第9話 鋼治の過去
21年前、鳩美が生きていた頃。
鋼治と鳩美はファミレスで少し早い夕食をとっていた。
「納得できないわ」
ドリンクバーのコーラを一息に飲み干した鳩美は、空のコップをだんとテーブルに叩きつける。
「私だけAランクに昇格で、こうくんはDランクのままだなんて。私たちはちゃんと東京B1号ダンジョンの最深部までたどり着いたのに」
「僕はスキルが無いから、疑われるのは仕方ないよ」
鋼治は昇格審査の担当者の顔を思い出す。
『活性心肺法? ふぅん、才能が無いなりに頑張ってるのは認めるけどねえ。スキルじゃないのなら、たかがしれてるでしょ。今回は見逃してあげるけど、報告で話盛っちゃダメだよ』
あまりに無礼すぎる大人に、鋼治は嫌な気持ちにはなったが、鳩美ほどの怒りはない。
「こうくんは自力でスキルに匹敵する技を編み出したのよ。きっと世界中の探索者が活性心肺法を習うようになるわ」
鳩美が単なる慰めではなく、本気でそう思っているのがわかる。
「僕ははとちゃんと一緒にダンジョン探索ができればそれで良いよ」
彼女の隣にいられるなら、どんな苦痛も忘れられる。
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獅童勝也は天才だと鋼治は思う。まだ訓練校を卒業していないのに、Sランク認定を受けている。
「おいスキルなし、約束を忘れんなよ」
「わかってるよ。負けたら学校を辞める。かっちゃんも僕が勝ったらはとちゃんの引き抜きを諦めてね」
「馴れ馴れしく呼ぶな!」
勝也が怒りを露わにする。
「ガキのころ、お前と友達だったのは人生の汚点なんだよ!」
勝也が侮蔑的な目を向ける。
「始め!」
教官の掛け声と同時に鋼治は活性心肺法レベル4を発動させる。
世界がスローになった。
勝也は模擬剣を構えずに手をこちらに向けようとしていた。
スキルで鋼治を倒すつもりなのだろう。だが、その動きは緩慢だ。
鋼治は加速した世界の中で、模擬剣を水平に打ち込む。
勝也の体が場外まで吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「おい、嘘だろ!?」
「獅童がスキルなしに完敗だと? おい、お前知覚系のスキル持ってただろ。何か見えたか?」
「な、何も見えなかった……速すぎるんだ! あれじゃどんなスキルを持ってても、使う前に倒されるに決まってる!」
模擬戦の見物人たちは、驚愕の表情で勝者となった鋼治を見ていた。
「そんな……」
勝也は壁にめり込んだまま、呆然とこちらを見ている。防具の上から攻撃したが、怪我をしていなければ良いのだが。
今まで自分を無能と侮辱してきた者たちを見返してやった。だが意外にも優越感はなかった。
「やったね、こうくん!」
鳩美が大きく手を振る。その笑顔を見た瞬間に、全てが報われた。
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それは人影が立体化したとしか言いようのない姿をしていた。
どんなおとぎ話や伝説、歴史には存在しない、人間の暴力を表現するために生まれたような怪物だった。
〈黒い怪物〉は自分の体と同じ色の剣を、鋼治に振り下ろす。
鋼治は避けられない。スキルパワーを使い果たし、活性心肺法が切れている。
「こうくん!」
鳩美が割って入り、鋼治をかばう。
このままでは命より大事な幼馴染が死ぬ。
鋼治は必死に動こうとした。だが、力を使い果たした体は鉛のように重い。
黒い剣が鳩美を切り裂く。
「ああ!」
彼女は倒れ、傷口から血がとめどなく溢れる。
「はとちゃん!」
「こうくん、死なないで……」
鳩美の瞳から、命の輝きが失われた。
「そんな……はとちゃん……僕は君がいないと……」
怪物は鋼治をじっと見る。
鋼治は死を覚悟し、日本刀を構える。
「こい、怪物! はとちゃんが死んで、もう生きる意味なんてないんだ。差し違えてでも殺してやる!」
だが〈黒い怪物〉は剣を下ろすと、鋼治に背を向けて立ち去ろうとした。
「おい! ふざけるな! なぜ戦わない!」
〈黒い怪物〉が振り向く。その顔に弧を描いた裂け目が現れた。
それは鋼治を“嗤って”いた。
〈黒い怪物〉はその場から忽然と姿を消した。
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「待て!」
鋼治の意識が現実に戻る。
「夢か……」
悪夢のせいか、全身が汗だくだ。
耐えがたい苦しみがぶり返した。
鋼治は冷たいシャワーで寝汗を流す。心が平静を取り戻すよう願って。
深呼吸する。落ち着いたが、痛みが心の奥で燻っている。
着替えた鋼治はカレンダーを見る。
日付には、その日に踏破した区域の数を書いてある。
新しい仲間と探索を開始して数日、他のSランクダンジョンと比較すれば、もうすぐ最深部に辿り着くはずだ。
あともう少しと思うと、気持ちがはやってしまうが、今日は探索よりも大事な用がある。だから休業日にしてもらった。
