第10話 東京S9号最深部
この世界で活動するにあたって、トラベラーは都内の安アパートを臨時拠点として使っている。
今日からいよいよ東京S9号ダンジョンの最深部に挑戦する。
少し迷ったが、トラベラーはHi-SADで彼に連絡を取ろうと思った。
相手も別の並行世界で調査任務についている。
もしかしたら、通話に出られないかもしれない。そうだったら素直に諦めるつもりだった。
『もしもし? どうした、トラベラー』
少年の声がトラベラーの耳に届く。
「ライゼンダー、少し良いですか?」
『何かあったのか? 助けが必要か?』
いつも心配してくれるライゼンダーに、トラベラーは愛しく思った。
「いえ、助けは必要ありません。ただ、話を聞いて欲しくて」
トラベラーは現在の状況をライゼンダーに伝える。
『そうか……それは辛いな』
「ライゼンダーは……もしも私が死んだら、この世界の黒井鋼治のように、私を生き返らせたいと思いますか?」
『当然だ』
彼は即答した。
『俺も無数の並行世界に存在する黒井鋼治の一人だ、もしもトラベラーが……俺にとっての赤木鳩美が死んだら、そっちの鋼治のように生き返らせたいと思う』
「でも、そうすることで取り返しのつかない悲劇を起こすとしたら?」
『……』
ライゼンダーは少しだけ考えたあと、言葉を紡ぐ。
『俺はきっと悩むだろう。良心と鳩美を天秤にかけて、散々悩む。でも最後は、良心を選んでしまうだろう』
「そうですね。それでこそ私が愛するあなたです」
『だが、全ての並行世界の黒井鋼治が同じ人生を歩んだわけじゃない』
トラベラーは前の任務で出会った鋼治帝を思い浮かべる。彼以外にもこれまでの任務で、異なる立場や人生を送っている鋼治たちを見てきた。
『もしかしたら、その世界の鋼治は俺とは違う決断をするかもしれない。その時は、トラベラーが止めてくれ』
「ええ、必ず」
通話を終えたトラベラーは少しだけ前向きな気持ちになれた。
(正直に言って、この罪悪感は辛い。でも無くすわけにはいかない。これは良心の痛み。それを失えば、私は自分の力を無分別に振るう怪物になってしまう)
トラベラーは春花からもらった〈龍神の腕輪〉に触れる。友人が善意で贈ってくれたものを悪用する人間にはなりたくない。
トラベラーはアパートを出る。
そしてダンジョンに向かうため最寄り駅へ向かった。
●
東京駅でJR京葉線に乗り換えると、防具を身に着け、武器を収めた鍵付きのケースを持つ探索者たちが見え始めた。
トラベラーもこの世界に溶け込むため、同じ装いをしている。
電車が新木場駅に到着すると、トラベラーは探索者たちと共に降りた。
約束の時間よりも少し早く到着したトラベラーは、駅前で藍や鋼治たちを待つ。
「旅川さん。おはよう」
最初に来たのは藍たちだった。有名人である彼女たちの登場に、自然と周囲の目が集まる。
「おはようございます」
「おはようっす、旅川さん! 昨夜はよく眠れたっすか?」
「ええ。体調に問題ありません」
「何かあったら、すぐ自分に言うっすよ。スキルですぐ治してあげるっす」
雪は嬉しそうに、自分の後輩を気にかけた。
「みんな、おはよう」
少し遅れて鋼治がやってきた。
「全員揃いましたね。では出発しましょう」
藍が先頭に立ち、東京S9号ダンジョンの扉を開く。
その先はダンジョンの中間地点だ。
「中間地点ってどこも見た目が同じだから、本当に前回と同じ場所なのか、ときどき不安になるよな」
翡翠が真っ白い正方形の空間を見渡しながら言う。
「自分も同じっすね」
「気持ちはわかりますけど、考えすぎでは? ダンジョンが探索者の進行状況を記憶してるのは確かです」
そんな風に話し合う、藍と翡翠と雪をトラベラーは一歩離れて見る。完成された人間関係に後から入り込むのは苦手だ。
隣に立つ鋼治も若い女性の会話に入れず、少し気まずそうだった。
「これまでの経験からして、次はいよいよこのダンジョンの最深部です。皆さん、気を引き締めていきましょう」
