三話 路地裏の魔法工房
小説の舞台になるのは、《グランホール帝国》。
魔法が発達しているこの国では、魔力を持たない者は「無色」と呼ばれ、存在そのものを軽んじられている。
そして私は――その魔力なしの無色だ。
「悪いけど、無色に紹介できる仕事はないよ」
「火も水も出せないんだろ? そんなの雇っても、こっちが困るだけだ」
――またか。
街へ出て職を探し始めたばかりなのに、返ってくるのはどこも同じ言葉ばかりだった。
ちなみに一応お忍びなので、今日の私は動きやすいワンピース姿。長い髪も邪魔にならないよう二つに結んでいる。
石畳の道をとことこと歩きながら、小さく息を吐いた。
「うーん。ここまで無色が冷遇されてるなんて思わなかったなぁ」
小説を読んでいた頃から知ってはいたけど、それはあくまで文字の上の話だ。
無色だから仕事が見つからない。無色だから最初から話を聞いてもらえない。無色だから必要ないと言われる。実際に自分がその立場になってみると、想像していた以上に厳しかった。
「これが身に染みるってやつかも」
ちょうどその時、通りの屋台からぱっと火が灯った。
調理人が指先から生み出した炎で鍋を熱し、慣れた手つきで料理を仕上げていく。隣の店では、水の魔法で食器が次々と洗われていた。
火も水も。この国では当たり前のように生活に魔法が使われている。
だからこそ、魔法を使えない私みたいな無色は居場所を見つけにくいんだろう。
「無色のファルファナは……この世界で、どんな気持ちで生きてたんだろうね」
特に貴族社会ではその傾向が顕著で、魔力を持たない貴族は「家の恥」とまで言われる。
こんな息のしづらい世界で、いったいどんな気持ちで毎日を過ごしていたんだろう。
「……よし! 悩んでても仕事は見つからないし、次行こう次!」
まだ断られたのは、ほんの十数件。
帝都にはもっとたくさんお店があるんだから、どこか一つくらい雇ってくれる場所があるはず!
それに――実を言うと、こうして好きな場所へ行けるだけでも楽しい。
前世の私は病院で過ごすことが多かったし、自由に動き回れることなんてなかった。だから今は、見るもの全部が新鮮で仕方ない。
「あっ、あのお菓子おいしそう!」
甘い匂いにつられて振り返り、
「あっちのお花も綺麗!」
今度は色とりどりの花に目を奪われる。
きょろきょろと辺りを見回しながら歩いているうちに、大通りから外れてしまったらしい。
「あれ? ここどこ?」
気づけば周囲は静かだった。
さっきまで聞こえていた賑やかな話し声も、客引きの声も遠い。細い通路がいくつも伸びていて、建物と建物の隙間を縫うように続いている。まるで街の秘密基地みたいだ。
私はそろそろと通路の奥を覗き込んだ。
「うん、これは進むしかないよね!」
なんだか秘密の通路を見つけたみたいで、わくわくする。私は弾む足取りのまま奥へ進んだ。
入り組んだ道は思った以上に複雑で、一つ角を曲がるたびに知らない景色が現れる。
一つ、二つ、三つと角を曲がり、四つ目の角を抜けた先には、静かな裏道にひっそりと佇む小さな建物が見えた。なんの建物だろ?
