第2B話 : 友か敵か?
「どこに行ったんだ……? 家は目の前にあるっていうのに、誰の気配もしないな」
ファクロウは鬱蒼とした森の中で、完成しきったノルの拠点を前に首を傾げていた。
ガサッ、と背後の茂みが大きく揺れる。
ファクロウが振り返るより早く、殺気を纏った影が飛び出した。
「名を名乗れ……さもなくば――覚悟しろ」
ボロボロに擦り切れた服、泥と獣の血に塗れた乱れた髪。事故現場から這い出してきたような姿で、その手に鋭く削り出された自作の槍を構え、獣のような目をしているのは、間違いなくノル・タケダだった。
「……ん? お前か、ノル」
「あ……」
ファクロウの顔を認識した瞬間、ノルの目から険しい殺気がスッと抜け落ちた。
構えていた槍の穂先が下がり、悲しげに目が伏せられる。
「……ファクロウか。もう、来ないのかと思ったよ」
ノルはぽつりと呟いた。
「俺のこと、完全に忘れたのかって……。最後に会ったの、そんな前だったんだな……」
「おいおい、落ち着け。三ヶ月になるのは明日だっての」
ファクロウは苦笑しながら手を振った。
「ただ、この二日ほどお前の姿が見えなくてな。上から『死体を確認してこい』って言われて探しに来ただけだ」
「……そう、なんだ」
その淡々とした言葉に、ノルの胸がズキッと痛む。やはりこの男にとって、自分はただの業務の一環に過ぎないらしい。
「まあ、生きてるなら十分だ。行くぞ、時間だ」
「行くって……どこへ?」
きょとんとするノルに、ファクロウは事もなげに言った。
「中央の町だ。服を買うぞ。明日に備えて、ちゃんとした格好をしておけ」
二人は森を抜け、中央の町へ向けて駆け出した。
「ファクロウ、明日ってそんなに特別な日なのか?」
走りながらノルが問うと、前を走るファクロウが振り返らずに答える。
「ああ。明日、お前は『第1の町』の最強のハンターたちの前に立つことになる」
「第1の町……」
「初日に聞いただろう、“入ったゲート番号”を。あれがお前の所属する町を示していたんだ。ロッテンロウには三つの町がある。上官たちに会ったら、本格的な任務の補助や同行が始まる」
ファクロウは速度を落とし、ノルの顔を横目で見た。
「お前の仕事は簡単だ。――できるだけ多くを学べ。それと、死ぬな。少なくとも、俺が担当している間はな」
辿り着いたのは、木造でミニマルな雰囲気が漂う簡素な服屋だった。
「着いたぞ。さっさと選べ。俺はまだ仕事が山ほどあるんだ」
腕を組んで急かすファクロウをよそに、ノルは店内の服を物色し始めた。
「分かった。えっと……これと、あれと……その隣のも。せっかくだし、ちょっとくらいスタイルを変えてみるか」
迷った末にノルが自信満々にレジへ持っていった服を見て、ファクロウは大きくため息をついた。
「……お前、初日に着ていたのと全く同じ服じゃねぇか。本当にセンスねぇな」
「い、いいだろ別に! 動きやすいんだよ!」
「まあいい。代金は店主に渡せ。交換する分もちゃんと伝えろ」
ノルはインベントリを展開し、これまでの生活で集めた物資を確認した。
「ええと、リンゴ、木材、ベリー……それから、ウサギとキツネの毛皮があるな」
「毛皮だけ出せ。他はここでは価値がない」
夕暮れ時。新しい(しかし見た目は全く同じ)服を抱え、ノルは拠点へと戻ってきた。
「よし、今日はここまでだ。明日に備えてしっかり休め」
ファクロウが帰り支度をしながら告げる。
「道順は覚えているな? 明日は朝七時、最初の分岐にあった『古いオークの木』の下で会おう」
「分かった」
「じゃあな」
風の音と共に、ファクロウの姿が消える。
一人残されたノルは、真新しい服を抱きしめ、夜空を見上げて満面の笑みを浮かべた。
「ついに……ついに本物のハンターたちに会えるんだ。はあ……楽しみすぎる!」
翌朝。
「ふぁぁ……朝七時って……早すぎだろ……」
ノルは大きな欠伸をしながら、森の道を歩いていた。
「もう一時間くらい遅らせてくれればよかったのに。あ、古いオークはすぐそこだ。急がないと」
足早に待ち合わせ場所へと向かう。
――午前七時。
古いオークの木の下に到着したノルは、胸を躍らせ、満面の笑顔で待っていた。
――午前八時。
周囲をウロウロと歩き回り、ノルの表情には明らかな焦りが混じり始めている。
