三十三話 自己紹介
「それで? 一か月も家を空けるとは……妻としての自覚はどこへ置いてきたんだ?」
「私は遊び歩いて朝帰りするのがいつものことだって聞いていましたけど?」
首をこてんと傾げる。
「それに、ちゃんとガラドにはお話ししていましたよ」
帰りを待ってくれているし、ご飯だって用意してくれている。
何も言わずに家を空けたら、きっと心配をかけちゃう。せっかく作ってくれた夕食まで無駄になったら申し訳ないもん。
「あっ、そうでした。まだ名乗っていませんでしたね」
くるりと双子へ向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「改めまして。私が噂の悪妻、ファルファナ=エルラインです! 以後、お見知りおきを!」
にこっと笑って挨拶すると、双子は壊れた人形みたいにぶんぶんと首を横へ振った。
「う、嘘ですっ! 公爵夫人ともあろうお方が、こんな路地裏の工房で職人のように働いているはずがありませんわ!」
「そうです! ましてや浪費家として名高いファルファナ様が……そんな庶民のような装いで、汗を流して働いているなんて……!」
二人の視線が私の頭から足先までを何度も往復する。
あ、そっか。今の私は動きやすい服装だし、ドレスも宝石も身につけていない。転生前のファルファナが好んでいたような綺麗で華やかな服なんて着てないもんね。
「俺の言葉を疑うつもりか?」
低く響く旦那様の声に、双子はびくりと肩を震わせた。
「い、いえっ……そのようなつもりは……」
恐縮しきった双子が、怯えるような目で私を見つめてくる。
「そ、そんな……貴女が……本当にファルファナ様なんですの……?」
「はい! 私が『無色で無能のお姫様』です!」
さっき言われたばかりの言葉を笑顔で返してみせると、二人の顔が一瞬で青ざめた。
「お、お許しくださいませ! 悪意は……悪意はなかったんです!」
「悪意しか感じませんでしたけど」
「お願いします……! どうか、どうか命だけは助けてください……っ!」
二人はその場へ膝をつき、額が床につくほど深く頭を下げた。肩は小刻みに震え、今にも泣き出しそうになっている。
この光景だけ見たら、本当に私が噂通りの悪妻で、弱い人を虐めているみたい。
「大丈夫ですよ。私は何も気にしていませんので!」
「少しは気にしろ」
旦那様の声が背後から落ちてきて、とりあえず苦笑で誤魔化した。
「それよりも、一つだけ教えてください」
しゃがみ込み、二人と同じ高さまで目線を落とす。
「『この工房を潰せ』と私が頼んだと言っていましたよね。それを貴方達に伝えたのは……お母様で間違いありませんか?」
そして、笑みを少しだけ収めた。
「そ、そうですわ。無色の工房が目障りだからと……っ」
「『お願いを聞き入れないなら、ハイデルク商家への支援を打ち切るように――と、娘が我儘を言い出している』と……侯爵夫人様が涙ながらに訴えておられて」
――嘘ばっかり。
胸の奥がすうっと冷えていく
お母様は意地でも、私を悪い子にするつもりなんだ。
言ってもいない言葉をでっち上げて。私の大切なものまで巻き込んで。そこまでして……全ての悪意を私に背負わせたいんだね。
「私は、そんな我儘は言っていません」
「「ひっ!」」
双子は私の顔を見た瞬間、小さく肩を震わせる。
「今すぐ工房から手を引いてください。今後二度と、この工房に干渉することは許さない」
「「は、はい!」」
二人は寄り添うように身を縮め、涙目で何度も頷いた。その様子を見て、ふっと肩の力が抜けていく。
「……うん! 分かってくれたなら嬉しいです!」
ぱっと笑顔になると、張りつめていた空気まで少しだけ柔らかくなった気がした。
良かったぁ。もし分かってもらえなかったら、その時は幸せになるために本気で戦わなきゃいけなかったもんね。
「さて、と!」
勢いよく立ち上がり、くるりと振り返る。
「これで一件落着ですよ! ヤト先生!」
「ファナが……ファルファナ様……」
ヤト先生は信じられないものを見るように、ぽつりと呟いた。
「あ、驚かせちゃいましたか?」
「驚くに決まってるだろ! そりゃあ、ファナが普通の子じゃないことくらい僕だって薄々感じてはいたけどさ……」
「鋭いですね! さすがは私の先生です!」
「そういう問題じゃないんだけど」
ぱちぱちと拍手を送ると、先生は額に手を当てて大きく息をついた。
「だからスエイル様と親しくて、ご両親はハイデルク商家の跡取りまで動かせたのか」
その呟きは先生の中で絡まっていた糸がほどけ、すっと一本にまとまったような気配を含んでいた。
「黙っていてすみません。でも、どうせ旦那様と離婚したあとは平民になる予定なので、わざわざ話す必要もないかなって思ったんです」
「……それ、ずっと前から聞いてるけど」
ちらりと旦那様へ視線を向ける。
「何だ?」
「いえ。……何でもありません」
小さく首を振ると、ヤト先生は旦那様へ向き直り、深々と頭を下げた。
「スエイル様、工房を守るためにお力を貸してくださり、本当にありがとうございました」
「……礼はいい。俺は慈善で手を貸したわけじゃないからな」
「え?」
旦那様の言葉に、ヤト先生は戸惑ったように目を瞬かせた。私もつられて首を傾げる。
「今後この工房のアルケミアは、全てエルライン公爵家の管理下に置く。――それが今回の対価だ」
淡々と告げられたその一言は、まるで最初から決まっていたことを確認するような口ぶりで。
えっと……公爵家の管理下? 何それ。
「そ、それはどういう意味でしょうか?」
ヤト先生も同じ疑問を抱いたのか、おそるおそる問い返す。
「言葉のままだ」
旦那様は腕を組み、静かに続けた。
「今後、この工房で生み出されるアルケミアは公爵家が管理する。流通の可否、販売方法、取引先――その全てをこちらが判断する」
「つまり……勝手には売れない、ということですか」
「そうだ」
迷いのない返答。
「言っておくが拒否権はない。今回、この工房を守るためにどれだけの人員と資金を動かしたか分かるか?」
「……今、白金龍の鱗を使わなくて良かったと心の底から思っています」
「何だ、使わなかったのか」
旦那様は面白くなさそうに、ほんのわずか眉をひそめた。
つまり白金竜の鱗まで使っていたら、もっと大きな貸しになっていたってこと? うわぁ。旦那様、最初から拒否権なんて残すつもりなかったんだね。
――でも。
「ありがとうございます、旦那様!」
思わずぱっと両手を合わせる。
重苦しい空気の中で私の声だけが明るく跳ねて、二人は黙って私を見た。
「やっぱり旦那様はお優しいですね」
「……は?」
旦那様の眉がぴくりと跳ねる。
「だってエルライン公爵家の庇護下だって分かれば、もう誰もこの工房に手を出せません! 販売先だってきっと増えますし……それに」
にこっと笑って、旦那様を見上げる。
「私と離婚したあとも、この工房を守ってくださるってことですよね?」
「…………」
「やっぱり旦那様は優しいです!」
満面の笑みでそう言うと、旦那様は何とも言えない顔で私を見下ろした。