その前には、手描きらしい看板が下げられている。
「《路地裏の魔法工房》」
書かれていた文字を、そのまま読み上げる。
「魔法工房? わぁ、なんだか楽しそう!」
気になって、建物の窓にそっと顔を寄せる。
ガラス越しに見える棚には、色とりどりの薬瓶がずらりと並んでいた。見たこともない形の植物や、ほのかに光を帯びた石が置かれていて――一気に目を引かれた。
気づけば手が勝手に扉へ伸びていて。カランカランっと、小さなベルが軽やかに鳴る。
その音に誘われるように、店の奥からひょいと顔を上げた青年が、こちらへ視線を向けた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた優しい声。
「ようこそ、路地裏の魔法工房へ」
青年は作業の手を止め、丁寧に頭を下げる。
ふんわりと細められた茶色の瞳は穏やかで、くせのある茶髪は柔らかく跳ねていて。まるでわんこの耳みたいに揺れていた。
「あの、ここはどんなお店なんですか?」
気になって尋ねると、彼は少しだけ目を丸くした。まるで「知らずに入ってきたんですか?」と言いたげな顔だけど、まさにその通り。
けれど彼は、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「《アルケミア》を作って販売するお店だよ」
「アルケミア――」
聞き馴染みのない単語に、頭の中の記憶の本をぱらぱらとめくる。
だけど小説の知識にも、前世の記憶にも……うーん、ない。ほんとにない。んー? 小説には出てこなかったのかなぁ。全然分からないや。
「アルケミアとは、錬金術によって生み出される道具や品々の総称だ」
私の反応を見て察したのか、青年は優しく説明してくれた。
「見てて」
そう言って近くの棚に手を伸ばし、小さな石を一つつまみ上げる。薄く赤い光を宿した石。
そのまま指先で――ちょん、と軽く弾いた。瞬間、ぱち、と小さな火花が弾ける。
「すごい……! この石、どうなってるんですか!? 火が出ましたよ!?」
気づいたら、がばっと前のめりになっていた。青年の手の中の石に、ほとんど顔がくっつきそうなくらい覗き込んでしまう。
そんな私に、彼は優しく微笑んだ。
「君、面白いね。魔力の籠った素材を見るのは初めて?」
「いいえ。実は二度目です。一度目はお花に命を救っていただいたのですが……なるほど。この世界には、こんな不思議な素材があるんですね!」
「この世界?」
青年が、ほんのわずかに首を傾げる。興奮しすぎて、つい余計なことまで口走っちゃった。
「独り言なのでお気になさらず。それより、話の続きが聞きたいです!」
私は笑顔で誤魔化しつつ、すっと話題を戻した。
「錬金術は、こうした魔力の籠った素材を使って《アルケミア》を作り出すんだ。たとえばこれは、さっきの《火の石》を材料にしたものだけど」
差し出されたのは、火の石が埋め込まれたペンダントだった。
金具は繊細で、石の色を引き立てるように精巧されている。
「……温かい」
受け取った指先に、じんわりとした熱が広がった。
火傷するような熱さじゃなくて、手のひらの奥までゆっくり染み込んでくるような心地よい温もり。
「《温かみのペンダント》って言うんだ。寒い日に持っているとね、こうしてじんわり温かくなるんだよ」
「ホッカイロみたいなものですね」
「ホッカ……なにそれ?」
あ、また前世の言葉を出しちゃった。
でも、そんなことよりも――今は別のことが気になる。
「アルケミアは、無色でも使えるんですね」
手のひらに広がる温もりが、そのまま答えになっている気がした。私の言葉に青年はふっと顔を上げ、探るようにこちらを見つめる。
「君も無色なのか?」
「君も、ということは……貴方もなんですね」
そう返すと、彼はわずかにまつ毛を伏せた。
その仕草には、ほんのひとしずくの陰りが差していて――無色であることに苦しんできた人の表情に見えた。
「僕の名前はヤト、《ヤト=キスフェルト》。錬金術師だ。君の名は?」
「えーーっと」
口が止まった。
ここで素直に本名を名乗るべきかどうか、少しだけ迷う。
悪妻ファルファナの名前が、どれほど市民に知られているのか知らないけど――旦那様と離婚したら、私はただの平民になる。
だったら、わざわざ貴族の名を名乗る必要なんてないよね?