スティールフラワーズは最深部へと侵入した。
「あれ?」
雪が戸惑いの声を上げる。そこは明らかに現代日本の建物の中であった。
券売機やモニターがずらりと並んでいる。
「おそらく、中山競馬場だね。付き合いで行った事がある。ダンジョンがほとんど現代の場所を再現するのは珍しいな」
鋼治は壁のポスターを見る。「第70回有馬記念」と書いてあった。
「妙に静かだな。近くに怪物はいないのか?」
翡翠が怪訝な顔であたりを見渡す。
「怪物の数が極端に少ないのかもしてないわ。その分、強さの質はかなり高いと見るべきね」
藍の言葉に、全員が微かに緊張を強める。
トラベラーたちは慎重に探索を進める。不気味なくらいに敵が現れない。
クシャクシャに握りつぶされた負け馬券や、競馬新聞などが放置されている。ダンジョンはその場所のある瞬間を再現する。ただし、人間はその限りではない。
建物の外に出た。眼の前には芝のコースが広がっている。
「あそこに次の区画への扉があります」
トラベラーが指さす先、芝コースの上に白い扉があった。
「皆さん、警戒しながら扉を目指しましょう」
今はかなりひらけた場所だ。超遠距離からの不意打ちに注意しながらトラベラーたちは進む。
彼女たちが芝のコースに足を踏み入れた直後、ファンファーレが鳴り響く。レースの開始を告げる曲だ。
「みんな、あそこ! 何かいるっす!」
雪が数百メートル離れた場所にある、スターティングゲートを指さす。
ゲートが開き、四頭の馬が飛び出した。それぞれの馬には鎧をまとった騎士がまたがっている。
騎士たちの鎧はどれも同じだったが、馬は白、青、赤、黒の毛並みをしている。
「みんな注意して。あれはヨハネの黙示録の四騎士だ」
鋼治の言葉で全員に緊張が走る。
「マジかよ! 確かあいつらの中にスキルを封じる奴がいるんだろ!?」
普段は強気な翡翠がわずかに怯えを見せる。
「翡翠、活性心肺法は対象外です。ダンジョンではなく、先生から授かった力を信じなさい」
藍が仲間を鼓舞する。だが、彼女にも普段は見せない緊張がある。
その間にも黙示録の四騎士は近づいてくる。
黒い馬に跨がる飢餓の騎士が天秤を掲げる。それは一瞬だけ禍々しい閃光を放った。
『脅威S-。フォースエナジー反応(現地呼称:スキルパワー)あり。外部出力型超自然現象(現地呼称:スキル)の無差別な無力化』
スマートグラスの表示とともに、トラベラーはダンジョンのスキルではない自分の能力も封じられるのを感じた。だが、藍が言った通り、活性心肺法は封じられていない。
(私たちだけでなく、味方である他の騎士の能力も封じてるわね)
飢餓の騎士の能力をトラベラーは脅威とは感じつつも、絶望的なものではないと思った。
「先生、旅川さん、まずはスキルを封じる飢餓の騎士を全力で倒してください」
藍が素早く指示を出す。
トラベラーと鋼治は活性心肺法をレベル4まで引き上げた。
時間感覚が加速し、二人以外の世界がスローになる。
トラベラーは一瞬だけ鋼治と目を合わす。
幼馴染を生き返らせるため、何としてでも四騎士を倒すという闘志が鋼治から伝わってくる。
良心の痛みを堪えながら、トラベラーは闘志に込められた鋼治の意図を読み取る。
鋼治がどう行動するか理解したトラベラーは、飢餓の騎士が跨がる黒い馬を攻撃した。
前脚を切断された馬が前のめりに転び、飢餓の騎士が投げ出される。
しかし飢餓の騎士は即座に空中で体勢を整え、安定した着地をはかる。
その前に鋼治が動いた。
音速を越えた一閃が飢餓の騎士の胴を両断する。
スキルを封じる天秤は持ち主とともに黒い塵となった。
「飢餓の騎士を倒した! 僕たちも敵も、スキルが使えるようになった!」
鋼治が叫ぶ。
死の騎士が動き出す。左手からおどろおどろしい黒い霧を吐き出す。
『脅威S。生命活動の瞬間停止現象』
スマートグラスが敵のスキルをトラベラーに伝える。
「死の霧に触れちゃダメっす! 死んだら治せないっす!」
