三十話 路地裏の魔法工房の鍵
「では、錬金術を始めますね!」
旦那様が手配してくれた素材を作業台の上へ次々と並べていく。ずらりと並んだ素材を見渡して、思わず胸が躍った。
すごい。こんなにたくさんの素材が揃ったのは初めてかもしれない。ううん、きっと過去最高だ。
「まずは火をつけて……よし。じゃあまずは、びりびり尻尾を使ってみよう!」
火の石を鍋にかけると、ぱちんと火花が跳ねた。その中へ、びりびり尻尾をぽいっと放り込む。
「この金属は見たことないや。どんな効果があるんだろう?」
本棚へ駆け寄り、図鑑を勢いよく引き抜く。
急いでいるから隣の本まで巻き込んでしまい、数冊がどさどさっと床へ落ちた。
「あとでちゃんと片づけます!」
慌てて謝りながら図鑑を抱え、鍋へ視線を向ける。ぐつぐつと泡立つ音。うん、いい感じ。
ほっと胸をなで下ろしてページをめくった。
「なるほど! これは魔力を閉じ込める金属なんですね!」
「……《留晶鋼》。これだって決して安い素材じゃないのに」
ヤト先生は金属をそっと持ち上げると、ぽつりと声を漏らした。
時計の針だけが、かち、かち、と時を刻む。窓の外はいつの間にか夜に包まれ、天井の魔導灯が工房を柔らかな光で照らし始めていた。
「……ごめんな、ファナ」
「ヤト先生?」
不意に落ちた声に顔を上げる。先生は伏し目がちに、小さく眉を寄せていた。
「君にまで迷惑をかけてしまって……」
「いいえ。謝るのは私のほうです。この工房が目をつけられたのは、私が原因ですから」
「……え」
私はすぐに首を横に振る。
ヤト先生の目が、驚いたようにわずかに見開かれた。
「それは……」
「私がここに通っていると知ったお父様とお母様が、この工房を潰すように仕向けたんだと思います」
言うことを利かない娘に罰を与えるために。
「……親が、子供の居場所を壊そうとしているのか」
小さく呟き、ぎゅっと拳を握り締める先生。
その横顔には怒りよりも、どこか自分も同じような痛みを知っているかのような――そんな悲しみが滲んで見えた。
「ヤト先生の大切な工房にご迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
錬金術の手を止め、深く頭を下げる。
ゆっくりと顔を上げると、真っ直ぐに先生を見つめ返した。
「今さら私がここを離れても、一度狙われた工房が安全になるとは思えません。だから……この『問題』が終わるまでは、私をここに置いてください」
胸に手を当て、はっきりと言い切る。
迷惑をかけてしまったのなら、最後まで責任を果たしたい。この場所は私にとっても大切な居場所だから、絶対に守り抜いてみせる。
「…………」
静寂が工房を包む。
しばらくして、ヤト先生は何も言わずに踵を返した。
かつ、かつ、と床を踏む音だけが工房に響く。壁に掛けられた鍵をそっと外すと、そのまま私の前まで戻ってきた。
「ファナにあげるよ」
そう言って私の手を優しく取る。
温かな掌に包まれるようにして、小さな鍵が手のひらへと乗せられた。
「……これは?」
細い軸に丸い輪が付いた、どこか懐かしい形の鍵。
飾り気はないけれど、大切に磨かれてきたことが伝わってくる。……なんか可愛いかも。
「路地裏の魔法工房の鍵だよ」
「工房の?」
鍵と先生の顔を見比べる。
「えっと、どうして工房の鍵を私に?」
「ファナを認めるよ。……この路地裏の魔法工房で正式に雇う」
――その瞬間。胸がどくん、と大きく鳴った。
「ほ、本当ですか!? 本当に本当!? あとから『冗談でした』なんて言わないでくださいね!」
「い、言わないよ」
ぐいっと身を乗り出す。
先生は少し慌てたように一歩下がり、それでも真剣な顔で頷いた。
「ファナの実力はもう十分証明されてるし。認めなかったのは……僕が覚悟を決められなかったからだ」
うん、知ってる。だからこそ不思議だった。どうして今なんだろう?
