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トラベラー並界探訪記  作者: 銀星石
後宮編
3/12

第3話 春花のお茶会

「お逃げください陛下! そいつは暗殺者です!」


 トラベラーは鋼治(ゴンジー)帝をかばえる位置に移動する。

 すぐに攻撃が来ると思ったが、不自然なことに暗殺者は虚を突かれたように、鋼治帝を見つめていた。

 明らかに様子がおかしい。

 一見すると隙だらけのように見える。だが、トラベラーは敵を攻撃すべきか即断できなかった。罠の可能性もあるからだ。

 だが暗殺者がとった行動は、窓から外へ飛び出すというものだった。


「え?」


 トラベラーは慌てて窓へ向かうが、すでに暗殺者の姿はなかった。


路遥(ロウユー)これは一体どういうことだ? お前、ただの侍女ではないな?」


 後ろから鋼治帝の声が聞こえる。

 戦っているところを見られてしまった。

 トラベラーは振り向く。鋼治帝の目に敵意はないが、しかし疑惑はあった。

 事情を明かすしかなかった。


「私は龍神様から秘密裏に紅玉様をお守りするよう、命じられています」

「龍神様からだと? 誰かが紅玉の命を狙っているというのか?」

「はい。しかし、黒幕は誰かは分かっておりません」


 鋼治帝は「ううむ」と腕を組みながら顔をしかめる。


「それで紅玉は無事なんだな?」

「はい、ご就寝になれています」

「そうか。恐ろしいことがあったと知らずにいるのは良かっ……えっ? 寝てる? ナンデ?」


 鋼治帝は何故か動揺して、皇帝としての威厳を保てなくなった。


「明日もお勤めがあるので……」

「今日、筆贈ったよな? 手渡しで」

「あっ……」


 その時、トラベラーはあの筆が入っていた箱に”胡蝶蘭”が描かれていたことを思い出す。


「あの……陛下……胡蝶蘭の意匠が入った品を手渡しするのは夜の誘いを意味しますが……その……贈り物が実用品だったせいか、紅玉様は部下への褒美としか思われておりません」

「マジか……」


 鋼治帝は膝から崩れ落ちた。

 

「陛下、お気を確かに」

「だ、大丈夫だ。心配ない」


 鋼治帝はなんとか立ち上がる。


「だから言ったじゃろうに、もっと素直に気持ちを伝えろって」


 龍の角を生やした幼い少女がいつの間にかいた。


「龍神様!」


 鋼治帝が春花(チョンファ)に跪き、トラベラーもそれに倣った。


「わしのことは春花ちゃんと呼んで欲しいんじゃがの」

「たとえ御本人がお許しになられても、龍国の守り神をそのように呼ぶことはできません」

「はぁ、しかたないのう」

「龍神様はなぜここに?」

「九龍後宮に賊が現れたのをわしも気づいて、路遥に助太刀しようと思ったんじゃが、どうやら間に合わなかったようじゃ」


 春花は少し気まずそうに言う。


「できればつきっきりで守ってやりたいんじゃがのう」

「私個人としては是非ともそうしていただきたいですが、皇帝の立場としては……その……龍神様が一人の妃に肩入れされるのは政治的に……」

「わかっておる。じゃから路遥を派遣し、誰にも知られぬよう守らせておったんじゃ」


 それから春花はトラベラーを見る。


「路遥、紅玉を守ってくれてありがとう」

「ですが暗殺者を逃してしまいました」

「なに、気にするな」


 春花はにこりと笑う。


「この件を全部おぬしに背負わせるつもりはない。わしの方でも黒幕探しの準備を進めておる。わしが主催する茶会が明後日にあるのは知っておるな?」

「はい」

「そこでちょっとした呪術を使う。人の感情の動きを見る術じゃ。思考を読むわけじゃないが、どの妃が紅玉の死を望んでおるかはわかるじゃろう」


 その言葉に鋼治帝は訝しむ。

 