「ファナと呼んでください、ヤト」
「ファナ、か。いい名前だね。ここら辺では見ない顔だけど」
「実は職を探しているんです。旦那様との離婚が決まっているのですが、実家には帰ってくるなと言われてしまって。だから一人で生きていく準備をしなきゃ、と」
「い、いきなり話が重過ぎるけど大丈夫?」
スラスラと一筆書きみたいに事情を並べ立てるものだから、ヤトは目を丸くして、明らかに心配そうな表情を浮かべた。
「平気です。もともと愛を求めない結婚でしたし、両親もよく知らない人達なので」
「そ。そう……なんだ?」
それ以上踏み込むべきではないと判断したのか、彼はそっと視線を逸らす。
「というわけで! 私をここで雇ってください!」
「いいよ。……って、えっ、ここで!?」
勢いよく手を挙げると、ヤトはぱちぱちと瞬きをして思わず二度見した。
「私、錬金術にとても興味があります!」
「この工房、ほとんど赤字なんだけど」
「お願いします! 私、生まれて初めて本気で向き合いたいって思えたんです!」
胸を張って宣言すると、彼はぽかんと口を開けた。
「君が錬金術の存在を知ったの、ついさっきだよね? それで本気って言われても……」
「だって魔法が使えなくても、誰かの役に立てる道具を作れるんですよね? そんなの素敵です!」
思わず身を乗り出す。
前世の私はどこかで人生を諦めざるを得なくて、何かに夢中になることなんて一度もできなかった。だけど――今の私は違う。
初めて見つけた。もっと知りたいと思えるものを。
「……ファナが何を夢見てるのか知らないけど、錬金術師は地味で需要も少ない。魔法で済むことばかりのこの国で、アルケミアは必要とされていない技術なんだ」
「地味で需要がなくても、私には関係ありません」
私自身が興味を持ったのだから。
「そうじゃなくて……!」
ヤトは額に手を当て、深く息をついた。
「錬金術師は、そんなに甘い仕事じゃない」
声の調子が変わった。さっきまでの軽い言い合いとは違う、鋭くて、どこか痛みを含んだ響き。
「錬金術には難しい知識も、素材を見極める目も必要だ。失敗の中から正解を探し続ける根気もいる。そして何より……錬金術には危険がつきものだ」
棚に並ぶ薬瓶や、積み重ねられた本へ視線を向けながら続ける。
「甘い覚悟では目指せない」
その言葉には実感が籠っていた。
きっと彼は何度も失敗して何度も諦めそうになって、何度も折れそうになって――それでもここまで来たんだろう。
「分かったら、諦めて――」
「分かりました。一生懸命頑張ります!」
「話聞いてた?」
勢いよく返した私に、呆れた声が落ちてくる。その響きに、私はぱちりと瞬きをした。
「何か問題でも?」
「だからさ……難しくて、ファナには無理だって遠回しに言ってるんだけど」
少し言いづらそうに視線をそらし、言葉を濁す。
私を傷つけないように、あえて諦めさせるようなことを言ってくれているんですね。うん、やっぱり優しい人だなぁ。
「では、お試しで私を雇ってください。必ず結果を出してみせます」
「ずいぶん強気だな」
ヤトの目は私を試すように細められていた。
何も知らない小娘が大口を叩いていると、きっとそう見られてるんだろうな。だけど――私には特別な「才能」があるから。
くすりと、小さく笑みがこぼれた。
「強気でなければ、振り向いていただけないですよね?」
「――っ」
彼の喉がわずかに詰まる。一瞬だけ、言葉を失ったように沈黙が落ちた。
「……分かった。でも結果が出なかったら、その時は本当にクビにするから」
「やったぁ! ありがとうございます、ヤト先生!」
「せ、先生?」
嬉しさのあまり、気づいたら飛び跳ねていた。
戸惑って固まる彼をよそに、胸の奥から喜びが溢れる。だってこれで、錬金術を学ぶことができるんだもん!
「私は何から学べばいいですか? びしばし鍛えてください!」
目を輝かせて、お店の中を両手を広げて見渡す。
「錬金術を学ぶのにここまで喜ぶ子、初めて見たよ」
ヤト先生はそんな私に呆れたように肩を落としたけど――最後には、ほんの少しだけ口元を緩めてくれた。




