたぞ。すぐ向かう」
ガチコンッ! と鈍い音が響き、5人は冷たい鋼鉄の床の上に転がり出た。
「いってぇ……! 今のなんだよ!?」
ノルが腰を押さえて起き上がる。
「お、落ちました……」
「いや、ジン、それ説明になってないから……」
ジンジョウの言葉に突っ込みつつも、テンセイの目は爛々と輝いていた。
「見ろよ、部屋の真ん中にゲームがあるぞ。誰かポーカーやる?」
「は?」
テンセイが中央の箱からトランプのデッキを取り出した。床には複数のトランプ、ルービックキューブ、そしてテトリスのような複雑な木製パズルが転がっている。
「これが……試練ってやつか?」
ヒソカがルービックキューブを拾い上げ、眉をひそめた。
『ようこそ、新人諸君。“浄化の試練”へ』
部屋のスピーカーから、マッサルの感情のない声が響き渡った。
『この世代がどれほど使い物になるかを測り、不要な者を振り落とすための特別試験だ。ここには四つのレベルがある。それぞれの謎を解けば出口へ進める。健闘を祈る。……第一ステージ――「頭脳ゲーム」』
「はぁ!? ふざけてるの!? 私たちをここから出しなさい!」
椿が壁に向かって怒りを露わにするが、マッサルの返答は冷淡だった。
『任務に使う権限がある。これはその一環だ』
プツリ、と通信が切れる。
「無駄だよ、椿。言われた通りにしなきゃ出られない。まずは謎を解こう」
ヒソカの冷静な言葉に、椿は深くため息をついた。
「……わかったわ。あなたたち二人、遊んでないでトランプを渡しなさい」
見れば、床に座り込んだノルとテンセイが本気でポーカーを始めていた。
「ちょ、あと一枚で勝てるんだって! 椿、ハートの8が来れば勝ち確なんだよ!」
手札に8が2枚、場にも1枚。ノルが必死に小声で囁く。
「……悪くない手ね」
「しーっ! 相手に聞こえるだろ!」
「じゃあ……賭けをリンゴ10個に上げる!」
テンセイが不敵に笑う。
「乗った!」
運命の最後の一枚がめくられた。――スペードのキング。
「よし! スリー・オブ・エイトだ!」
「俺はスリー・オブ・キング」
ニヤリとカードを提示するテンセイ。
「うわああぁぁぁ!! 俺のリンゴォ……!!」
頭を抱えて崩れ落ちたノルは、縋るような目で椿を見上げた。
「椿、リンゴ貸して! 倍にして返すから! ほら、俺たち信頼関係あるだろ!?」
「あるわけないでしょ」
呆れ果てる椿とヒソカをよそに、ジンジョウが壁の一角を指さした。
「あ、あの……こ、これ……どういう意味だと……思いますか……?」
壁には、不自然にカードが埋め込まれていた。
ハートの8 スペードの5 [ ] スペードの9
[ ] ハートの6 スペードの7 [ ]
「壁にカード、か……」
ヒソカが思考を巡らせる。テンセイは手元のデッキを検分し、ジンジョウはじっと壁を見つめている。
「この壁にも変な凹みがあるわ」
椿が指摘すると、反対側の壁からノルが声を上げた。
「こっちの壁にもあるぞ!」
ノルが見つけた壁の前に、全員が集まった。
「一つは未完成のカードの壁。もう一つはキューブがはまりそうな四角い穴。そして最後の壁には木製パズルの凹み……」
ヒソカが室内を観察し、テキパキと指示を出した。
「つまり、カードは最初の壁、ルービックキューブは椿の壁、木のパズルがノルの壁だな。三つのゲームを全部クリアすれば、この部屋の仕掛けが起動するはずだ。役割分担するぞ。椿はキューブ。ノルと俺が壁パズル。テンセイとジンジョウはカード担当だ」
「わ、私!? キューブとか……根気がいる作業、本当に苦手なんだけど!」
椿が青い瞳を丸くして固まる。
「大丈夫だ。終わった奴が手伝えばいい」
『制限時間はあと八時間』
マッサルの声と共に、壁に巨大なデジタル数字が点灯した。
直後――ギギギ……と音を立てて、左右の鋼鉄の壁が数センチ狭まった。
「な、なんだよこれ!?」
「ご、ごめんなさい……っ! か、カードを……思いつきで置いたら……こ、こうなっちゃって……ほんとうに……ごめんなさい……!」
ジンジョウが怯えて涙目になり、手で顔を覆った。テンセイは気に留める様子もなく、カードを弄っている。
「気にするな、ジンジョウ。時間はまだ十分ある。ただ……慎重になれ。どうやらミスをするたび制限時間が削られ、部屋が狭まる仕組みみたいだ」
ヒソカの言葉に、全員が深く頷いた。
――四時間が経過した。
ノルとヒソカの壁パズルは順調組み上がっていく。
