三十一話 あ、もう一か月経ったんだ
◇ side ハイデルク家の双子
双子来訪から一か月。
「うふふ。さて、あの工房はどうなっているかしら」
路地裏を歩きながら、エレノワールは扇で口元を隠し、愉快そうに目を細めた。
「とっくに潰れているでしょう」
カガミは帽子のつばへ指先を添え、淡々と言い切る。
その声は冷たく、まるで結果など最初から決まっていると言わんばかりだった。
「それにしても、この路地裏。本当に歩きづらいですわね」
「馬車が入れませんからね」
双子にとっては、舗装もされていない細道を歩くこと自体が苦痛だった。
「悪妻ファルファナ様の命令でなければ、こんな場所へ来ることもありませんでしたのに」
「仕方ありません。侯爵夫妻には大変お世話になっていますから。父と母からも、絶対に失敗するなと念を押されていますし」
「……ええ、分かっていますわ。侯爵家に貸しを作れるなら悪くありませんもの」
もっとも、ファルファナ本人を敬っているわけではない。
「今のファルファナ様は腐っても公爵夫人です。商家の僕達が敵に回していい相手ではありません」
「あの悪妻ならなおさらですわね」
カガミは静かに言い切る。
双子の声音には、軽蔑が何の遠慮もなく滲んでいた。
「さっさと終わらせて帰りましょう。お姉様とのお茶の時間を、これ以上奪われたくありませんから」
「ふふ。カガミは甘えん坊さんね」
エレノワールは弟の頭を優しく撫でる。二人はそのまま手を繋ぎ、並んで工房へ向かった。
疑いもしなかった。噂に潰され、客も来ず、工房は途方に暮れている。そんな光景が自分達を待っていると。
――だからこそ。
工房が目に入った瞬間、二人は揃って足を止めることになる。
「……待って」
エレノワールの笑みが、すぅっと消えた。
「どういうことですの……!?」
工房の前――そこには、双子が想像していた荒れ果てた光景などどこにもなかった。
むしろ、店先には人だかりができている。路地裏とは思えないほど賑やかな声が響き、客達が順番を待ちながら談笑していた。
「ここで買った《ねむねむ蛍》のランプなんだけど、本当に朝まで子供達がぐっすり眠れたの! 夜泣きがなくなって、私まで助かっちゃって……もう手放せないわ」
「《ぽかぽかお弁当箱》も最高よ。仕事の途中でも温かいご飯が食べられるから、主人なんて毎日『幸せだー』って言いながらお昼を楽しみにしてるの」
「すみません! もう一つください! うちの子も欲しいって大騒ぎで……!」
笑顔で工房を後にする人。嬉しそうに商品を抱きしめる人。列の最後尾へ並びながら「今日は何が残ってるかな」と楽しそうに話す人。
誰一人として、不幸な顔などしていなかった。
「……嘘でしょう」
エレノワールは呆然と立ち尽くす。
指先から扇が滑り落ちそうになり、慌てて握り直した。
「こんな……あり得ません」
カガミもまた目の前の光景から目を離せない。
噂は広めた。取引先も客も離れた。工房に対して石を投げつけ、ゴミをばら撒いた。工房は潰れるはずだった。
それなのに――目の前にあるのは、繁盛という現実だった。
◇
「――よし、おしまいっと!」
私は商品棚の一番上へ、ぱたんっと「完売」の札を立てかけた。
その文字を見るだけで頬がゆるんじゃう。だって棚の上はすっからかん。並べていた《ねむねむ蛍》も《ぽかぽかお弁当箱》も、皆、お客さんの手へ旅立っていった。
「今日も大繫盛でしたね、ヤト先生!」
嬉しくなって振り返ると、先生は作業台の前でふっと肩の力を抜いた。
「驚いたよ。まさか……あれからも次々と新しいアルケミアを思いつくなんて」
感心したように呟くと、ヤト先生は壁際のスイッチへ手を伸ばした。
――ぱちり、と軽い音とともに天井へ吊るされたガラス灯がぱあっと輝く。工房いっぱいに、やわらかな白い光が広がった。
もう魔導灯の灯りじゃない。
「《ぴかぴか灯》。これはびりびり尻尾と《まほこも鋼》を合わせて作ったアルケミアですよ!」
胸を張って紹介する。
《ぴかぴか灯》は、あの日、真っ暗な工房で偶然生まれてくれた子だ。
「……あのさ、まほこも鋼って何?」
「魔法がこもる金属です! だから、まほこも鋼です!」
「ファナって……名前の付け方、独特だよな」
ヤト先生は何とも言えない顔で苦笑した。そうかなぁ? 普通だと思うけど。
「魔導灯よりずっと明るいし魔法も使わないですし! 夜の作業がすっごく楽になりましたよね!」
天井を見上げると、《ぴかぴか灯》は誇らしげに工房を照らし続けていた。
「さて、今日は何のアルケミアを作ろうかなぁ」
「いや、ファナ。ずっと工房に泊まり込んでるけど……そろそろ帰らなくていいのか?」
ヤト先生が少し困ったように口にする。
私はきょとんと瞬きをすると、人差し指を頬に添えて、こてんと首を傾げた。
「帰る? どうしてですか?」
「その……家の人が心配するんじゃないかと思って」
「あ、それなら大丈夫ですよ! 朝帰りはよくあったみたいですし、今さら誰も気にしないと思います!」
「……何でそんなに他人事なんだよ」
だって転生前のことですし。
にこっと笑うと、ヤト先生は何とも言えない顔で額に手を当てた。
――カラン。
入口の扉についた小さな鈴が、澄んだ音を鳴らす。
「いらっしゃいませ」
反射的に、先生が入口へ振り向いた。
「すみません、本日のアルケミアは完売で――」
営業用の笑顔のまま言葉が止まる。
どうしたんだろ? 首を傾げて入口を見ると、そこに立っていたのは見覚えのある二人だった。
「ハイデルク商家の……」
先生の表情がさっと強張る。
さっきまで賑やかだった工房の空気が、すうっと静まり返った。
「わぁ! ハイデルク商家の双子さんじゃないですか! こんにちはっ! また来てくれたんですね!」
けれど私は、その空気など気にも留めなかった。場違いなくらい明るい声が静かな工房に響く。
二人は一瞬だけこちらを見たが、何も答えないまま視線を店内へ向けた。
「今日はどうしたんですか? まさか、わざわざ顔を見に来てくださったんですか!?」
手を合わせて笑顔になる。
「せっかくですし、お茶でも――」
「ファナ。ちょっと一旦止まろうか」
勢いのまま茶葉を取りに行こうとしたところで、先生に腕を軽く掴まれた。
「あのさ、分かってる? 二人は、この工房を潰すために来てるんだよ?」
「分かってますよ」
にこっと笑って答えると先生は額に手を当て、大きくため息をついた。
「歓迎してどうするんだよ」
「もう来てしまったあとですし」
それに、どうせなら真正面から迎え入れたいしね。
――その間も、二人の視線は一度も私には戻らなかった。
店内を。空になった商品棚を。天井で柔らかな光を放つ《ぴかぴか灯》を。そして、棚に掛けられた『完売』の札を。
ただ呆然と見つめていた。
「……どんな手を使いましたの」
やがてエレノワールが、かすかに震える声で呟いた。