――午前九時。
「……いい加減にしろよ、あのバカ鳥!!」
ノルは完全にブチギレていた。
その時、背後の茂みからガサリと物音が響いた。
「やっと来たか……! 二時間も待たせやがって――」
怒鳴りながら振り返ったノルの声が、ピタリと止まる。
木々の間から姿を現したのは、ファクロウではなく、一人の同年代の少女だった。
鮮やかな金髪から覗く独特なオレンジの前髪、そして吸い込まれるような澄んだ青い瞳。スポーティなフード付きジャケットを羽織り(フードは背中に下ろしている)、腰には猟刀、背中には弓と矢筒を背負っている。
「あっ……その、こんにちは。別の人かと思って……」
怒鳴ってしまった気まずさから、ノルはぎこちなく頭を下げた。
「……気にしなくていいわ」
少女――椿イカリは、静かで感情の起伏を感じさせない青い瞳でノルを一瞥すると、そのまま歩み寄り、ノルのすぐ隣にそっと腰を下ろした。
「……よかった」
ノルは落ち着かない様子で、隣の少女をチラチラと盗み見た。
「えっと……散歩には、まあ……いい日だよね」
「ええ、そうね」
淡々とした、氷のような口調。
「あ、ああ……そうだね」
ノルは引きつった笑いを浮かべ、前を向いた。気まずい空気が流れる。
――さらに三十分後。
「なあ……」
ついに苛立ちを隠せなくなったノルが口を開いた。
「ここに来て、何がしたいんだ?」
「どういう意味? 私がここにいてはいけない理由でもあるの?」
椿は顔色一つ変えず、青い瞳を向けて首を傾げる。
「いや、嫌ってわけじゃないけどさ。俺、この三ヶ月ほとんど誰にも会わなかったんだ。なのに急に現れて、ずっと隣に座ってるなんて……普通に変だろ」
「そう? じゃあ、なんであの人は平気なの?」
椿が指をさしたのは、二人の頭上にあるオークの太い枝だった。
ノルが見上げると、そこには口元をマフラーで隠した見知らぬ男が、リラックスした様子で横たわっていた。
「なっ……!? いつからそこに!?」
「彼女が来る前から、ずっとここにいたよ」
男――ヒソカは、眠たげな目でノルを見下ろした。
「そんなわけない! 気づくはずだ……!」
「ノル、お前の探知能力はまだまだってことだな。――やあ、椿。久しぶり」
ヒソカがにっこりと笑いかけると、椿も小さく頷いた。
「ええ、久しぶりね、ヒソカ」
「じゃあ、二人は知り合いだったのか?」
驚くノルに、ヒソカは思い出すように語り始めた。
「ああ。ひと月ほど前かな。中央の町を探して森を歩いていたら、巨大なイノシシを手際よく解体してる“何か”が見えてな。近づいてみたら……椿だった」
「それをもう一度言ったら、本当にその口を縫い合わせるわよ、ヒソカ」
椿の青い瞳がスッと細められ、本気の殺気が漏れる。ヒソカは肩をすくめて黙った。
「なるほど……今日は二人は会う約束でもしてたんだな」
ノルは立ち上がり、パンパンとズボンの土を払った。
「じゃあ、そろそろ行ってくれよ。邪魔するつもりはないけど……できれば遠くで話してくれないか」
そう言って椿を軽く手で押しやろうとした瞬間、彼女の冷たい声が響いた。
「ちょっと待って。私を追い出す理由なんてないわ。ここにいる権利は、あなたと同じよ」
「それは分かってるさ。でも、今日は案内人と会う大事な日なんだ。第1の町のハンターたちに紹介してもらえるっていう約束でさ。余計なことで集中を切らせたくないんだよ」
「へえ……本当に楽しみにしてるのね」
椿は少しだけ興味を引かれたように、ノルを見上げた。
「それで――あなたの名前は?」
「ノル・タケダだ。ずっと夢だったんだよ、モンスターのハンターになるのが。今日がその始まりなんだ。世界で一番頼もしい英雄たちと会えるんだから、最高の日になるはずさ」
「……ノル……タケダ?」
椿の瞳が、僅かに見開かれる。
「ああ」
「……そう。変わった名前ね。まあ、それはいいわ」
椿の表情はすぐに元の冷たさに戻ったが、その声には先程までにはなかった、明らかな「苛立ち」が混じっていた。
「でも一つ言っておくわ、ノル。そんなお花畑な考え方をしているなら、あなたはハンターになる資格すらない」
「……なんだと?」
