五話 めらめらの石と路地裏の喧嘩
――どれくらい時間が経ったんだろう。
ふと顔を上げると、作業台の上には試作途中の瓶や紙切れが散らばっている。夢中になっているうちに、いつの間にかずいぶん時間が過ぎていたらしい。
その時、ちりん、と入口のベルが小さく鳴った。
「ん?」
顔を上げると、背の低い影がゆらりと揺れていて。
「あ、あのぉ……」
工房の入口から、そっと小さな女の子が顔を覗かせていた。
「お客様ですか? いらっしゃいませ」
手を止めて、少女の方へ歩み寄る。
そういえば、ここはお店なんだった。全然お客様が来ないから、すっかり忘れてた。
私が声をかけると少女はびくっと肩を揺らし、慌てたように首をぶんぶん振った。
「ち、違います。その……ヤト先生に用があって……こほっ、ごほっ」
「ヤト先生なら出かけてるけど……」
言いながら、私は少女の様子をそっと観察した。
小さな胸を押さえながら苦しそうに咳き込む。その顔色は驚くほど青白くて、今にも倒れてしまいそうで――嫌でも、前世の自分を思い出させた。
「そ、そうなんだ……どうしよう。先生にお願いがあったんだけど」
少女は困ったように俯き、その声もどこか弱々しい。
「ヤト先生なら私が探してくるよ。だから、ここで休んでて!」
「え? あ、でも……」
少女が戸惑いを見せるより早く、私はそっと手を添えて椅子へ導いた。
近くに置いてあったブランケットを肩にかけ、さらに《温かみのペンダント》をそっと胸元に下げてあげる。
「すぐに戻ってくるからね!」
そう言い残して、私は工房の扉を押し開けた。
パタパタと路地裏を駆け抜けていく。最初に来た時は入り組んだ道に迷いそうになったけど、今ではもう慣れたものだ。
「ヤト先生、どこに行ったのかな。多分、買い物だと思うんだけど」
一つ、二つと角を曲がった所で数人の男達がたむろしているのが目に入った。肩幅が広く、どこか荒っぽい雰囲気をまとったお兄さん達。
実はこの人達に会うの、今日が初めてじゃない。
「ちっ……またお前かよ」
「毎日毎日、無色がのこのこ顔出してんじゃねぇぞ!」
――紹介します。このお兄さん達は、最近なぜか必ず声をかけてくる人達です。
会えばこうやって舌打ちされたり嫌味を言われたり。正直……今日は急いでいるのでお休みにしてほしい。
「おい、無視してんなよ!」
ざっと行く手を塞がれる。
いつもなら聞こえないふりをして通り過ぎるんだけど、今日に限ってわざわざ邪魔までしてくるなんて……本当、鬱陶しいなぁ。
「お兄さん達、暇なの?」
「は?」
「相手にしてないんだから、どうぞ放っておいてください」
舌打ちも嫌味も、胸のどこにも引っかからない。この人達が私をどう思っていようと、私には関係のないことだもの。
「てめぇ……! 喧嘩売ってんのかよ!」
「えっ、少し言い返しただけでそんなに怒っちゃうの? 大変だね。そんな生き方、すごく疲れそう! 大丈夫?」
純度百で心配したつもりだったんだけど、お兄さん達には伝わらなかったらしい。わなわなと顔を真っ赤にさせたかと思うと、がんっと壁を殴りつけた。
痛そう。壁じゃなくて自分の拳が。なんで殴るの?
「黙れよ! 調子に乗ってんじゃねぇぞ、クソ女!」
怒鳴り声と同時に、振り上げられた手の先から小粒ほどの氷塊が私へ降り注いだ。
「また魔法。……この世界の人達って、どうしてこんなに喧嘩っ早いのかなぁ」
咄嗟に腕で顔を庇う。
当たった氷塊がちくりと肌に食い込んだけれど、以前の令嬢が放ってきた魔法ほどの威力はない。痛いには痛いけど――怖い、とは思わなかった。
「この程度の魔法も防げないで、よく生きてこれたもんだな!」
「錬金術なんてわけの分かんねぇもんに夢見て、ヤトのところに通ってるだけあるぜ! あいつ、顔と愛想だけはいいからなぁ」
「そうそう! あいつは顔と愛想で得してるだけだからな!」
先生の名前に、ぴくっと体が反応した。
「ヤト先生を馬鹿にしないで」
さっきまでの気の抜けた空気が、すっと消えていく。冷えた視線を向けると、お兄さん達の肩がびくりと跳ねた。
「先生は優れた錬金術師です。馬鹿にしたら許さないよ」
場の空気が一段だけ静かに沈む。喧嘩は好きじゃないけど――売れれた喧嘩は買うよ。急いでるしね。
「だって、お兄さん達よりずっと素敵な人なんだから」
「ざけんなっ!」
ばっと男達が私の逃げ道を塞ぐように周りを取り囲んだ。
「無色ごときが俺達に喧嘩売ったこと、後悔させてやるよ!」
「先生のすごさが分からないなんて、もったいないね! いいよ。――できるものなら、どうぞ」