首をこてんと傾げると、先生は張りつめていた肩の力を少しだけ抜き、穏やかに笑った。
「ファナは……全部自分一人で背負い込もうとしてるだろ。でも、これでこの工房の問題は……僕達二人の問題だ」
「……ヤト先生」
胸がじんわりと温かくなる。
先生はずっと、私を工房へ置くことをためらっていた。
それなのに今は、自分の大切な工房の鍵を私へ託してくれている。一人で頑張らなくていいと言われているようで。
嬉しくて、思わずぎゅっと鍵を握りしめた。
「だから、ここを離れるなんて考えないでほしい」
「え?」
あまりにも真剣な声に、思わずきょとんと瞬きをする。
工房を離れる? 私が? 頭の中に大きな「?」がぽんっと浮かぶ。……どうしてそんな話になるんだろう。
「えーーっと。あの、私……工房を離れるとか、考えたこともないですけど?」
「……え?」
今度はヤト先生が、ぽかんと目を丸くした。
「だ、だってファナ。さっき『問題が終わるまではここに置いてください』って言っていただろ? 終わったら出ていくつもりなのかと……」
「違いますよ」
首を横に振る。
「問題はちゃんと片付けます! だから、その後もここにいていいですよね? ってお願いしようかと」
「そ、そうなのか? ……なら良かった」
ほっとしたように息を吐く先生。
そんな選択肢、最初から私の中にはない。だって――。
「毒親の嫌がらせくらいで、自分の好きなものを簡単に手放したりしませんよ」
にこっと笑う。
どうして私が、あの人達のせいで自分の好きなものを諦めなきゃいけないの? そんなの悔しいし――絶対に嫌。
「私はこの工房も、ヤト先生のことも大好きですから」
胸に手を当てて、まっすぐ先生を見つめる。
「全部、跳ね除けてみせます」
言い切ると、先生は目を見開いたまま小さく息を呑んだ。
そのあと張り詰めていた表情がふっと緩み、困ったように笑う。
「参ったな。……少しでも君を守ろうと思ったのに、君の方がよっぽど強いみたいだ」
「そんなことありません! 先生の気持ち、ちゃんと届いてますよ! すっごく嬉しいです!」
二人で笑顔を向け合った――その時。
ちかっ。天井の魔導灯が小さく明滅する。
「あれ?」
そのままちか、ちか、と天井の魔導灯が不穏に点滅し続け――ぱちん、と音を立てて光が消えた。工房が一気に暗闇に包まれる。
「わっ……!」
「あー……そうだ。魔導灯の魔法も全部断られたんだった」
この国では、暮らしのほとんどを魔法が支えている。
だから魔力を持たない無色の私達は、灯り一つ灯すにも魔法使いの力を借りなきゃいけない。断られてしまえば、こうして真っ暗だ。
「どうします?」
「どうしようもないな」
困ったように笑う先生を見て、私も「ですよねぇ」と苦笑する。
うーん。明日になったら、またガラドに相談してみようかな。頼りっぱなしでちょっと申し訳ないけど。
「今日はもう夜も遅いし、そろそろ休もうか」
そう言って、ヤト先生は作業台の上に置いたままの鍋へ視線を向けた。
あ、そうだ。錬金術の途中で火をつけっぱなしにしていたんだった。暗闇の工房で鍋の下の火だけがゆらゆらと揺れ、こと、こと、と小さく煮立つ音が静かな室内に響いている。
先生が火を消そうと、鍋へ手を伸ばした。
「これは――」
その手が、ぴたりと止まる。
真剣な眼差しで鍋の中を見つめたまま微動だにしない。
どうしたんだろう? 私も鍋を覗き込むけど、暗くてよく見えない。もしかして、何か変なものでも入れちゃった?
「ヤト先生?」
「……もうすぐ完成する」
「えっ」
その言葉とほぼ同時だった。
――ぼんっ。小さな破裂音が、静まり返った工房に響く。
「わぁっ」
鍋の中から淡い金色の光がふわりと弾けた。
きらきらと輝く粒子が星屑みたいに舞い上がり、暗闇に包まれていた工房を優しく照らしていく。暗闇だったはずの工房が、一瞬だけ幻想的な金色に染まった。
「やったぁ……! 新しいアルケミア、完成しましたっ!」
光の粒子が舞い散る中で、私は思わず両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。




