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九の①


    九


 青木と小川の二人は夕食を食べ終えると、食器を門番の兵士に返して、そのまま朝一番の便に乗ってパラダイス島をあとにした。これがマルチの望むところであったはずだ。今思えば、マルチが『猛獣が出る』などと嘘をついたのも、早々と帰るよう催促したのも、あの儀式が相当重要で、知られたくないものであるからに違いなかった。

 途中で弁当を食べたり居眠りしたりしながら、青木たちはまた一日以上かけて、探偵事務所まで戻ってきた。小川は「もう二度と行きたくありませんね」とため息をつくと、一度自分の家に戻った。青木は静かで寂しい探偵事務所の事務机に向かってぼうっとした。

 帰り道にもいろいろ考えていたが、問題点を整理すると次のようになる。

 まず、時間の問題だ。確かに夕方に眠ったはずだったのが、目覚めてみると深夜になっていた。それからすぐ日が昇り始めたので、夜もかなり更けていたらしい。

 次に、『幸せをつくりだす儀式』の問題。何故そんなことがあの島で行われているのか。しかも、トンネルの中の巨大な地下のドーム施設で、極秘裏に。何か事件の匂いがしてならない。そしてついでに、そんな重要なことをあっけらかんと語ったあの兵士も、不審の一つである。

 青木はぐったりとして椅子にもたれた。椅子がギィと鳴くことにどこか安心感を覚えながら、再び青木は寝入ろうとしていた。普段使わない頭をこれだけフル回転させると、さすがに疲れも押し寄せるものである。

 ……青木さん……青木さん……

「青木さん!!」

 小川の一喝で、青木は飛び起きた。見ると、見慣れない男がブラインドの隙間から差し込む光を浴びながら、応接間のソファに座っている。

「見てください、お客さんです」

「えっ?」

「今日この事務所に来る途中でばったり会って、ぜひ『青木探偵事務所』を見学したいということで」

「誰なんだ一体」

 青木は目をぱちくりさせた。

「あっ、そっか。青木さん先に帰っちゃったから知らないんだ」

「先に帰った?」

「紹介します。『デスティニー』日本支部長に今度就任する足田さんでーす」

「やあ、どうも」

 足田はコーヒーをすすりながら、青木に会釈した。

「次期『日本支部長』? そんな方が……」

 青木は立ち上がって、仰々しい低姿勢をとりだした。

「あのぉ、今日は何の依頼で……」

 作り笑顔もバッチリである。

「ああ、依頼じゃないですよ。……ほら、小手川社長の事件の調べは、どこまでついてるのかな、と思ってね」

「ああ、その話ですか。……現在鋭意捜査中なのですが」

「ふうん」

 足田はまたコーヒーを口に運んだ。

「これは『パラダイスコーヒー』だね……そうだ、前に、次にあった時はコーヒーをおごるって、小川くんに約束したよね」

「いやあ、そんな。いいんですよ」

 小川は頭の後ろをかいた。

「ほら、これあげるよ。ああ、コーヒーじゃないんだけれど」

「これって……」

 小川に渡された袋を、青木も一緒になって覗き込んだ。

「何ですか、これ」

「ワインだよ」

 足田はニコッと笑った。

「ワイン……僕飲めませんよ……」

「あれ? 大学生って言ってなかったっけ」

「いや、大人ではあるんですけど……」

「こいつはアルコールダメなんすよ。私はいくらでもいけますけど」

 青木は小川のさらさらな髪の毛をくしゃくしゃにかきまぜながら、ガハハと笑った。

「ふーん……まっ、でもこのワインは、普通のワインじゃないからね」

「えっ?」

 青木と小川は足田の話に耳を傾けた。

「『幸せになれる』ワインなんですよ。これを飲むだけで」

 足田は意地悪そうに笑った。二人はぽかんとした変な顔をしている。

「信じられないかもしれないけど……まあいいや。それじゃあ、僕はこれで」

 足田が去っていこうとするのを見て、ようやく我に返った小川が見送りに出た。青木は挨拶もせず、また机に戻って椅子にストンと腰を下ろした。

「青木さん、そう言えば、お風呂入りました? さっきから臭いですよ」

 見送りから戻ってきた小川が茫然自失の青木に声をかけた。

「おい、おがわぁ……犯人わかったぞ……」

「えっ?」

「犯人はあいつだ……」

「あいつって……まさか足田さんのことですか!? そんなバカな」

 小川は毛頭信じられない様子だ。

「動機は日本支部長の地位だ。そして、奴はこう言った。『幸せになれる』ワイン、とな」

「言いましたけど……」

 小川は両手を机について、青木に詰め寄った。

「足田さんはそんな、なんていうか……殺人犯って感じじゃないですよ」

「見た目や先入観で決めつけるのはよくないことだぞ、小川」

 青木は諭すように小川を睨みつけた。

「おい、メモ貸してみろ」

「あっ、はい」

 青木はメモをパリパリとした乾いた音をさせながらめくると、あるページを目にとめた。

「これだ。お前ここに書いてるだろ。『足田さんはいつも微笑んでいる』」

「はあ、書きましたけど、それはおまけですよ」

「ああ、そうだろうな。でもこれは、お前が足田という男に初めて会った時に感じた率直な感想だろ」

 小川はいつもと違う青木の雰囲気に少したじろぎながら、「そうですけど」と答えた。

「つまり、これは、お前が足田を『変な奴』だって、思ってた証拠だ」

「何じゃそりゃ」

 やっぱりいつもの青木さんだ、と小川は拍子抜けした。

「確かに変な人だな、とは思いましたけど、それだけで犯人と決めつけるなんて……」

「いいかおがわぁ!」

 青木の怒鳴り声に、小川は机にもたれるのをやめてピンと背筋を伸ばした。

「俺たち探偵はネチネチネチネチ証拠がどうこうとか考えねぇんだ。そんなのは、警察の仕事だ。俺たちはもう、直感で犯人って決めたら、それまっしぐらなんだよ!」

「えっ、えっ? それって……」

 小川が戸惑うのをよそに、青木は外出のしたくを始め出す。

「ちょっと、どこに行くんですか」

「決まってる。日本支部だ」

「何しに行くつもりですか」

「あの秘書に、小手川のことを聞く」

「秘書って……」

 青木はもう既にコートを着て準備万端だ。小川がうろたえている間に青木はさっさと出て行こうとする。

「あの……」

「……」

「青木さん!」

「何だ」

 青木が迷惑そうに振り返る。そこには鼻をつまんだ小川が居た。

「何でもいいですけど、とりあえず、お風呂に入ってからにしてください」

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