「龍神様は他の妃が黒幕だと?」

「その可能性が一番高いからな。この200年、九龍後宮で起きる人殺しは大抵が妃同士の対立じゃ」

「たしかに……そうですね」

「心から愛しているのは紅玉だけとはいえ、他の妃もお前の妻じゃ。疑いたくない気持ちはわかる。じゃがお前は皇帝なのだ。皇帝は全人類の模範とならなければいかん」

「はい、肝に銘じます」


 もしこの場に紅玉紀がいたら彼にどんな言葉を伝えるのだろうかとトラベラーは思った。

 きっと……そう考えはじめたところでトラベラーは思考を止める。他人の考えを決めつけるのは良くない。


「ふわぁ、わしはもう帰って寝る。お主らも風邪を引かないよう、あったかくして寝るんじゃぞ」


 そうして春花は帰っていった。


「私も戻るが、その前に一目でいいから紅玉の様子を確かめたい」


 トラベラーが寝室の扉を僅かに開け、鋼治帝は中で眠る紅玉妃を見る。彼はホッと安心したように息を吐いた。

 

「紅玉は私に好かれるためではなく、私に必要なことをしてくれる」

 

 鋼治帝は眠る紅玉紀を愛しそうに見つめる。


「もう十分だ」


 トラベラーは音を立てずに扉を締めた。


「私も戻る。明日も皇帝として頑張って働かないとな。でなければ、紅玉に愛想をつかされる」

「おやすみなさいませ、陛下」


 立ち去る鋼治帝にトラベラーは深く頭を下げた。



 九龍後宮は龍国の成立から存在する歴史ある建物だが、長年の増改築によって迷宮のように入り組んでいる。

 内部構造を完全に理解している住民はもはやおらず、誰からも忘れ去られた部屋が無数にあった。

 暗殺者はその内のひとつを、自分のための隠し部屋に改装して利用していた。


 ずきずきとした痛みに耐える。骨にヒビが入っているのかもしれない。暗殺者は隠し部屋を目指した。

 隠し部屋にたどり着いた暗殺者は、棚から取り出した水薬を一息に飲み干す。

 呪術で作った水薬は暗殺者の負傷をたちどころに癒やす。

 痛みがすうと消え、暗殺者は深く息を吐きながらその場に座った。

 気功と呪術の二重強化で倒せなかったのは初めてだった。しかも、相手は明らかにこちらを殺さないように戦っていた。おそらく捕まえて尋問するためだろう。


 屈辱が胸の底から湧き上がってきた。暗殺者は床を殴り、穴を穿つ。

 深呼吸を繰り返し、溶岩のような感情を静かに吐き出す。

 暗殺者は何が真の勝利であるのか、自分自身に問いかける。

 それは紅玉妃を殺すことだ。

 それ以外の敗北など、自分にとって何も不名誉ではない。

 屈辱は消えた。暗殺者は氷のような冷静さを取り戻す。


 今回は失敗した。なら次は失敗しないようにすれば良い。

 とはいえ猶予はそう残されていないだろう。

 あの場には皇帝が現れた。夜に皇帝が九龍後宮に現れる理由などひとつだけだ。

 まさかそんなはずはない。紅玉紀は妃扱いすらされていない最底辺の女だ。皇帝がやってきたのも、何か仕事を命じようとしただけだろう。

 そう思いたかったが、暗殺者の理性は、仕事を命じるだけなら皇帝がわざわざ足を運ぶ必要など無いと断じる。


 皇帝があの場に現れたのは、紅玉紀を最初の”夜の相手”に選ぼうとしたのだ。

 暗殺者が現れたのだから、しばらくはそんな雰囲気にはならないだろう。

 だが、いずれその夜はくる。そうなる前に紅玉紀を始末しなければならない。

 皇帝の相手にふさわしい、真の女のために。



 春花が主催する会場は、太平山の頂上にある彼女を祀る社だ。

 麓と頂上の間には、呪術動力のケーブルカーが引かれており、トラベラーは紅玉と共にそれに乗って社へ向かう。

 移動中、トラベラーは周囲を油断なく警戒する。


『おーい、トラベラー』


 春花からの呪術念話が届く。


『どうされました春花ちゃん』

『鋼治の小僧と紅玉は上手くいくと思うかの?』

『紅玉妃が鋼治帝の気持ちに気づけば進展はあると思います』

『おぬしがそういうのであれば、きっとそうなのだろう』


 春花の返答には、何か含みがあるように感じた。

 

