二十九話 私が、悪妻ファルファナなんだから。
◇
双子来訪から二週間。
ハイデルク商家の名と悪妻ファルファナの噂は、路地裏の小さな魔法工房をじわじわと蝕み始めていた。
「申し訳ないねぇ。うちも商売だから……」
これまで素材を卸してくれていた店は、困ったように頭を下げて取引を断る。
それだけじゃない。「あそこのアルケミア、呪われてるらしいよ」「使った人が不幸になるんだって」――いつの間にか、そんな根も葉もない噂まで帝都に広がっていた。
夜になれば工房の窓へ石が投げ込まれ。朝になれば、入口の前には誰かが捨てたゴミが山のように積まれていた。
「今日も大量だね」
工房の前に積まれたゴミを見て、そんな感想が口からこぼれる。
しゃがみ込み、散らばった紙くずや空き瓶を一つずつ拾い集めていった。
「あ、こらこら。だめだよ――《ゆらりの耳飾り》」
ぴん、と耳元の耳飾りを軽く弾く。
耳飾りから淡い炎がふわりと生まれ、揺れながら空へ舞い上がると、そのまま石を投げようとしていた男達の背中へ一直線に飛んでいった。
「あっちぃ!」
「お兄さん達、本当に暇なの?」
お兄さん達は飛び上がるように振り返り、慌てて背中を叩く。
路地裏で絡まれた時も思ったけど……どうして嫌いな相手のために、こんなに時間を使えるんだろ。私だったら、その時間で錬金術の勉強をするのになぁ。
「うるせぇ! 今回は金をもらって頼まれただけだ! この工房に嫌がらせしろって言われたんだよ!」
悪びれもせず、お兄さん達は石やゴミ袋を掲げて見せた。
「もっとまともなお仕事を探したほうがいいよ」
「よけいなお世話だ! いいか、覚えとけよ!」
お兄さん達はまたもや捨て台詞だけを残し、路地裏の角を曲がってあっという間に走り去っていった。
「ファナ。何かあった?」
カラン、と工房の扉が開く。
心配そうな顔を覗かせたヤト先生が、私のもとへ足早に歩いてきた。
「何でもありませんよ。ちょっと騒がしい友達が来ただけです!」
「と、友達?」
先生の声がぴくりと裏返る。
あれ? 何か変なこと言ったかな。お兄さん達とは何度も顔を合わせてるし、そのたびに実験にも協力……じゃなくて巻き込まれてくれるし。うん、友達で合ってる気がする。
首をこてんと傾げる私とは対照的に、ヤト先生は辺りをゆっくり見回した。
「またか」
散らばった石。地面に転がるゴミ。そして、ほんのり焦げた空気。
それらを目にした先生は、大きくため息を吐いた。
「ぱぱっとお片付けするので、待っててくださいね」
「手伝うよ」
ヤト先生が奥から箒とちりとりを持ってきて、ざっざっと床を掃き始める。
その横で私も石を拾い集めていたら、ふと、視界の端にひび割れた工房の看板が映った。……これは、一昨日に壊されたやつだ。
「……ほんと、参ったな。噂のせいでただでさえ少ないお客さんは遠のくし」
先生は箒を持つ手を止め、力なく息を吐いた。
「お客さんが来ないなら錬金し放題ですね!」
「そこを前向きに捉えられても……」
先生は眉を下げ、呆れたように苦笑する。
「それに、店に残ってる素材はほとんどないよ」
そう言って先生は、工房の方へ視線を向けた。私もつられてガラス越しに棚をのぞく。
視線の先――そこにあるはずの素材棚はほとんど空っぽだった。隙間ばかりの光景が、この苦しい現状を静かに物語っている。
「お金がないのもそうだけど、仕入れ先も噂を気にして売ってくれないし。採取に行くしかないんだろうけど……今は店を空けるのも怖いんだ」
工房を留守にすれば、戻ってきた時にはもっとひどい嫌がらせを受けているかもしれない。店を守れば素材がなくなる。素材を取りに行けば店を守れない。
どちらを選んでも未来は明るく見えず、先生は苦々しく唇を噛んだ。
「素材がなければアルケミアは作れない。このままじゃ……工房が持たないよ」
