二十二話 けじめをつけに行きましょう
◇
記憶の本棚を探り、ぱらり、と一冊の本を開く。
表紙には『悪妻ファルファナ』の文字。その名を指先でなぞりながら、私はゆっくりとページを読み進めた。
「悪妻ファルファナには、帝国の裏で暗躍する犯罪組織との繋がりがあった。互いを利益だけで結ぶ関係で、ファルファナは彼等を利用し、ヒロインを苦しめ、公爵家へ数々の不利益をもたらし続けた」
文章を追っていくと、記憶が鮮やかによみがえっていく。
そうだ。ヒロインを襲った時も、攫った時も――ファルファナは彼等の力を借りていた。
「じゃあ……まずは、その人達に会いに行ってみないとね」
私は本を閉じると、小さく頷いた。
「これはこれは……ファルファナ様。ご無沙汰しております。お元気そうで何よりですわ」
帝都の隠された一等地。
表向きは高級サロンとして知られる立派な建物へ通された私は、香水の甘い香りがほのかに漂う静かな応接室で、赤く塗った唇が妙に目立つ少し年配の女性と向き合っていた。
「お久しぶりです。貴女もお元気そうで良かった」
――いや、誰? もちろん、私は初対面。
女主人は一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに口元へ笑みを戻した。
「ファルファナ様は、ずいぶんと雰囲気がお変わりになりましたのね。以前は、そのような穏やかなご挨拶をされる方ではございませんでしたのに」
「悪い子でしたか?」
「い、いえ。そのようなことは決して……」
女主人は慌てて否定しながら、そっと私から視線を外した。
別にはっきり言ってくれていいのに。だってファルファナはちゃんと、お父様とお母様の望む「悪い子」になれていたってことなんだから。
「コローレ孤児院の資金を横流ししているのは、貴女ですよね」
前置きはせずに、真っすぐ切り込む。
女主人は今度こそ完全に動きを止め、ゆっくりと顔を上げた。ふてぶてしい視線がこちらへ向けられる。
やがて彼女はキセルへ魔法で火を灯すと、紫煙をゆっくり吐き出した。
「だから何だい? エルライン公爵家からの援助金は、公爵夫人様がお許ししてくれるんだろう?」
さっきまでの愛想のいい声とは別人みたい。
「甘い蜜を吸わせてくれる見返りに、こっちは悪妻様の代わりに手を汚す。そういう話だったじゃないか」
「……そうでしたね」
否定できない。小説のファルファナは、確かにこの人達を利用していたから。
「よりにもよって、あの孤児院だなんて」
小さく、吐息のように呟く。
「ねぇ、子供達のお金に手を出すとか、情けなくないんですか? 孤児院のお金を盗むのは、今すぐやめてください」
「はっ! よく言うじゃないか。お前だってこっち側の人間だったくせに!」
「心から反省しています。……だから、私が犯した罪は必ず償います」
許してもらえるとは思っていない。孤児院の皆に責められるかもしれない。ヤト先生の工房にも……もういられなくなるかもしれない。
それでも――。
「私は悪い子なので。ちゃんとお父様とお母様の言いつけを破らなきゃ」
胸に手を当て、ぐっと胸を張って言い切った。
「調子に乗るんじゃないよ! あんたなんて所詮、侯爵家の使い捨ての駒なんだからね!」
「わぁ、よく知ってるんですね。教えてくださってありがとうございます!」
緊迫した空気には似つかわしくない、花がぱっと咲くみたいな笑顔で返す。
「侯爵家の名前が出てくるなんて、やっぱりお父様とお母様が関わってるんだぁ。ふふ、今日は来た甲斐がありました!」
「あんた……っ」
その場違いな明るさが、女主人の神経を逆撫でしたらしい。
わなわなと体を震わせたかと思うと、椅子をがたんと鳴らして勢いよく立ち上がった。
「どうやら痛い目を見ないと分からないようだね」
「えっ、まだ何か教えてくれるんですか? 優しいんですね! でも……貴女にできます? 私を痛い目に合わせることなんて」
首をこてんと傾げて、不安げに尋ねる。
女主人の顔はみるみる紅潮し、そばに置かれた鈴をつかむと、けたたましく鳴らし始めた。その音に呼応するように扉が開く。
無精ひげに荒れた肌、濁った目つき。入ってきたのは、どう見ても裏社会の住民としか思えない風貌の男達で。
彼等は無言のまま、私の周りをゆっくりと取り囲んでいった。
「殺しはしないよ。悪妻のあんたには、まだあのお二人の役に立ってもらわなきゃならないんだろうからね」
悪い顔で告げる女主人。
私は笑顔を浮かべたまま腰のポーチへ手を伸ばす。指先が触れた「ロザリオ」を取り出し、そのまま手首へ、きゅっと巻きつけた。
「お気遣いどうも。私にはいらないお世話だけど」
「本当に舐めた女だね! だから誰からも嫌われる悪妻なんだよ!」
「そこまで皆に嫌われているなんて、私ってばすごい『才能』ですよね!」
「ふざけたことを……! 悪妻風情が、どこまで私を侮辱すれば気が済むのかしらね!」
乱暴に伸びてくる男達の手。
その荒れた指先が私に触れようとする前に、私は手首のロザリオにそっと口づけ、静かに前を見据えた。ここでなら、多少暴れても問題ないよね。
「《らいらいロ――》」
バチバチと体の内側を電気が走る。
雷の気配が指先へ集まっていき、いざ、アルケミアを放とうとした瞬間。ドゴッ! と、大きな破砕音が響き、扉が吹き飛んだ。
「え――」
「な、何事だい!?」
女主人も状況を理解できていないらしく、悲鳴を上げながら、乱れた足取りで扉の方へ向き直る。
煙から現れる人物を見た瞬間――「あ」と、声が漏れた。
「旦那様!」
思わず声が弾む。




