四話 初めての錬金術
◇
「みーつけた」
ある晴れた日のこと。
私は帝都の裏手――路地裏の魔法工房から細い道をいくつも抜けた先にある、小さな野原にしゃがみ込んでいた。
膝をつき、草むらをそっとかき分ける。
陽の光を受けて揺れる葉の隙間から、探していた小さな草が顔をのぞかせた。《香根草》だ。
「慎重に、そーっと……」
小さく呟きながら、指先で周囲の土をほぐしていく。
香根草の採取で大事なのは、根を傷つけないこと。雑に引き抜けば効力が落ちてしまうと教わった。だから焦らない。
ゆっくり、ゆっくり。根の周りの土を崩しながら、そっと持ち上げる。
「やったぁ! 綺麗に採れました!」
細い根は一本も切れていない。土のついた香根草を掲げると、達成感で胸がいっぱいになった。
「見つけたの? ファナ」
「ヤト先生! はい、見てください!」
採れたばかりの香根草を差し出す。
先生は受け取ると、根の状態を確かめるように目を細めた。
「香根草か……普通の草と見分けが難しいのに、よく分かったな」
その声には驚きと、ほんの少しだけ感心したような響きが混じっていた。
「先生に言われた通り、毎日勉強していますから」
「それにしても……まだ通い始めて二週間だろう?」
ヤト先生の視線が、私の足元に置いた籠へ移った。
籠の中には、今日採取した素材がぎっしり詰まっている。香根草だけじゃない。魔力を帯びた小さな石に木の実まで。
「素材をここまで見分けられるようになったのか」
先生はしゃがみ込み、籠の中身を一つずつ指先で確かめていく。
石は魔力の光をまだほんのり宿していて、木の実は摘んだばかりみたいに艶やかだ。
「二週間でここまでできるのは……なかなか珍しいよ。普通なら名前を覚えるだけでも一苦労なのに、正しい採取の仕方まで身についてる」
感心したような目が私へ向けられる。私はぱちぱちと瞬きをしてから、にこっと笑った。
「楽しいですから!」
自分がしたいことをしているのに、楽しくないはずがない。
そう答えると、ヤト先生は一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。
「それは良かった」
「でも、ここで採取できる素材って、図鑑に載っているもののほんの一部ですよね?」
周囲をぐるりと見渡しながら口にする。
この小さな野原は少し広めの公園ほどの広さはあるけれど、周囲を高い壁に囲まれていて、静かで閉ざされた場所――《路地の庭》だ。
「もっといろんなアルケミアを生み出すには、別の場所にも採取に行ったほうがいいと思うのですが」
ここで採れるのは図鑑で覚えた基礎の基礎の素材だけ。
私の言葉に、先生はわずかに視線を落とした。
「素材の採取には、危険が伴うんだ」
静かに告げられた声は、いつもより少し低い。
「ここは閉ざされた場所で安全だけど、外は違う。貴重な素材ほど採りに行くだけで危険な魔物の縄張りだったり、足を踏み入れた瞬間に命取りになる土地だったりする。魔法が使えず、戦う術もない僕達には……どうしても手が届かないんだ」
言葉には長い時間をかけて積み重なった諦めが、かすかに滲んでいた。
「? 魔法が使える人にお願いすれば、手伝ってくれるんじゃないんですか?」
ふと旦那様の顔が脳裏に浮かぶ。
旦那様は優れた魔法使いだ。傷だって癒してくれたし、頼めばきっと手を貸してくれる――かもしれない。
「魔法使いが無色に手を貸すことなんて、まずないよ。僕達は……見下されてるから」
「そういうものなんですか?」
もっと気軽なものだと思っていた。
困っている人がいたら助ける。助けてほしいと言われたら手を貸す。だって前世の私は、そうやって皆に助けられて生きてきたから。
首を傾げながら答えると、先生は困ったように額を押さえた。
「ファナって……時々、別の世界から来たみたいなこと言うよね。まるで今日初めて、この国の常識を知ったみたいに」
正解。転生者なので。
「私、今まで自分が無色で困ったことがないので」
まだ転生して数週間だけど。
「ここに来るまでに、何度も採用を断られたって聞いたけど」
「むしろ幸運でした! だって、そのおかげでヤト先生に出会えたんですから!」
素直な気持ちをまっすぐに伝えると、ヤト先生はほんのりと頬を赤らめた。
「僕もファナと出会えて嬉しいよ」
「じゃあ相思相愛ですね」
