八話 お飾りの妻でいいんですか?
「お久しぶりです、旦那様!」
「……」
返ってきたのは、相変わらず氷みたいに冷たい視線。わぁ、本当に変わらないなぁ、この温度。
「悪妻の部屋まで足を運んでくださるなんて、わざわざどうされたんですか?」
「……パーティーの招待状が届いた」
「またですか?」
この世界で目を覚ました時もパーティーの真っただ中だったのに。
私の反応が気に入らなかったのか、旦那様は露骨に眉をひそめた。
「よく言ったものだな。以前は『連れていけ』と毎度のように迫ってきていたのを忘れたのか」
「はい、忘れてしまいました」
そもそもそれを言っていたのは転生前のファルファナだし。
「あ! だからお誘いしてくれたんですか?」
「勘違いするな。君を誘いたいわけではなく、夫婦同伴が求められているから連れていくだけだ」
「なるほど」
夫婦仲が悪くても一緒に出席しないといけないパーティーがあるなんて、貴族も大変なんだなぁ。
「いいか。くれぐれも大人しくしていろ」
「お任せください! 旦那様の妻として恥じないように頑張りますね!」
離婚前提とはいえ、今はまだ夫婦だもの。
胸の前で拳をぎゅっと握って宣言すると、旦那様の眉がわずかにぴくりと動いた。
「本当に分かっているんだろうな」
信用がないのか、念を押すように低い声で確認してくる。
「もちろんです。もしまた絡まれても、今度はちゃんと自分の力で跳ね返してみせます!」
「騒ぎを起こすなと言っているんだ!」
ぴしゃりと旦那様の声が空気を裂いた。
「そもそも君に何ができる。跳ね除けるどころか、何一つまともにできないくせに」
「あー……」
頬に指を添えて考え込む。
言われてみれば、転生前のファルファナには似たような評価がたくさん書かれていた。教養がない、作法がなっていない、公爵夫人として相応しくない。
以前のパーティーでもそんなことを言われていた気がする。
「貴族の嗜みであるダンスも作法も、学ぶべきことを放り出してきたのは君自身だ」
ただ事実を突きつけるだけの容赦のないお言葉。
「そうですね、それは否定できませんね」
私は素直に頷いた。
実際魔法も使えないし、前世でただの一般人だった私には貴族令嬢らしい振る舞いだって怪しい。旦那様がそう思うのも無理はない。
だけど――。
「では努力いたします。旦那様の妻として恥ずかしくないように」
旦那様を真っ直ぐ見据える。
せっかくだから、ダンスも作法も分からないなら覚えればいい。やってみたら意外と楽しいかもしれないし。錬金術だって、最初は何も知らなかったんだから。
「君が努力? 笑わせるな。口にするだけなら誰にでも――」
そこまで言いかけて、旦那様の言葉が不意に途切れた。視線が私ではなく、部屋の中へ向けられている。
「旦那様?」
「これは……まさか、君が勉強でもしているのか?」
彼の目は、机の上に積まれた錬金術の本や開かれたままの図鑑、散らばったメモに向けられていた。
「旦那様も錬金術に興味がありますか?」
「錬金術……? アルケミアか? 君が?」
「はい!」
胸を張って答えると、旦那様は言葉を失ったように口を閉ざした。
「素材を集めたり、調合したり、時々どーんって失敗したり……全部すっごく楽しいんですよ!」
好きなものを語る時のように声が弾む。
旦那様は視線を本に向けたまま一歩、部屋へ踏み入れかけ――はっとしたように、その足を止めた。自分でも気づかないうちに近づいてしまったことに驚いたみたいに。
「どうせ一時のお遊びだろう」
冷たく言い捨て、背を向ける。このまま帰ってしまうつもりらしい。
「待ってください!」
咄嗟に伸ばした手が旦那様の腕を掴んだ。振り返った赤色の瞳が険しく細められる。
「私にダンスと作法の先生をつけてください」
「……何だと?」
せっかく学ぶ機会があるなら、ちゃんと覚えたい。そう思ってお願いしてみた。だけど――旦那様は私の手をばっと振り払った。
「必要ない。君はただ、大人しくお飾りの妻でいればいい」
「お飾り?」
瞬きをし、そして首を傾げる。
「私、そこにいるだけでそんなに価値があります?」
「……は?」
今度は旦那様が固まる番だった。
「旦那様が私に価値を見てくださるのは嬉しいですが、私、できれば綺麗な飾りではなく、ちゃんと役に立てる妻になりたいです」
「ずいぶん都合よく解釈したな」
旦那様は呆れたように目を細めると、額に手を当て、小さく息を吐いた。
「いいか? 今も相変わらず遊び歩いているようだが――君がどこで誰と遊んでいようと、俺には興味がない」
その声は氷のように冷たく。
「パーティーまでの間、いつものようにドレスや装飾品でも買い漁っていればいい。余計なことはせず、黙って準備だけしていろ」
「あっ、旦那様!」
呼び止めても振り返らない。そして今度こそ、本当に部屋を後にしてしまった。
「行っちゃった」
閉じられた扉を見つめながら、ぽつりと呟く。
まぁまだ時間はあるみたいだし、何とかなる……かな? この世界の作法もダンスもまったく知らないし、教えてくれるあてもないけど。
「うんうん、大丈夫だよね! たぶん。――って、やばっ! もうこんな時間!」
時計を見ると、時刻はもう八時!
慌てて部屋着を脱ぎ捨てて、ぱぱっと外出用の服に着替える。髪をまとめて靴を履いてポーチを身に着けて――よし。
「急がなきゃ!」
勢いよく扉を開けて、私は部屋を飛び出した。




