二十三話 私が私を幸せにしますね
吹き飛んだ扉の向こうには、見慣れた銀髪が揺れていた。
旦那様は部屋の中を一瞥し、私と、取り囲む男達を順番に見回す。そして……盛大なため息を吐いた。
「ファルファナ、どうして君がここにいる」
「えーっと……夢のお告げで?」
小説の知識からここに来ました、なんて言えないので。とりあえず、にこっと笑って誤魔化してみる。
旦那様は額へ手を当て、もう一度深く息を吐いた。
「俺は、君に大人しくしていろと言ったはずだが?」
「旦那様。認識の違いで恐ろしいことに、私は大人しくしているつもりなんです」
「どこがだ」
即答だった。
でも今回だって、動きたくて動いたわけじゃない。
お父様とお母様の話を聞いているうちに、ファルファナはただヒロインに嫉妬して悪事を重ねた悪妻じゃないと考えて――ここに辿り着いてみせた。
私は「えへへ」と笑ってみせると、女主人の方へ手を向ける。
「こちらの方々が悪党だってことに変わりありませんよ」
「ち、違いますわっ!」
女主人は旦那様の登場に視線をウロウロさせ、明らかに困惑していた。けれど、その顔にはすぐに作り物の涙が浮かび始める。
「ファルファナ様が突然押しかけてきて、私達にありもしない罪を擦りつけたのですわ! ああ、なんて恐ろしい……さすがは悪妻様ですこと!」
目に涙を溜めて「私達は被害者です」と全身で訴えている。
その口元には、じわりと笑みが浮かび始めていて。まるでスエイル様は悪妻の私ではなく、自分達を信じると確信しているかのようだった。
まぁ、私が旦那様に相手にされていないのは皆知ってるもんね。
「黙れ」
が、旦那様は一瞬で断ち切った。
氷のように冷え切った赤い瞳が男達を見据え、静かに片手をかざす。
「《氷》」
低く紡がれた詠唱と同時に空気が震えた。
冷気が肌を刺すほどの鋭さで広がっていき、私を囲んでいた男達の体は一瞬で氷に閉じ込められ、身動きが取れなくなっていた。
「このサロンが違法組織と繋がっていることは、すでに調べがついている。……コローレ孤児院の件も含め、覚悟しておけ」
「そ、そんな……っ」
女主人は膝から崩れ落ち、青ざめた顔で震え始める。
その直後、旦那様と一緒に突入してきた魔法使いや騎士達が一斉に動いた。てきぱきと犯人達を拘束していき、騒然としていたサロンは、あっという間に制圧されていく。
「――で? 君はどうしてここにいるんだ」
少し騒ぎが落ち着いた頃、旦那様が静かに私へ向き直る。
「……旦那様」
私は姿勢を正すと、すっと両手を差し出した。
「心から反省しています。なので、どうぞ私を罰してください!」
「……は?」
「あ、でも処刑だけは許してください! 他で償えることがあるなら全部します! 旦那様に他に好きな女性ができて浮気しても、私、絶対に責めません!」
「おい、誤解を招く発言をするな!」
周りの視線があるせいか、旦那様は慌てて私の口を塞ぐ。
「君の思考回路が理解できない。いいから、落ち着いて話せ」
「ふがっ、ふが」
こくこくと頷くと、旦那様はゆっくりと手を離してくれた。
解放された口で一度だけ深呼吸をする。そして、私は旦那様の赤い瞳をまっすぐ見つめ返した。
「……実は」
ごくりと唾を飲み込む。
「私がここの人達に力を貸して、孤児院へ手を出させていたんです」
記憶の本棚を辿り、このサロンと私――ファルファナが結びついたのが、コローレ孤児院だった。
もう細かいことは省くけれど、慈善事業の裏で買収や帳簿の改ざんが行われていて、その許可書の中には、公爵夫人である私の名が使われたものもあった。
「子供達に辛い思いをさせてしまって……旦那様にまで迷惑をかけてしまいました。本当に、ごめんなさい」
深く、深く頭を下げる。
今の私には、謝ることしかできない。
「……」
返事がなくて、静まり返った空気が胸を締めつけていく。やっぱり……許してくれないよね。そう思った、その時だった。
「君は、本気で頭でもおかしくなったのか?」
「……え?」
思わず顔を上げる。予想もしなかった言葉に、ぽかんと口が開いた。