「外見や憧ればかり気にして、この世界の本質を全く見ていない。そんな考え方じゃ、いつか必ず取り返しのつかないことになるわ」
「俺のこと、何も知らないくせに……どうしてそんな偉そうな言い方ができるんだ?」
ノルの声に、明確な怒気が混じる。
「知らなくても十分よ。あなたのその憧れと理想は、自分の目を曇らせるだけ。それじゃ失敗を繰り返すわ。実際、三ヶ月もこの森にいて、ヒソカの気配にすら気づけなかったでしょう?」
椿は立ち上がり、オレンジの前髪を揺らしながらノルを正面から見据えた。
「未来のハンターとして忠告してあげているの。あなたに無駄死にしてほしくないだけよ。ねえ、ヒソカ。私、間違ってないわよね?」
同意を求めて上を向くが、ヒソカは枝の上でスースーと寝息を立てていた。
椿は呆れたように深いため息をつく。
「つまり……俺はまだ準備ができてないって言いたいわけか」
ノルは怒りを通り越し、挑発的な笑みを浮かべた。
「心配してくれてありがとうよ。でもな……たとえ明日俺が死ぬことになっても、絶対に無駄にはしない」
腰の剣の柄に手をかけ、表情を完全に引き締める。
「俺は、俺の信念を貫く。さあ……俺がどれだけ準備できてるか、その目で見せてやるよ」
その好戦的な態度に、椿は苛立ちを隠そうともしなかった。
「ほんと、子供みたいな態度ね。そんな幼稚な挑発、私の言っていることが正しいって証明してるだけよ。もうやめなさい。これ以上、自分の無知を晒して恥を重ねる必要はないわ。それに――ハンターの掟で、同士討ちは禁じられているの」
「何を怖がってるんだ?」
ノルはさらに一歩踏み込み、顔を近づけた。
「俺が負けたら、素直に諦めて辞めてやるよ。そんなに自分が優れてるって思ってるなら、堂々と相手をすればいい。……それとも、未来のハンターってのは、口だけの存在なのか?」
「――ッ!」
その一言が、完全に逆鱗に触れた。
椿の顔が、一瞬にして茹でダコのように真っ赤に染まる。先程までの冷徹な雰囲気は見る影もなく、金髪とオレンジの前髪を震わせながら全身で激怒した。
「もう我慢の限界よ!! この幼稚でウザいガキ!! 今ここで完全に終わらせてあげる!!!」
「やっと本性を見せたな。遠慮はいらない、来いよ!」
「いいわ。――覚悟しなさい」
椿はジャケットの裾を翻し、鞘から猟刀を引き抜いた。
「力づくで、あなたのその腐った頭に理解させてあげる」
枝の上で、ヒソカが片目だけを開けてその様子を見下ろしていた。
(……どっちも同レベルで幼稚だな。今日殺し合わなくても、いずれやるだろ、あいつら)
キンッ! と鋭い金属音が森に響き渡った。
戦闘開始直後から、椿の動きはノルの想像を遥かに超えていた。
攻防ともに極めて高い技術。太刀筋に一切の無駄がなく、流れるような連撃がノルの防御を容赦なく削り取っていく。
「くそっ……!」
ノルは完全に守勢に回っていた。反撃の隙が全く見出せない。
(嘘だろ……なんであんな細腕でこんなに重いんだ!? このままだと――俺の剣、折れる……!)
ギリギリと刃が交差して押し合いになるが、力負けして後退させられるのはノルの方だった。
「悪くないわね。思ったよりは粘るじゃない」
椿が青い瞳に余裕の笑みを浮かべる。
「君も強いよ。この数ヶ月、相当鍛え込んだんだな」
ノルが微笑み返した、その次の瞬間だった。
椿の身体が沈み込み、不意打ち気味に下から上へと強烈な斬り上げが放たれた。
「……ガードが甘いわ!」
「くそっ……隙を突かれた!」
(直接この一撃を受けたら、確実に剣が折られる……どうする……!)
一瞬の思考。モクサイから学んだ「知恵」がノルの脳裏を閃く。
ノルは足で地面を強く踏ん張り、あえて上から下への縦斬りを力任せに振り下ろした。
ガギィンッ!!
すさまじい衝撃と共に、ノルの剣が弾かれた。
いや、違う。ノルが「意図的に手を離した」のだ。
衝撃を逃がされたノルの剣は空高く舞い上がり、刀身が欠けて飛んでいく。
「まだ立つの?」
武器を失ったノルに対し、椿が冷たく言い放つ。だが、ノルの瞳には獰猛な光が宿っていた。
「まだだ……! 俺は負けない!!」
丸腰のまま、ノルは椿の懐へと突進した。
予期せぬ特攻に、椿は反射的に踏み込み、体を三百六十度回転させながらノルの脇腹を柄で突こうとする。
ドンッ!