にこっと、笑顔を浮かべる。同時に、お兄さん達の手元に光が集まり、ぱちぱちと魔力が弾けた。
――魔法ってね、本当にすごいと思う。
転生しても魔力を持てなかった私には一生たどり着けない世界。せっかく魔法のある世界に生まれたんだから一度くらい使ってみたかったなぁ、なんて。でも、ないものをねだったって仕方ない。
私には魔法の代わりに――もっと特別なものがあるから。
「ちょうどいいから、ね? 私の実験、手伝ってくれると嬉しいなぁ」
迫り来る魔法を見据えながら、私は腰のポーチへ手を伸ばす。次の瞬間、ごうっと炎が渦を巻き、路地裏の空気が一気に熱を帯びた。
「なぁ!?」
「む、無色が魔法を――」
驚きで目をむくお兄さん達。
「不正解! これは魔法じゃなくて――私が作ったアルケミアだよ」
「こ、これがアルケミア!?」
ポーチから取り出したのは、赤く輝く結晶だった。
「まだ試作途中だから上手く手加減できないかもしれないけど、ごめんね?」
てへっと効果音がつきそうなくらい軽いノリで首を傾げると、お兄さん達の顔がみるみる青くなった。
「ま、待て!」
「いっくよぉ! 《めらめらの石》」
「ぎゃああああっ!?」
ぽいっと放り投げると、轟音が弾けた。
真っ赤な炎が花開くように広がり、爆風が路地裏を揺らす。熱気に前髪が揺れる中、私は手元に残った赤い結晶を見下ろした。
「やっぱり威力が強すぎて普段使いは無理そうだよねぇ。どうしようかなぁ」
《めらめらの石》は、火の石を思いっきり強化した上級版。
火の石よりひと回り大きく、ごつごつとした形。光に透かすと、結晶の奥で炎みたいな赤い輝きがゆらゆらと揺れている。
……欠点を挙げるとすれば、工房で調合に使おうものなら鍋が爆発してしまいそうなところだ。
「こんなのじゃ先生に胸を張って見せられないよね! もっと良くしなきゃ!」
どうせなら先生を唸らせるようなものを作って、しっかりと弟子って認めてもらおう!
「う、嘘だろ……。俺達が、たかが無色に負けるなんて……」
震える声が耳に届く。
顔を上げれば、さっきまで威勢よく絡んできたお兄さん達が地面に転がっていて。皆そろって呆然とした顔でこちらを見上げていた。
「ごめんね? 私に魔法は使えないけど……私には特別な『才能』があるから」
「さ、才能だと?」
「うん」
しゃがみ込んで目線を合わせる。
「私ね、『天才』なんだ」
前世では何度もそう呼ばれた。
いつからだったかな? 病気で学校にほとんど行けなかった私が、たまたま受けられた模試で一位を取った時? それとも母に編み物を教わった翌日に、もう形にして見せた時?
誰かが言っていた――
『勿体ない。もし健康に生まれていたら、天才として名を響かせていたのに』と。
「好きになったものは、だいたい何でもできるようになっちゃうの!」
にこっと笑うと、お兄さん達はぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
あれ? そんなに驚くことだったかな?
「まぁそれはそれとして! お兄さん達、実験に手伝ってくれてありがとう!」
ぺこりと丁寧に頭を下げる。
「本当はもう少し付き合ってほしいんだけど」
「ひぃ!?」
「ヤト先生を探しに行かないといけないから、これで終わるね。それとも――まだ喧嘩したりないかなぁ?」
念のため聞いてみる。すると全員がぶんぶんと勢いよく首を横に振った。
「良かったぁ。じゃあ、またね」
ひらひらと手を振り、その場を後にする。さて、寄り道しちゃったけど、早くヤト先生を見つけないと。
「先生、どこにいるのかなぁ」
きょろきょろと辺りを見回しながら路地裏を出た、その時。
「――ファナ?」
優しい声が耳に届いた。
「あ、ヤト先生! やっと見つけました!」
そこに立っていたのは、まさに探していた本人だった。
「どうしたんだ?」
「工房に先生を呼びに来た子がいるんです。顔色がすごく悪くて……たぶん、急いだほうがいいと思います」
「……《ユラ》か」
そう伝えると先生はその子に心当たりがあるのか、ぱっと顔色を変えた。
「あ、先生。今日はこっちから行きましょう」
今にも駆け出しそうな先生の手を止めて、細い路地の一本を指差す。
「別にいいけど……何で?」
「そっちは今、道がぼこぼこで歩くのが大変だと思います。こっちのほうが早いですよ」
――さっきの爆発の衝撃で地面は割れ、お兄さん達はまだ倒れ込んだままなので。
「朝通った時は、そんな様子なかったけど……というか、ファナ、怪我してるのか!?」
「ほら、急ぎますよ!」
「うわっ」
私はぐいっと先生の腕を引っ張って、そのまま小さな少女のもとへと誘導した。