鋼治は車で鳩美の墓参りへ向かう。
信号待ちで人々が目の前を横切る時、不意に見知らぬ少女に目がいった。
「……馬鹿野郎」
鋼治は自分を罵る。髪型や背丈がわずかでも似ている人を見つけると、鳩美を重ねてしまっている。
あんな夢を見てしまっただけだと思いたかった。
鳩美の墓は鋼治が生まれ育った町にある。
20年も経てば、町の様子は様変わりするものだが、それでも残り続けている風景がある。
それらを目にするたびに、少年時代の記憶が蘇る。
どれも良い思い出だ。そして、その全てに鳩美の存在がある。だから鋼治は、この日にしか里帰りしない。
途中、馴染みの花屋によって、お供え用の花を買う。
「よう黒井! 久しぶりだな。元気にしてるか?」
獅童勝也が朗らかに笑った。
「うん、まぁぼちぼちね。また頼むよ」
「あいよ」
勝也はお供え用の花束を用意する。
「それにしても、かっちゃんが花屋だなんて、昔は想像もできなかったな」
「俺もさ。実家の店を継ぐつもりはなかったし、独身のままなら今も探索者やってただろうな」
「娘は、今いくつだっけ?」
「今年で10歳さ。最近、青山藍みたいな探索者になりたいって言ってる。そういう夢は子供のうちだけだと良いんだが」
かつて十年に一人の逸材と言われた、元Sランク探索者は心配そうに言う。
「探索者は命懸けの仕事だからね」
「全くだ。そのことを俺は若造の時に思い知ったから探索者を引退した。ダンジョンで死にかけた俺をお前が助けてくれなかったら、ここにはいなかった」
勝也は鋼治をじっと見る。
「本当に感謝してる。俺はお前に酷いことをしたのに」
「僕は良心に従っただけだよ」
「それができるやつは、この世に一握りしかいないさ。お前は俺にとってのヒーローだ」
(でも、はとちゃんは救えなかった)
喉元まで出かかった言葉を堪える。
鋼治は買った花束を助手席に乗せる。ここに座るのが鳩美だったら、どれだけ幸せかと思った。
鋼治は市営の霊園へ向かった。
「はとちゃん、今年も来たよ」
墓を清め、古くなって枯れた花を、買ってきた花と交換する。
そして線香を焚いて、手を合わせる。
「黒井くん」
線香の香りに混じって女性の声が聞こえる。
「お久しぶりです、雷鳥さん」
鋼治は鳩美の姉に挨拶した。
「若い子と組んだってニュースを見たから、妹を……鳩美のことを忘れたと思ったわ」
「そんなことは決してありません。僕は……」
鋼治は思わず弁明しようとする。
「いっそ鳩美を忘れたほうが、あなたのためかもしれないと私は思っているわ」
雷鳥が哀しげな目をする。
「鳩美が死んだ時、私はあなたを酷く責めたわ。それを今でも気にしているのなら……」
「違います雷鳥さん。僕が自分を許せないんです。活性心肺法なんて小細工を編み出した程度で、俺は思い上がっていた。だからはとちゃんを死なせてしまった」
鋼治は拳を強く握りしめた。
「ねえ、黒井くん。鳩美だったら、今のあなたがそんな風に思い詰めているのを望んでいないわ、自分を許してあげて」
鋼治は鳩美の墓を見る。
「確かに、はとちゃんならそう思うでしょう。でも、僕はまだ自分を許せそうにないです」
「まだ?」
雷鳥は尋ねる。
「東京S9号ダンジョンに〈死者蘇生のアイテム〉があるかもしれないんです。はとちゃんが生き返ったら、僕はようやく自分を許せる」
「もしも、失敗したら?」
遠回しに、雷鳥がそんなものあるはずがないと言う。
「僕の人生は空っぽだから、失敗しても何かを失うことはありません」
「空っぽだなんて……あなたはたくさんの探索者たちを育てたじゃない」
「確かに、はとちゃんに助けられた命を無駄にしないために、僕は自分の技を人に教えました」
活性心肺法で力をつけた探索者たちが、ダンジョンから貴重な資源や〈アイテム〉を持ち帰り、世の中の進歩は加速した。
ダンジョン探索者協会から表彰され、名誉Sランク探索者に任命された。
藍たちだけでなく、大勢の教え子たちが今も尊敬してくれる。
「でも、はとちゃんの命と比べたら、まるで釣り合わないですよ」
鋼治は吐き捨てるように言う。
「僕は今でも、スキルを持っている人が羨ましい。活性心肺法じゃ人ができることの延長しかできない。でもスキルは、人を超人にしてくれる。僕がそれであったのなら、きっとはとちゃんを守れたんだ」
鳩美を殺したあの〈黒い怪物〉の声なき嘲笑が脳裏をよぎる。
「理屈ではもうわかっているんです。現実を受け入れて、正しい感情を取り戻すべきだって。でも、どうやってもできないんです」
「鳩美が生き返らない限り、黒井くんの人生は一歩も前に進まないの?」
「はい」
鋼治は即答する。
「僕はもう行きます。嫌な話を聞かせて、すみませんでした」
「気にしてないわ。辛い気持ちは、どこかで誰かに打ち明けるべきよ」
「ありがとうございます」
鋼治はその場から立ち去ろうとする。
「黒井くん、どんな結果になろうと、せめて死なないようにしてね」
雷鳥の言葉に、鋼治は「はい」とは言えなかった。




