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さびてつなおんど  作者: ぽっぽ
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エピローグ 夕日色のボタン

 報告書を読み終え、ヴァージニアは短い息を吐いた。

「銀幕」タングステンの地下劇場の大きなスクリーンに、細かな文字の羅列が「刺繍」されている。

 フロアの端から端まで並べられた客席は全て空で、この面白みのない文書を真剣に読んでいるのは舞台裏の管理室に居るヴァージニアだけだ。

『コンブリオミシン』のはずみ車を回し、文書に何度も目を通すが、漏れるのはため息ばかりだった。

「これで終わりではないのだろうな」

 心中に過ぎった言葉が、思わず口をついて出る。


 刹那、同胞の気配を感じたヴァージニアはミシンの電源を落とす。

 何食わぬ顔でミシンの上に置いたカップを取り、優雅な仕草で口元に運んだ。

 苦く、すっきりとしたスープの味が体中に染み渡る。

 そうこうしているうちに、音も立てずに管理室の扉が外側から開いた。

 青みがかった髪の青年が顔を覗かせ、失礼します、と抑揚のない声で言った。

「ノックぐらいしたらどうだ、ミユキ。一応、私の部屋だぞ」

 青年ーーミユキは顔色ひとつ変えず、管理室に脚を踏み入れた。

 歳の頃は二十代前半、顔の半分を覆った長い髪は痛々しい手術の跡を覆い隠すように腰まで伸びている。

 服の隙間から覗く腕や首元の肌の色は人間のそれではなく、鈍い銀色をしていた。

 人の姿を借りた植物が住むこの島での、「もっとも優れたもの」を示す証だ。

「ノックというものは不慣れなもので、申し訳ありません」

 言葉とはうらはらに口調から悪びれた様子は伺えない、それがミユキという男だ。

 エミリオからの届け物だと言い、スープの入ったポットを手渡すミユキを見て、ヴァージニアは人の悪い笑みを浮かべた。

「随分と男前になったじゃないか」

 ミユキは何も答えない。

 彼がこの話題を避けようとしているのをヴァージニアは知っていた。

「育て親」であるテオドールが死に、エミリオに「乗り換え」をしてから暫くしてミユキは文字通り成長した。

 元来、人の想いを元に育てられる『さびてつなおんど』という植物は、育て親の望んだ年齢の通りに造られる為、決して「生まれた」時から外見的には成長もしないし、僅かな変化も起こらない。

 少なくとも、今まではそうだった。

 が、ミユキ・フィッツジェラルドというさびてつなおんどは生まれた時の十歳前後の姿から、瞬時にして倍の年月が過ぎたかのかのような成長ぶりを遂げている。

 これは、まったくの異例だ。

「テオドールが亡くなったことで、己に何かが起こったことに罪悪感のようなものを感じているのだろう?」

 違うか、とヴァージニアは問いかける。

 ミユキは黙ったままだった。

「貴様の気持ちはわからないでもない、だがエミリオから意識は離すなよ。

 すぐに「枯れる」ぞ」

「わかっています、エミリオ様はユリアナの意思を次ぎ、この島を良い方向へ導こうとしている………おれも、協力は惜しみません」

 相変わらず声に抑揚はなかったが、言葉に強い意思のようなものが感じられた。

 ヴァージニアはこの場を去ろうとするミユキの背に、その気持ちを忘れるな、と念を押した。

 ミユキが無言のまま管理室を後にすると、再びため息を吐いた。

 書類が山と詰まれたコンブリオミシンの横のテーブルに手を伸ばし、無造作に置かれた記録用糸巻きを手に取る。

 暫く手の中で弄んでいたが、思い立ったようにミシンに糸巻きを滑り込ませた。

『立体刺繍』は糸巻きやネットワークメディアをコンブリオミシンで投影することによって初めて成り立つ代物だ。

 タングステンのミシンは相当古いものだが、改造を重ね、ネットワークメディアへの介入も可能にした為、ヴァージニア・リィは暇さえあればカタコンベに住まうイシュタム達の知識を吸収することに日夜勤しんでいた。


