二十四話 番外編sideガラド お二人の未来を祈って
◇ side ガラド
私の主人の妻は、悪妻と呼ばれていました。
貴族の結婚に愛がないことなど珍しくありません。家同士の利益を優先した政略結婚など、この世界ではごく当たり前のことです。
スエイル様もまた公爵家のため、ファルファナ様を妻として迎えられました。
「……お前にも、公爵家の者達にも迷惑をかけてしまっている。本当にすまない」
ある日、スエイル様は使用人である私に頭を下げられました。
夫人が屋敷で起こす数々の騒動を気に病んでおられたのでしょう。
「気にする必要はありません。これも仕事ですので」
貴族に仕える以上、主人や夫人の我儘に振り回されることなど珍しくない。それに――最も苦労されているのは、使用人ではなくスエイル様ご自身。
ファルファナ様は旦那様のご予定やお立場を顧みることなく行動される方でした。
お疲れの主人の部屋へ押しかけようとしたかと思えば、断られているにもかかわらず夜会への同伴を望み、何度も騒ぎを起こされる。
……正直にいえば、ファルファナ様が外で遊び歩いている日のほうが、屋敷はよほど平穏だったのです。
ですが、ある日。
「ガラド、お願いです! 食事の量を減らしてください!」
ぱん、と両手を合わせる乾いた音が室内に響く。
目をぎゅっと閉じ、必死な様子で頭を下げるファルファナ様を前に、思わず言葉を失いました。
「ファルファナ様が『食事はいつも豪華で、たっぷりと用意するべきだ』と仰っておられたのですが」
「即撤回いたします」
返ってきたのは、一切の迷いがない即答。
その必死さは、いつもの我儘とは何かが違うように思えました。
「……かしこまりました」
「ありがとうございます、ガラド!」
私が了承すると、ファルファナ様はぱぁっと顔を明るくし、弾む声で礼を述べられる。
……ファルファナ様にお礼を伝えられるのは、これが初めてのことです。いつもは使用人が尽くして当然と言わんばかりの態度でいらしたのに。
「失礼いたします」
しかし表情には出さず、ただ静かに頭を下げ、部屋を退出する。
どうせまた気まぐれの一つだろうと、この時の私は深く考えることはしませんでした。しかしその気まぐれは、思っている以上に長く続いたのです。
「ファルファナ様。使用人の私に敬語を使うのはお控えください」
「あ、そうなんだ。分かった」
忠告すれば素直に受け入れられる。
夜遅くまで錬金術の本を広げ、熱心に勉強される姿を見かけるようになる。
使用人へ声を荒らげることもなくなり、主人へ無理につきまとうこともなくなり、さらには――離婚のために動いておられるというお話まで耳に入ってきたのです。
それらは、これまでのファルファナ様とは別人と思えるほどの変化であり、その変化をスエイル様ご自身も感じておられるようでした。
「明日、ミシュラート侯爵夫妻がファルファナに会いにくるようだ」
ファルファナ様との夕食を終えられたスエイル様が、自室へ戻られるなり静かに口を開かれる。
「侯爵夫妻が公爵家へお越しになるのは珍しいことですね。普段は、ファルファナ様の方から伺っておられますのに」
そういえば、ここ最近のファルファナ様はご実家へ足を運ばれていないようでした。
外出といえばコローレ孤児院か、路地裏の魔法工房ばかり。以前のように遊び歩く姿も、すっかり見かけなくなっていました。
「……彼女を見張っていろ」
「見張る、とは」
「言葉のままだ。ファルファナが余計な真似をしないよう、目を離すな!」
問い返した私に、スエイル様はやや語気を強めて言い放たれた。
以前であれば、ファルファナ様が何をされようと気に留めることはなかったはずです。……やれやれ。素直ではないご主人様です。
「かしこまりました」
胸に手を当て、一礼する。
スエイル様は普段から多忙なお方だが、最近は支援していた慈善事業に違法組織との繋がりが見え隠れしており、その真偽を突き止めるため奔走しておられた。
だからこそ、ご自身が時間を割けずにおられるのでしょう。
「――ファルファナ様の無実について、進展はございましたか」
一歩踏み込んだ質問をすると、スエイル様の動きがぴたりと止まる。
「彼女は今回の件に関係ない」
返ってきた答えに迷いはない。
「もし彼女が孤児院に手を出していたなら、俺を巻き込むような真似はしない。そんなことをすれば……尻尾を掴ませるだけだ」
証拠はまだないのでしょう。ですが、その口ぶりには揺るぎない確信がありました。
……スエイル様は気づいておられるのでしょうか。その言葉が、ファルファナ様を信じている者の声だということに。
「スエイル様が奥様の無実を証明されることを、心よりお祈りしております」
「止めろ。俺は放っておけば、ファルファナが何をしでかすか分からないから動いているだけだ」
ぶっきらぼうに言い捨てると、スエイル様は視線を逸らされた。
本当に素直ではないご主人様です。このお二人がこれからどのような道をお選びになるのか、私には分かりません。
それでも願わくば――お二人の歩む未来が、今より少しでも穏やかで、温かなものでありますように。




