二十一話 無色で無能の私は悪い子なので
「いい加減にしろ、ファルファナ! お前ごときが親に逆らうなど……身の程をわきまえろ!」
「お父様、ずっと怒ってばっかりで疲れない? そんなに怒ると体に悪いよ?」
頬に人差し指を添えて、首をこてんと傾ける。
「ど、どうしてしまったの、ファルファナ。私達に逆らうような悪い子じゃなかったのに……!」
「あれ? でも、お父様とお母様が『悪い子になれ』って育てたんですよ? じゃあ、ちゃんと望みどおりになれたってことですよね?」
きょとんと目を丸くすると、二人の表情が一瞬で固まった。
その反応が面白くて、ふわっと笑みをこぼす。
「褒めてくれてもいいんですよ?」
「この……っ! 子供のくせに、親に生意気な口を利くなっ!」
お父様の顔が怒りで歪み、その腕が大きく振り上げられる。
……また殴るの? 本当に沸点の低いお父様だなぁ。そう思った瞬間、私は反射的に近くの花瓶へ手を伸ばした。
「えいっ」
「な、何をするんだ!?」
近くにあった花瓶を、そのまま床へ落とす。
――ガシャァンッ! っと、耳をつんざくような破砕音をして応接室中に響き渡った。砕け散った花瓶の破片が飛び散り、部屋の空気が一瞬で張り詰める。
振り上げられていたお父様の腕も、ぴたりと止まった。
「あーあ。割っちゃった。悪い子ですね、私」
私はしゃがみ込むと、床へ投げ出された花をそっと拾い上げる。
「ごめんね、びっくりしたよね。あとで花瓶は修理してもらおうね。お水も新しく入れてあげるから、もう少しだけ我慢してね」
優しく茎を抱き寄せ、ふっと微笑んだ。
「――失礼いたします、ファルファナ様。今、大きな音が聞こえましたが、何かございましたか?」
ガチャリ、と扉が開く。
駆け込んできたガラドの視線が部屋を一巡する。床一面に散らばる花瓶の破片。そして、花を大事そうに抱える私。
最後に、お父様の振り上げられたままの腕で視線が止まった。
「……これは、どういった状況でしょう?」
ガラドの眉が、ぴくりと動く。
お父様は慌てて振り上げていた腕を下ろし、額にうっすらと汗を滲ませた。
「も、申し訳ない! ファルファナが……その、また癇癪を起こして花瓶を割ってしまったんだ……!」
「そ、そうなの! ファルファナは本当に……手のかかる子だから」
お母様も引きつった笑みを浮かべながら、お父様に話を合わせる。……まあ、花瓶を割ったのは事実だし、そのくらいは別にいいかな。
私は抱えていた花をそっと近くの机へ置くと、ガラドへにこりと笑いかけた。
「ガラド、お父様とお母様はもうお帰りになるそうよ。お見送りしてあげて」
「な――っ、ま、待ちなさい! まだ話は終わってないぞ!」
「えぇー? まだ続けたいんですか? あの不毛なやり取り。私、もうお腹いっぱいですよ」
軽くお腹を押さえて、素直な気持ちを口にする。
「無色で無能の娘は悪い子なので、お父様とお母様の話は聞きません」
「ファルファナ、お前……っ!」
お父様の頬がひくりと引きつり、怒りに肩がわなわなと震えていて。一方のお母様は唇を噛み締め、今にも泣き出しそうな目で私を見つめていた。
「……かしこまりました」
張り詰めた空気を乱さぬまま、ガラドが静かに一礼する。
すぐに外で控えていた侍女達へ視線を送り、短く指示を出した。
「ファルファナ……っ。後悔するなよ」
「ああ……っ! 可愛い、私の愛する娘だったのに……」
ガラドに促され、お父様とお母様は渋々部屋を出ていく。その間も、二人の視線はずっと私から離れなかった。
……怖いなぁ。
あれは親が子供へ向ける目じゃないよね。思い通りに動かなくなった人形を睨むような、そんな冷たい目。
応接室に静寂が戻ると、ガラドが私へ向き直った。
「何があったのですか?」
「んー、親子喧嘩かなぁ」
親子っていう感覚は全然ないけど。
「すぐ近くで待ってたんでしょ? 何も聞こえなかったの?」
花瓶を割ってから、ガラドが駆けつけるまでの時間は早かった。
あれだけお父様は怒鳴っていたんだから、少しくらい外まで聞こえていると思っていたのに。
「応接室は来客をお迎えする場所です。機密の話をされることもありますので、『声』が外へ漏れぬよう、防音の魔法が施されております」
「わぁ……本当に魔法って便利だね!」
感心して声を上げる。
「声以外は聞こえるので駆けつけましたが……どうして花瓶を割るようなことに?」
「殴られそうだったからね、ぱっと気をそらせば止まるかなって思ったの」
「……殴られそうに?」
ガラドの声が、ほんのわずかに沈む。
私はそっと、いつも身に着けているポーチへ手をやった。
アルケミアを使っても良かったけど……誤って家を壊してしまった時のことを考えると、どうしても手が出なかったんだよね。
こういう時のためにも、もっと精密なアルケミアを作らなきゃ!
「ミシュラート侯爵夫妻様は娘を深く愛し、何かと庇われる方々だと伺っておりましたが」
「ねー? 私もすっかり騙されちゃった」
小説の中のお父様とお母様は優しくて、娘思いで、愛情たっぷりの人達だった。読者だった私も信じ込んでいたのに。
でも、現実は違う。
「ふふ。答え合わせができたから、会えて良かった」
あの二人はファルファナを愛していたんじゃない。
自分達の思い通りに動くように娘を支配して従わせ、利用して。その果てに小説のファルファナは悪妻と呼ばれ、数々の悪事を重ねていき。
そして――処刑された。
「ねぇ、ガラド」
ゆっくりと顔を上げる。
「……私と旦那様が結婚したのって、いつ?」
ガラドは私の質問に、不思議そうに眼鏡の縁を指で押し上げた。
「半年ほど前ですが……まさか、ご自身の結婚日を忘れてしまわれたのですか?」
「半年……」
どくん、と心臓が嫌なほうへ跳ねた。
あれ? 確か私、三ヶ月前に目が覚めたはずだよね。……ということは、その前の三ヶ月は? え。ええ? ちょっと待って。
「もしかして私……もう、何かしちゃってたりする……?」
お父様が口にした『悪意』と、お母様が口にした『犠牲』の言葉が胸の奥で静かに引っかかる。
嫌な予感だけが、心臓の音を激しく鳴らした。