「えーっと、旦那様。恥ずかしながら、私は自分のことを天才だと思っていました」
「少しは謙虚になれ」
間髪入れずに言い返される。
旦那様は呆れたように私を一瞥すると、そのまま連行されていく悪い人達へ視線を向けた。
「確かに君の名前は利用されていたが、それは連中が勝手に使っていただけだ。君自身が関与していないことは、すでに証明されている」
「……本当ですか?」
「そもそも君が公爵夫人になったのは半年前。彼等がコローレ孤児院への支援金を横流しをし始めたのは、それよりずっと前の話だ」
小さく舌打ちをしながら、苦々しい顔で告げる。
その表情には、長い間、好き勝手にしてきた連中へ向けられた静かな怒りを感じた。
「で? これは何の話だ」
「……よ」
「よ?」
「良かったぁ……!」
堪えきれず、胸の奥からぱあっと喜びが溢れる。
「旦那様、私の無実を証明してくださってありがとうございます!」
「……君のためじゃない」
旦那様はわずかに視線を逸らし、ぶっきらぼうに言った。
「これは公爵家の名を守るために必要だっただけだ。俺の妻が濡れ衣を着せられたままでは、家の格が落ちる」
「それでも感謝いたします。私の大切な居場所を守ってくださったこと……とっても嬉しいです」
覚悟はしていたとはいえ……せっかく見つけた居場所を失うのが怖くて、ずっと息が詰まっていたから。
その安堵が涙になって滲み――旦那様は私の目に浮かんだほんの少しの涙を見て、びくっと体を硬直させた。
「……君は、本当にファルファナなのか?」
低く落ちた声は、戸惑いを隠しきれていなかった。
「そうですよ」
私は迷わず頷く。
親に支配され、悪い子として生きるしかなかったファルファナ。
誰にも助けを求められず、誰にも守られず、誰にも愛されず……言われるままに罪を重ねてしまった彼女。
あの「悪妻」を作り上げたのは――きっとお父様とお母様だ。
「今のファルファナは私なので」
胸にそっと手を当てる。私は旦那様の赤い瞳をまっすぐ見つめ、にこっと笑った。
「私がファルファナを幸せにしますね!」
もうお父様とお母様の思いどおりにはならない。あの人達が望んだ「悪い子」にも、もう二度となってあげない。
私は幸せになるの。
「…………」
旦那様は何も言わずに、ただじっと私を見つめ返していた。
◇ side ミシュラート侯爵夫妻
「ファルファナ……っ! あいつ、親に逆らいおって……!」
どん、と重い音が室内に響く。
ミシュラート侯爵邸へ戻った侯爵は、机を叩きつけた拳を震わせていた。娘に向けられた怒りは、屋敷へ戻った今も収まる気配がない。
「どうしてなの……ファルファナ。あんなに、あんなに愛して育ててきたのに」
夫の怒声とは対照的に、夫人は椅子に崩れ落ち、震える指で顔を覆った。
「私達の言うことだけ聞いていればよかったのに……どうして、あの子は……」
夫人の声はか細く、しかし底には冷たい棘が潜んでいる。
しくしくと泣くその姿は、まるで反抗期の娘を案じる母のようで――けれど、その涙に愛情は欠片もない。
「あんな子でも家の役に立てるよう、誰にも好かれない子に育ててきたのよ。教育も礼儀も教えず、悪い子として生きるしかないように……あれほど手間をかけたというのに」
「まったくだ! ようやく家の役に立てる時がきたというのに、それすら理解できんとは!」
侯爵は吐き捨てるように叫び、荒々しく息をついた。
「……同じ無色の子達と関わるうちに、あの子まで身の程を忘れてしまったのかもしれないわね」
夫人は静かに立ち上がると、机の上に置かれた一枚の報告書を手に取る。
その紙には『路地裏の魔法工房』と記されていて、夫人はその名前をなぞると、ぐしゃりと紙を握り潰した。
「このままで済むと思うな。親に逆らう行為がどれほど罪深いか……骨の髄まで思い知らせてやる」
「ええ……。ファルファナは優しい子だもの。少し罰を与えれば、また私達の望む悪い子に戻ってくれるわ」
二人は疑ってすらいなかった。
娘は自分達の所有物であり、自分達の望む姿に戻るのが当然なのだと。その歪んだ確信だけが、静まり返った部屋に重苦しく沈んでいた。




