三十七話 祝宴の準備を
そして迎えた、マギアの祝宴当日。
式典には参加しない私は、旦那様より少し遅れて支度を始めていた。
「えっ、もう旦那様は出かけたの?」
「はい。スエイル様は式典の準備もございますので」
ガラドがいつもと変わらない落ち着いた口調で答える。
「そっかぁ」
小さく頷いて、私はドレッサーの前へ座った。
鏡の前には、高級そうな化粧品がずらりと並んでいる。透明な瓶は光を受けてきらきら輝き、金細工の蓋まで眩しい。……これ、一ついくらするんだろう。なんだか壊しちゃいそうで、ちょっと怖い。
きっと転生前のファルファナが集めたものなんだろうなぁ。
「私は大変驚きました。まさかファルファナ様が、祝宴でお召しになるドレスをご準備されていないとは」
「う……」
ガラドはいつも通りの無表情。
なのに、なんでだろう。声だけちょっぴり冷たい気がする。
「だ、だって……こんなにたくさんあるなら、この中から選べば十分かなって」
私は慌ててクローゼットへ振り返った。
扉いっぱいに並ぶ色とりどりのドレス。ふわりと広がるスカートに繊細なレース、宝石みたいな飾りまで付いていて、どれもため息が出るくらい豪華だ。
……転生してからは、一着も袖を通していないけれど。
「でも新しく仕立てたほうが良かったんですよね。……ごめんなさい」
しゅんと肩をすくめると、ガラドは小さく息を吐いた。
「いいえ。こちらの配慮が足りませんでした。以前までのファルファナ様でしたら、パーティーのたびに新しいドレスを何着もお買い求めになっておられましたから。その習慣がなくなっているとは思い至りませんでした」
「そんなに買ってたんですね」
どれもこれも、悪妻らしく振る舞うために揃えてたのかな。
どれだけ新しいドレスを買っても、どれだけ着飾っても、心は少しも満たされなかったのかもしれない。そう思うと――胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「ですが、ご安心ください」
ガラドがほんの一瞬だけ目元を和らげる。
「スエイル様は、そのことも見越して準備をしておられたようです」
「旦那様が?」
こてんと首を傾げる。
その時。コンコン、と部屋の扉が叩かれた。
「あれ? 双子さんだ」
「「うわっ……」」
部屋へ足を踏み入れた二人は、中を見渡した途端、ぴたりと固まった。
「何なんですの。このお部屋は……!」
「この山積みの本と素材は何ですか!? 少しは整理整頓なさるべきでしょう!」
エレノワールは慌ててハンカチで口元を押さえ、カガミは信じられないものを見るように目を見開いている。……え、そんなにひどい? そりゃあ錬金術の本や素材とかで、ちょっと――いや、かなり床は埋め尽くされてるけど。
「お二人とも。公爵夫人に対して、そのような物言いはお控えください」
「「あ……も、申し訳ございません」」
ガラドにたしなめられ、双子は揃って頭を下げた。
私は別に気にしていないけれど、それよりも気になることがある。
「えっと……どうして双子さん達がここにいるんですか?」
お母様に唆されて、ヤト先生の工房を潰そうとしていたハイデルク商家の双子。あの一件はもう終わったはずなのに。
二人は疲れ切ったような顔を見合わせると、力なくため息をついた。
「スエイル様に――エルライン公爵家に飼われております」
「はい?」
思わず間の抜けた声が漏れる。飼われる? 何それ。
「私達が失敗したと知るや否や、ミシュラート侯爵家はすぐに私達を切り捨てましたの。そんな行き場のない私達を、スエイル様がお拾いくださったのですわ」
「わぁ。やっぱり旦那様はお優しいんですね!」
ぱっと笑顔を浮かべる。
けれどエレノワールはかすかに目を伏せ、カガミはどこか冷めた目をしていた。
「あれが優しいとか、正気ですか。後がない僕達を顎でこき使って……もはや悪魔の所業ですよ」
「カガミさん。お言葉使いには重々お気をつけくださいませ」
ガラドにぴしゃり、と言い渡され、カガミは慌てて口を押さえる。
「――こほん」
エレノワールは小さく咳払いを一つすると、何事もなかったかのように優雅な笑みを浮かべた。
「というわけでして、私達が責任をもってファルファナ様を綺麗に仕立てますわ。どこへ行っても胸を張れますように……ね?」
そう言うなり、エレノワールは櫛を手に取る。慣れた手つきでさらりと髪をといていった。
「わぁ」
「ほら、こちらを向いてください」
感心していると、今度はカガミが化粧道具を手に近づいてきた。
柔らかなブラシが頬に触れ、くすぐったいほど丁寧に化粧が施されていく。気がつけば――鏡の中には、思わず見惚れてしまうほど綺麗に着飾った私が映っていた。
「いかがですか? 野暮った――こほん。庶民らしい装いだったお姫様も、僕達の手にかかればこの通りです」
得意げに胸を張るカガミ。
隣ではエレノワールが満足そうに頷いていて、二人の表情には揺るぎない自信があった。
「はい、とっても素敵です!」
素直な感想が口から零れる。
本当にすごい。
だって鏡の中にいるのは、別人みたいに綺麗な私。これなら旦那様の隣に立っても、少しは相応しくなれたかな?
「エレノワール、カガミ。二人とも本当にありがとうございます!」
くるりと振り返って笑顔を向けると、双子はぽかんと口を開けた。まるで、お礼を言われるなんて思ってもいなかったみたいに。
「……僕達がしたのは当然の務めです」
「この程度、お礼を言われるほどのことではありませんわ」
「そんなことありません。だって鏡を見た瞬間、感動しちゃいました! 本当に魔法みたい!」
もう一度鏡の中の自分を見つめて、自然と頬が緩む。
「きっと二人は、『人を綺麗にする才能』を持ってるんだね」
「「――っ」」
双子が揃って息を呑む。その頬は、ほんのり赤く染まっていた。
「……どうして貴女様を、悪妻と思っていたのでしょうか」
「え?」
ぽつりと、カガミが呟く。
「不思議なんです。面識もないというのに、僕達はファルファナ様を心の底から嫌悪していました」
「侯爵夫人のお言葉を一度も疑わず、『工房を潰せ』という命令も、全てファルファナ様のご意思だと信じ込んでおりましたわ」
エレノワールも自嘲するように目を伏せた。
――だってファルファナが、誰にも疑われないくらい完璧に悪妻を演じ続けていたから。ファルファナはすごいよね。それだけの「悪意」を、ちゃんと背負えていたんだから。
「それだけちゃんと嫌われるなんて……すごい『才能』だよね!」
「「「……はい?」」」
双子だけじゃなく、ガラドまで揃って頭を傾げる。
きっとファルファナにも特別な「才能」があって……その才能を、お父様とお母様は利用したんだろう。ただ認めてもらいたくて。褒めてもらいたくて。嫌われたくなくて。
悪い子を――悪妻を演じていた。
「ふふ。じゃあ私も、ちゃーんと悪い子にならなきゃね」
胸の前でぎゅっと拳を握る。
それがお父様とお母様が望む悪い子かどうかは……保証できないけどね。