差し出された先生の手を握り、軽く引かれるまま立ち上がる。そのまま二人で並んで、路地裏の魔法工房へと戻っていった。
――錬金術は素材を採ることが目的じゃない。むしろ、ここからが始まりだ。
工房へ戻った私達は採ってきた素材を種類ごとに丁寧に仕分けて保管したあと、大きな鍋の前に立った。
「さて。ファナなら、もう錬金術の基本を覚えてそうだけど……一応確認ね」
ヤト先生はそう言うと、鍋へ香根草と火の石を入れる。
ぽちゃん、と素材が沈むと、透明だった水がふわりと紫色に染まっていった。先生は慣れた手つきで鍋をかき混ぜ続ける。
「錬金術っていうのは素材同士の魔力の相性を見極めて、どの順番で、どれくらいの温度で、どのくらいの時間混ぜるか……全てが仕上がりを左右する」
手は一定のリズムで迷いがない。
紫の液体が、先生の動きに合わせてゆっくりと色を深めていく。
「素材の魔力を引き出して別の素材と組み合わせて、新しい性質を生み出す。それが錬金術の基本だよ」
先生の言葉が終わるのとほぼ同時に、鍋の中がぱぁっと淡い光を放った。
「わぁ……!」
光が収まったあと、そこには薄紫色の小さくて可愛らしい袋が一つ、ぽつんと置かれていた。
「すごい」
何度見ても不思議だった。素材だったものが、全く別の形へ生まれ変わっている。
まるで魔法みたい。いや、この国では魔法は当たり前なんだけど。
「《夢見の袋》――名前の通り、良い夢を見せるためのアルケミアだ」
「ポプリみたいですね」
「ポプリ?」
「良い匂いを楽しむものです。こういう香りって、なんだかほっとするじゃないですか」
受け取った袋を胸元へ寄せる。
ふわりと漂う優しい香りは、どこか懐かしい。寝つきの悪かった前世の私のために、弟が作ってくれたラベンダーの香り袋によく似ていた。
「アルケミアの開発には多くの失敗と試行錯誤がつきものだ。これ一つ完成させるのに、僕は三年もかかった」
「三年……」
たった一つのアルケミアに。
「ファナ。試用期間中に新しいアルケミアを開発できなかったら……その時は、君をクビにする」
「えっ」
ついさっきまで優しく微笑んでくれていたのに、びっくりするくらい容赦がない。
でも――きっと先生は意地悪で言っているんじゃない。錬金術がどれだけ難しくて大変なものかを、ちゃんと教えようとしてくれようとしているんだ。
「厳しいようだけど、錬金術は本当に甘いものじゃなくて――」
「分かりました!」
私はぱっと顔を上げて、胸を張った。
「ヤト先生が三年かけて作ったものに負けないくらいすごいアルケミアを作って、認めてもらえるように頑張りますね!」
「……諦めてもらうつもりで言ってるのに、全然効かないな」
「諦めるつもりが一切ないので」
にこっと笑顔を向ける。
「先生、このアルケミア貰ってもいいですか?」
「別にいいけど」
「ありがとうございます!」
許可をもらうと、私は腰につけているポーチのチャックを開け、そっとしまい込んだ。
それから袖をくいっと捲り上げ、籠を作業台の上へ置く。
「じゃあ早速、これ全部使って試してみてもいいんですよね?」
「いいよ。僕は少し用があって外すけど……僕がいない間は、頼むから危ないことだけはしないでね」
「お任せください!」
「不安だな」
荷物を肩にかけたヤト先生は、なんとも言えない表情を残して工房を出ていった。
扉が閉まる音を聞きながら、私は小さく息を吸う。
「よし、まずは……っと」
鍋の前に立ち、まずは火の石を一つ放り込む。カラン、コロン、と軽い音を立てて転がり、底でぴたりと止まった。
すぐに淡い赤色の光がじわりと広がり、鍋の底がほんのり温かくなる。
「でも火の石だけじゃ火力が足りないんだよね……どうしようかなぁ」
しゃがみ込んで鍋の底を覗き込む。
ぽうっと灯る程度の熱量で、これじゃ素材を煮詰めるには心許ない。魔法が使えない私達は、火を使うだけでもひと苦労だ。
「うん! なんとかなるなる、絶対なる!」
自分に言い聞かせるみたいに声を出して、作業へ向き直った。
工房に通うようになってからというもの、毎日が本当に楽しい。好きなだけ学べて、体を動かせて、夢中になれるものがある。前世ではできなかったことばかりだ。
「今日はこれとこれを使ってみよーっと」
籠の中の素材を一つずつ取り出しては鍋へ入れ、色や匂いの変化を確かめていく。気づけば、私は黙々と手を動かし続けていた。