 糸巻きをセットしたミシンがカタカタと音をたてて回転する。

 がらんどうの劇場のスクリーンに、疲れきった表情の女性の顔が「刺繍」された。

『クリプト五三三、二十三月と三日、午前二時四十五分………』

 ユリアナ・メーステルの淡々とした声が響き渡る。

 ヴァージニアはもう、何度この場面を見たかわからない。

 エミリオの延命手術をユリアナがどのようにして行ったか、その手順も完璧に把握してしまった。

 把握はしたが、実行ができるとは限らない。それが天才ユリアナと、凡人の大きな差だった。

 ミシンの横のはずみ車を手で回転させ、場面を早送りする。

 糸巻きに巻かれた糸が残り僅かになり、記録されているものの終わりが近づいていることを知らせていた。

 ふと、手を止め再びスクリーンに糸を刺繍する。

 無事手術は終わり、最後の縫合を手馴れた様子で仕上げるユリアナの姿が浮かび上がった。

 はずみ車がカタン、と大きく回転し劇場内が一瞬にして闇に包まれる。

『エミリオ………』

 ややあって、もう何も写していないスクリーンからユリアナの声が聞こえてきた。

『アナタはこれから先何年も、何百年もの時を生きるでしょう。』

 ヴァージニアはカップを手に、只じっと闇の中を見つめていた。

『これからアナタが生きる長い歴史の中で、本当の絶望を見出したら………錆鉄御納戸を使って世界を再構築しなさい。これは何処にも発表していないことなのだけれど、最も強い愛情を伴って生まれた錆鉄御納戸は人と同じく成長するよう種を品種改良したわ成長の条件は、彼らの愛した人間が死を迎えること。人間の死を踏み台にして成長する種にのみ、繁殖能力が与えられているの。繁殖能力を与えられた彼らはあっというまに生態系をひっくり返すでしょう。』

 カップを口元に運び傾けると、冷えきったスープの味がヴァージニアを苛立たせた。

 ミユキが置いていったポットに手を伸ばし、まだ湯気のたっている暖かいスープをカップへ注ぐ。

 その間も、ユリアナの演説は続いていた。

『荒れ果てた地上で、懸命に咲く花を見てあたしは思ったの。「彼ら」は世界を蘇らせることができると。あたしの本当の望みは地位でもなく、お金でもない………この世界を蘇らせることよ。エミリオ、アナタは美しい世界の中に唯一、君臨する人間になるでしょう。

 他の心ない人間は『花』の成長により死滅する………アナタと、花だけの 世界を作りなさい。愛するエミリオ、これを見ている時にはもうあたしはアナタの側には居ないのでしょうけれど………』

 糸巻きが発光し、はずみ車の回転が止まった。

 ヴァージニアは喉の奥で笑った。

 カップを置くと、ミシンにセットされた糸巻きを取り外す。

「まったく、親子共々狂っておる」

 おもむろに手を伸ばすと、ミシンの横で埃を被っている布を取り去った。

 布の下から古びた革張りのケースが姿を現す。

「テオドールがユリアナの『半端もの』で助かったな、アレは記憶が所々抜け落ちておったわ。エミリオはこれを見ることを頑なに拒否しておる故知られる心配もないだろうが………万が一を思って私はこの記録を封印することに決めたぞ」

 慎重にケースを開け、中から鈍く光る一本の縫い針を取り出すと、優雅な仕草で構えた。

「記憶の糸を紡いでおくれ」

 刹那、ウィイイインと低く唸りをあげてミシンから大量の糸が吐き出された。

 ヴァージニアは吐き出され宙に舞う糸を指に絡め取ると、己のドレスの胸元にまるでブローチのように刺さっている縫い針の穴へ器用な仕草で通す。

 それからの彼女の指の動きは、芸術と呼ばれるに相応しいものだった。

 ミシンから吐き出される糸の舞いに合わせ、もの凄いはやさでドレスに刺繍を施してゆく。

 みるみるうちに、漆黒のドレスに夕日色が宿った。

 一見ボタンのかたちをしたそれは、ユリアナの記録を封印した証だ。

 ヴァージニアのドレスに映える無数のボタンのかたちをした刺繍が、封印してきた記録の数を物語っていた。

『コンブリオミシン』は立体刺繍を構築するだけではなく、記録を糸にし、また糸から記録を造る。

 銀幕『タングステン』の主、ヴァージニア・リィに課せられた仕事は記録の管理と偽造だった。

 刺繍を終えると、ヴァージニアは優雅に針を胸元へ戻す。

「………ご苦労だった」

 動きの止まったミシンを撫で、まるで人にするように礼を言った。

 ミシンの側から離れると、ヴァージニアは疲れたようにその場にへたり込み、目を閉じた。

「花たちに暫しの休息と平和を………」

 祈るような呟きは誰に届く訳でもなく、薄暗い部屋の片隅へと消えた。


 ………………END………………

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