その声は、いつもより少しだけ低くて。
……先生に、こんな顔をさせるなんて。
私はそんな先生の横顔を覗き込むと――ぱっと笑顔を向けた。
「あ、素材ならありますよ?」
近くに置いてあった籠を、ひょいっと持ち上げる。
ぎっしり詰まった素材を目にした途端、先生の目が大きく見開かれた。
「……ある?」
「はい! 緊急事態だったので、ガラドに入手してもらいました!」
「ガ、ガラドって誰?」
旦那様はとても忙しく、時間が合わなくて直接お話しできなかったから――私はガラドに伝言を頼んでおいたのだ。
『旦那様にお願いがあります! 工房が大ピンチなんです!』って。
伝言が届くまで少し日数がかかっちゃったけど、こうして今朝ガラドから受け取ってきたばかり。
「ちょ、ちょっと待って……!」
先生は籠の前へ駆け寄ると、震える手で一枚の鱗を摘み上げた。
「こ、これ……まさか、《白金竜の鱗》じゃないよね……!?」
「そうみたいですよ」
どうやって手に入れたのかまでは聞いてないけど。公爵家の名で集めてもらった、としか知らない。
先生は鱗と私を何度も見比べ、頭を抱えた。
「そうみたいって……! これ一枚で家が建つって言われるくらい貴重な素材なんだよ!?」
「……え?」
思わず固まる。
ゆっくりと籠へ視線を落とした。
そこには、その白金竜の鱗が何枚も無造作に積まれている。
「…………」
旦那様。
工房が大ピンチだとお願いはしましたけど……そこまで本気で助けてくださるとは思っていませんでした。
「こ、これは流石に使えないよ」
「そうですね! これはいつか、自分達の力で手に入れた時のお楽しみにしましょう!」
そう言って大事に鱗を籠へ戻す。
掃除も終わり、そろそろ工房へ戻ろうかなっと足を向けた――その時。
見覚えのない男の人達が、工房へ向かって歩いてくるのが見えた。三人。いや、四人? 皆同じ服で、なんだかきっちりしてる。
「どちら様ですか?」
ただのお客さんには見えないし……もしかして、また双子の嫌がらせ?
近づいてきた一人が、ぴしっと背筋を伸ばして私に一礼した。
「ガラド様より申し付かっております。本日より、この工房の警備を担当いたします」
「警備?」
「嫌がらせが収まるまで、護衛を数名配置するよう仰せつかりました」
「わぁ! それはすっごく心強いです!」
思わず手を合わせて、ぱぁっと笑顔になる。これで嫌がらせを気にせず、思い切り錬金術に打ち込めるんだ。
「ねぇ? ヤト先生、これで安心ですね!」
けれど隣にいるヤト先生は、なぜか目を丸くしたまま固まっていた。
「ファナ。君は……何者なんだ?」
……何者?
私は目をぱちぱちと瞬かせると、人差し指を頬に添えて首をこてんと傾げた。
「ただの錬金術が大好きな普通の人ですよ?」
「普通の人は白金竜の鱗なんて用意できないし、護衛まで来ないと思うけど……」
「それは私ではなく、旦那様のお力をお借りしたんです」
「……ファナの旦那様?」
ぽかんと口を開ける先生を見て、ふっと口元が緩む。
双子さん。
貴方達はこんな路地裏の小さな魔法工房なんて、いとも簡単に潰せると思ったのかもしれない。でも……残念。
「せっかくだし、全力でお相手してあげなきゃと思って」
売られた喧嘩は、ちゃんと買うよ。
貴方達が喧嘩を売った相手こそ――私、ファルファナなんだから。
「よいしょっと」
ひょいっと籠を抱え、ぎゅっと腕に力を込める。白金竜の鱗を落としたら大変。
慎重に工房の扉を押し開けた。
「さ、ヤト先生! 錬金術を再開しましょう!」
勢いよく振り返ると、先生は額に手を当てて小さくため息を吐いた。
「……はぁ。ファナが不思議なのは前からだもんな」
諦めたように肩をすくめた先生と並んで工房へ入る。
カラン。っと澄んだ鈴の音が路地裏に響き、小さな工房の扉が静かに閉まった。