一方、椿の額にはびっしょりと汗が浮かんでいた。指先で幾度もルービックキューブを回すが、一向に色が揃わない。
「……っ!」
横でテンセイが、無言で自分の手元をじっと観察している視線が痛い。焦りが脈を打つ。
「もう無理! こんなの解けるわけないじゃない!!」
パンッ! と音が響き、椿はキューブを床に投げ捨てた。完全に限界だった。
「不可能じゃない。ただ、見えていないだけだ」
あぐらをかいたテンセイが、静かに言った。
「見えてない……? 何がよ!?」
「ルービックキューブには“型”がある。お前はまだそれに気づけていないだけだ。まずは――」
『制限時間は残り二時間』
ブザーと共に数字が一気に飛び、さらに壁が狭まった。
「えっ!? さっきまで四時間残ってたのに!?」
「気づいたか?」
ヒソカがノルと顔を見合わせた。
「時間が半分になった……最後の壁パズルのピースを俺たちがはめた瞬間だ。つまり、課題を一つクリアするたびに、全体制限時間が半分に縮む」
「そうか……!」
ヒソカは状況を把握すると、そっと歩み出でた。
「俺はジンジョウのところへ行く。椿とテンセイを頼むぞ、ノル」
ヒソカは泣きそうなジンジョウの前にしゃがみ込んだ。
「ジンジョウ、その……トランプのことだけど……」
「えっ、ま、まだ解……解けてない! ご、ごめんなさい……怒らないで……っ!」
顔を覆って身をすくめる少女に、ヒソカは困惑した。
(こんな反応をする人、初めて見たな……)
「落ち着いてくれ、怒ってない。ただ、最初にどう並べようとしたのか教えてほしいんだ」
ジンジョウはおずおずと手をどけ、震える指先でカードを素早く並べ替えた。
ハートの8 スペードの5 ハートの4 スペードの9
スペードの3 ハートの6 スペードの7 ハートの2
「うわ、早いな……! どんな公式を使ったんだ? 暗号か?」
「だ、だい……斜めの順番で並べただけ……です」
ジンジョウは抜けていたカードを指さした。
「5、7、9があって……足りないのは3。で、ハートは8と6……次は4と2。テ、テンセイが……最初の並べ方で合ってるって……言ってたから……」
(……そんな単純な法則だったのか!?)
ヒソカは拍子抜けしつつも、温かく微笑んだ。
「すごいじゃないか。よくやったよ、ジンジョウ」
「あ、ありがとうございます……」
「でもさ、テンセイは答えが分かってたのになんで言わなかったんだ?」
ジンジョウは小声でテンセイの背中を盗み見た。
「か、彼は……これは私たちがどれだけハンターとして優秀か確かめる試験だって……全部解いちゃうと、私たちがどこまで出来るか分からなくなるからって……」
(なるほど……最初から全部見抜いてたのか)
ヒソカの視線の先で、テンセイが床から拾い上げたキューブをカチカチと素早く回していた。ほんの数秒で、すべての面の色が完璧に揃う。
「ほらな、最初の面さえできれば後は簡単だ。最初の面を崩さずに、反対の色がちゃんと対になるようにすればいい」
「言うほど簡単じゃなさそうだけど……まあ、さっさと出ようぜ」
ノルが胸を撫で下ろすと、テンセイは冷酷に言い放った。
「ああ、出るさ。――椿がキューブを解いたらな」
「……は?」
カチッ。
テンセイは完成したキューブを、わざとぐちゃぐちゃに崩すと、椿の足元へ投げ捨てた。
「ちょっと待って! 解けてたじゃない! このままはめれば脱出できたのに!!」
椿が怒りを爆発させる。
「脱出するさ。ただ、お前が揃えればな。ほら、やってみろよ」
あぐらをかき、挑戦的に見上げる15歳の少年。
「ふざけないで! これ遊びじゃないのよ!」
「じゃあ……」
テンセイから笑みが消えた。氷のように冷たい、本気の目が椿を射抜く。
「俺の目を見て、"自分には出来ない"って言ってみろ」
「――ッ!」
その鋭い視線に自分自身の無力な姿が映り込み、椿は息を飲んだ。
金髪を揺らし、チラリとノルとヒソカを見る。二人は呆れるでも怒るでもなく、ただ静かに自分を信じる目で見つめていた。
椿は唇を噛み締め、崩されたキューブを力任せに掴み取った。
壁が少しずつ迫ってくる。
カウントダウンの数字が容赦なく削られていく。
立ったままキューブを回し続ける椿の手が、次第に震え始めた。息が荒くなり、視界が滲む。
(くっ……! できない……失敗したくない……! 私のせいで……みんなを裏切りたくない……!)