『……もしかして私の”正体”をご存知なのですか?』

『まあな。神様扱いされとるだけあって、色んな意味で人を見る目はある』


 気さくな人柄で忘れがちだが、やはり春花は超自然の存在だとトラベラーは改めて思った。


『私の正体を知ったから、紅玉紀の護衛を依頼したのですか?』

『それも理由の一つじゃが、別の理由がある。おぬしが護衛でなければ、好ましくない結果を招くと占いにでたんじゃ』

『それはいったい?』

『詳しくはわからん。わしの占いは未来の自分と交信するものじゃが、歴史の修正力が邪魔するから正確な情報は得られん』

『いずれにせよ、私は最善を尽くします』

『頼んだぞ。そろそろ、おぬしらが社につくころじゃな。一旦切るぞ』


 春花との交信が終わった直後、ケーブルカーが頂上へ到着する。


「ようこそいらっしゃいました、お姉様」


 若い女が出迎える。その顔立ちは紅玉妃と良くにていた。


「久しぶりですね、雷鳥(ルイニウ)。龍神様の元でちゃんと働けていますか?」

「赤の一族の名を汚さぬよう、精進の日々でございます」


 雷鳥がトラベラーを見る


「侍女を雇われたのですか?」

「龍神様より送られた者です。彼女の気配りには助けられています」

「私も紅玉様にお仕えしたかったです」

「雷鳥」


 紅玉紀がたしなめるように言う。


「皇帝陛下に嫁いだ私は、赤の一族として龍神様にお仕えできなくなりました。私は自分の使命を妹であるあなたに託したつもりです」


 雷鳥はハッとして頭を下げる。


「申し訳有りません。私が愚かでした」

「分かってくれれば、それで良いのです。姉思いの妹を持って私は幸せです」


 紅玉紀とトラベラーは雷鳥に案内されて、茶会の会場へと向かう。

 社で働く大半が、春花の世話係を務める赤の一族の出身者なので、後宮や外廷と違って、身内である紅玉妃を蔑むような者はいなかった。

 みな紅玉を心から歓迎するように笑みを浮かべている。


 しかしトラベラーは油断できなかった。黒幕の戦力があの暗殺者だけと考えるのはあまりにも楽観的すぎる。赤の一族にも黒幕の息が掛かった者がいるかもしれない。

 通された先や社にある中庭で、食卓や日差しを遮るための大傘が置かれていた。


 他の妃や主催者である春花の姿はまだない。参加者の中で最も序列の低い紅玉紀は、最初に訪問しなければならなかった。

 紅玉妃の後にやってきたのは、四妃で最年少である雪華妃だった。ぎりぎり結婚適齢期に達しているくらいの幼さだ。


 雪華妃は紅玉妃を見るなり小さく鼻で笑ったあげく、挨拶すらしなかった。

 相手の幼稚な無礼さに、紅玉妃は眉ひとつ動かさない。

 その次に現れたのは翠玉妃だ。

 彼女は自分の名前の由来である翡翠製の装飾品を全身に身につけている。そのどれもが高品質な呪具であり、実家の財力と技術力を誇示していた。


「ご機嫌よう、今日は良い天気ですね」


 翠玉妃は雪華妃のみに挨拶した。紅玉妃に対しては文字通り眼中になかった。


「お姉様になんて無礼な」


 トラベラーの隣りにいた雷鳥がこっそり呟く。

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