雪が悲鳴混じりの声を上げる。
「私がスキルで相殺します!」
藍の手から放たれたクリティカルエフェクトの光が、死の霧を“殺す”。
次に対処すべきは死の騎士だが、他の騎士のスキルも無視できない。
白い馬に乗る支配の騎士がスキルを使った。
『脅威A-。超自然生物の召喚』
スキルを使った騎士の周囲に怪物が現れる。馬の頭を持つ大男の馬頭、二角獣のバイコーン、水霊の一種であるケルピー。どれも馬の怪物だ。
赤い馬に乗る戦争の騎士が大剣を掲げると、そこから禍々しい光が放たれる。
『脅威A+。範囲強化現象』
どちらの能力もそれ自体はありふれているが、スマートグラスが伝える脅威度は高かった。
「雑魚はアタシが封じる!」
翡翠がエリアモーフで、支配の騎士と怪物たちの四方に壁を作り、閉じ込める。
「うわ! もう壁にヒビが入ってるっす!」
雪が言う通り。すぐに破壊されてしまいそうだ。
トラベラーは戦争の騎士へ、鋼治は死の騎士へと向かった。
戦争の騎士が大剣を馬上から振り下ろす。
スキルで強化された素早い一撃だ。活性心肺法レベル4に匹敵する。
だが、単調な攻撃だ。トラベラーは紙一重で避け、大剣は芝生に叩きつけられる。
トラベラーは護身刀を振り上げ、戦争の騎士を馬ごと両断した。
「戦争の騎士を倒しました!」
トラベラーが叫ぶ。敵の範囲強化が消えた今がチャンスだ。
「すっとろくなってるぜ!」
「やってやるっす!」
「消えなさい!」
翡翠、雪、藍が三方から死の騎士を攻撃しようとする。
死の騎士は真上に飛び上がって攻撃を避けた。主人に見捨てられた騎馬は三つの剣に貫かれる。
「もらったよ」
死の騎士が振り向くと、すでに上空に回り込んでいた鋼治の姿があった。
敵は左手から死の霧を出そうとするが、範囲強化を失った今、鋼治の方が圧倒的に早い。
鋼治は刺突を繰り出す。電光石火の一撃は、鎧の隙間から騎士の首を貫いた。
絶命した死の騎士は力なく芝生に叩きつけられる。
直後、翡翠が作った壁が砕け、支配の騎士と怪物たちが姿を見せる。
「皆さん! あと一息です」
藍が仲間を鼓舞する。
トラベラーたちが怪物を倒し、支配の騎士に迫ろうとする。しかし怪物は倒してもすぐに新手が召喚される。
「くそ、きりがねえぞ!」
「緑川さん! スキルで私を射出してください!」
「あ、そうか! まかせろ!」
翡翠のスキルによって足元の地面が高速で斜め上に隆起する。その力を借り、トラベラーは大ジャンプして怪物の群れを飛び越した。
トラベラーを支配の騎士が弓で射つ。
(あたっても、致命傷じゃない。だったら!)
トラベラーは矢を除けなかった。
矢が肩に刺さる痛みを無視し、トラベラーはすれ違いざまに支配の騎士を斬った。
最後の騎士は弓を放った姿勢のまま、どさりと落馬する。
絶命した支配の騎士は、黒い塵となった。主を失った馬も、同じように塵となって消えた。
勝敗は決した。トラベラー達は残った怪物たちを手早く討伐する。
「旅川さん、大丈夫っすか!?」
雪が駆け寄ってくる。
「ええ、なんとか。治療をお願いします」
矢尻が体内に残らないよう、トラベラーは自分に刺さった矢を慎重に抜く。
あとは雪に文字通り“視て”貰えば、傷はあとかたもなく消えた。
「これでよしっす、女の子の体に傷が残っちゃダメっすからね」
雪が満面の笑みを浮かべる。
「青山さん、スキルパワーの残量は?」
「残り6割です、先生」
かなり消耗している。だが、藍が死の霧を相殺し続けていなければ、全滅の危険もあった。
「青山さん、これを」
鋼治は超次元ポーチから水薬を渡す。
「スキルパワー回復薬……こんな高価なものをすみません」
「次の敵も四騎士に匹敵するだろう。攻撃の要の君はこれを飲むんだ」
あえて命令口調で鋼治は言う。藍が遠慮せずに済むよう、彼の気遣いだとトラベラーは分かった。
「よし、では次の区画に行きましょう」
回復した藍は芝コース上にある扉を開いた。