激しい衝突音。
しかし、椿の攻撃がノルに届くことはなかった。
「なっ……!?」
椿は青い目を見開いた。彼女の腕、そして突進してきたノルの腕を、左右から伸びた「二本の太い腕」が万力のようにがっちりと掴み止めていたのだ。
(どうやって……!?)
椿の脳裏に、ノルの行動の意図が閃く。
(まさか……わざと剣を手放して、私を油断させるために……肉弾戦に持ち込むつもりだったの!?)
「まったく……」
二人の腕を掴んだまま、ファクロウが呆れたように笑った。
「たった数分遅れただけで殺し合い寸前か。お前ら、本当に信じられない連中だな」
「ファクロウ!?」
ノルは目を丸くした後、すぐに怒りの表情に変わった。
「やっと来たか! 一体どれだけ待たせるんだよ!!」
椿は乱れた呼吸を整えながら、目の前の少年を睨みつけた。
(命まで懸けて……そこまでして、自分の意地を通したいなんて。ほんと、変わってるわね――ノル)
「もう文句は終わりだ。さっさと行くぞ」
ファクロウは二人の腕を離し、オークの木の幹を見上げた。
「ヒソカ、降りてこい。もう決着はついた」
スタッ、と音もなくヒソカが枝から飛び降りる。
「ちょっと待て……こいつらも一緒に来るのか?」
不満げに尋ねるノルに、ファクロウは当然のように頷いた。
「当たり前だろ。お前ら三人とも、俺の弟子なんだからな。正直、三回も同じルートを案内して歩くのはだるいんだ。ほら、行くぞ」
ファクロウを先頭に、四人が歩き出す。
ヒソカは相変わらず無表情。ノルはこれから会うハンターたちのことでやたらと楽しそうに笑い、椿はそんなノルを見て露骨に不機嫌な顔をしていた。
場所は変わり、暗く冷たい空気が漂う石造りの実験室。
壁際に置かれた遠心分離機の横で、丸い眼鏡をかけた科学者マッサルが、試験管の血液サンプルを観察しながらノートに細かな数式を書き込んでいた。
ギィ、と重いドアが開く。
「やっぱりここか、マッサル。何日も探したぞ」
カジュアルな口調で入ってきた男――シゲルを見て、マッサルは忌々しげに眉をひそめた。
「勝手に入るな、シゲル。……で、今度は何の用だ?」
「そんなにピリピリすんなよ。俺たち、友達だろ?」
「重要な研究の最中だ。用件だけ言ってさっさと帰れ」
「相変わらず堅いなあ」
シゲルは肩をすくめたが、その口元には邪悪な笑みが浮かんでいた。
「でも今日は、お前にとって“ちょっと嬉しい話”がある。今日は何の日か分かるか?」
「……月曜日だろ。最悪だ」
マッサルの死んだ魚のような目に、シゲルは声を上げて笑った。
「それも正解だけどな。今日は“ちょうど三ヶ月”だ。新しく入った候補生たちが、試験を始めてからな。ついにあいつらと会えるんだ」
シゲルはマッサルの机に身を乗り出し、声を潜めた。
「――あいつらに、“特別な歓迎”をしてやりたいと思わないか?」
「……何を企んでいる」
「評議会が、第一村と第二村において『ログランク試験』の実施を認めた。で、俺はちゃっかりその監督役として申請しておいたってわけだ」
マッサルは手を止めた。
「……雷電はそのことを知っているのか?」
「全部じゃない。だが、長老会の承認は正式に下りている。法的な問題は一切ないさ。あとは、お前のその優秀な頭脳を借りられれば完璧だ」
「断る。私は忙しい。“ハンターの資質”を覚醒した者の血を分析しなければならない」
「そうか、そいつは残念だな。まあ、俺は俺で適当に準備を進めるよ」
シゲルはあっさりと引き下がり、ドアへと向かった。
だが、取っ手に手をかけたところで振り返り、真剣な低い声で告げた。
「――ああ、それと。雷電とファクロウは、今、村にはいない」
ピタリと、マッサルのペン先が止まる。
「……どういう意味だ?」
「エゴランド国での極秘任務だ。少なくとも一週間は戻らない。つまり――」
マッサルの表情が、硬く凍りついた。
「……あのフォーカスが、完全に一人になる、ということか」
「その通り」
シゲルの目が、暗い歓喜に歪む。
「――“借り”を返す時だぜ、マッサル」
長い沈黙の後、マッサルはゆっくりと椅子から立ち上がり、その青白い顔に薄く、狂気じみた笑みを浮かべた。
「……いいだろう。たまには、実験室を出て休暇を取るのも悪くない」
その言葉を聞き届け、シゲルは不敵な笑みを残して部屋を後にした。
影の中で蠢く悪意が、新米ハンターたちを飲み込もうとしていた。