「テンセイ……できない……無理……お願い……キューブを完成させて……! 如果私のせいで誰かがケガしたら、私……私……ッ!」
涙が溢れ出し、椿は完全にパニックに陥った。
「椿、ごめん。そこまで追い詰めるつもりはなかったんだ」
テンセイが立ち上がり、トーンを落として謝罪した。
「ただ……君たちが極限状態のプレッシャーの中でどう動くのか、見たかっただけなんだ」
「え……?」
「人は、ストレス下だと本性がよく出る。ここに入った時から“外側の性格”は大体わかったけど……こういう状況だと“内側”まで見えてくる。君の反応は、俺が想像していた通りだったよ。……でもさ」
テンセイは後ろの二人を指さした。
「あの二人――ノルとヒソカは全く焦っていない。なぜか『君なら絶対にできる』って、本気で信じてるみたいだ」
椿は濡れた瞳でキューブを見つめ直した。
(私……諦めたくない。みんなを助けたい……誰も傷つけたくない……!)
「じゃあ、こうしよう」
テンセイが優しく提案した。
「残り三十分になっても解けなかったら、俺が仕上げる。……約束するよ」
「……約束、してくれるの?」
「ああ。もう一度、やってみよう」
椿は大きく深呼吸をした。
すっと胸の雑音が消えていく。震えていた指先が、正確に、そして滑らかにキューブを回転させ始めた。焦りではなく、完璧な集中が彼女の青い瞳を支配する。
「椿、焦らせるつもりはないけど……もうほとんどスペースがないぞ」
迫る壁の隙間で、ノルが苦笑いする。
「大丈夫……いけると思う」
カチッ。
最後の1ピースが、完璧な音を立てて収まった。
「や……やった……! 見て! できた……本当にできた!!」
さっきまでのパニックが嘘のように、椿の顔に子供のような満面の笑みが弾けた。
「よくやった。……でも、喜ぶのは外に出てからだ」
テンセイが笑い、椿からキューブを受け取ると、壁の凹みへ勢いよくはめ込んだ。
ガコンッ!!
激しい機械音と共に壁の圧縮が停止し、時計の表示されていた壁がスライドして隠し扉が現れた。
『おめでとう。レベル1突破だ。階段を上がり、第二ステージへ進め』
監視室。
無数のモニターが並ぶ暗い部屋で、マッサルが淡々とキーボードを叩いていた。
後ろの簡易布団では、シゲルが豪快に横たわっている。
「どうだ、進捗は?」
「時間かかりすぎだ。才能は……まあ普通だが、見ていて興味深いサンプルではあるな。村2のチームはもうレベル3に入るところだ。あちらは、そろそろ仮眠を取るだろう」
「なるほど……。ところで、あいつは気づくと思うか?」
シゲルが天井を見上げて呟いた。
「明日の朝にはな」
マッサルはモニターの映像を切り替えた。
「任務はゴールド未満、同行者は最低一名。つまり……近いうちに誰かを連れて行くということだ」
「そうか。じゃあ、俺は寝る。明日は忙しくなるぞ」
シゲルが背を向け、部屋はキーボードの機械音だけが静かに響く暗闇へと戻っていった。




