二十話 やっとご対面
翌日。
「ファルファナ様、ミシュラート侯爵夫妻がお見えになりました」
「ありがとう、ガラド。今、行くね」
錬金術の本へ夢中になっていた私は、ぱっと顔を上げる。ページの端へ栞を挟み、本をぱたんと閉じた。
胸の奥が、なんだかわくわくする。
「この世界に転生して、初めて会うお父様とお母様かぁ」
小さく呟きながら立ち上がると、自然と足取りまで軽くなった。
正直、会おうと思えばいつでも会えた。でも工房へ通ったり、孤児院へ顔を出したりしているうちに、優先順位が下がっちゃったんだよね。
「今日は工房もお休みにして、ちゃんと予定を空けて待ってたんだから……感謝してほしいよね」
ガラドの後ろを続いて階段を下りていく。
応接室へ着くと、すでに二人の男女が待っていた。年の頃は四十代くらい。上質な衣服に身を包み、いかにも侯爵夫妻らしい気品をまとっている。
「ファルファナ!」
私の姿を見つけるなり、二人の表情がぱっと明るくなった。目にはみるみる涙が浮かび、今にも泣き出しそうな顔になる。
「ああ、愛しい我が娘よ! 元気にしていたか!?」
「もう……まったく顔を見せにこないから……心配してたのよ」
お父様は両腕を広げて、感極まった声を上げる。お母様は目元を押さえながら、何度も頷いていた。
――その姿だけ見れば娘を想う、普通の優しい両親みたい。
「ようこそいらっしゃいました。お父様、お母様」
にこっと笑顔を貼り付けて、胸に手を添えてお辞儀をする。
本当に、いつも通りのただの挨拶。ただそれだけなのに。
「――っ」
お父様とお母様の顔が、ほんの一瞬だけわずかに歪んだのを、私は見逃さなかった。
……怖い顔だね。
「公爵家の執事の方、少し家族だけで話をしたい。すまないが、少し席を外してもらえるかな」
お父様が、傍らに控えていたガラドへ向けて静かに声をかける。
ガラドはその言葉にわずかに眉を伏せ、確認するように私へ視線を向けた。
「……いかがいたしますか? ファルファナ様」
「大丈夫だよ。ガラド、外してもらえる?」
小さく微笑んで答える。
「……かしこまりました」
ガラドは静かに一礼し、足音一つたてずに部屋を後にした。
その気配が完全に遠のくのを待つ間もなく――お父様はかつかつと早足で近寄り、私の頬をバシッと、乾いた音を立てて殴った。
「いった……」
反射的に頬へ手を当てる。
けれど、その手をお父様は乱暴に掴み上げた。
「この……っ! 役立たずが! 何故、普通に『良い子』として過ごしている!? 言われた通りに動くことすらできんのか!」
怒鳴り声が頭の奥まで響く。
目の前にいるのは、さっきまで涙を浮かべていた優しい父親じゃない。怒りに顔を歪めたその姿は、まるで別人だった。
「しかも離婚を望むなど……っ! お前は私の娘として失格だ!」
「まぁ……あなた、少し落ち着いて。きっとファルファナも反省しているわ」
穏やかな声とともに、お母様がゆっくりと私の前へ歩み出る。
そのまま指先をそっと私の頬へ添えると、ふわり、と柔らかな光が灯り、じんじんと痛んでいた熱が嘘みたいに消えていった。
「ほら、もう綺麗よ」
慈しむような笑みを浮かべたまま、お母様は優しく頬を撫でる。
「良かったわね。これで誰にも分からないでしょう? ……私達が手を上げたことなんて」
――気持ち悪い。
喉まで込み上げた本音を、ぐっと飲み込む。
ここで言い返すのは簡単だけど……今は、小説には描かれていなかったことを知るチャンスでもある。もう少しだけ、この人達の本性を見ておこうかな。
「公爵家に嫁いだからといって、己が偉くなったなどと思うな! いいか!? エルライン公爵はお前など愛していない!」
知っていますが。
「愛されていないなら、なおさら私は旦那様と離婚したいです」
「まぁ……スエイル様に冷たくされて、少し拗ねてしまっているのね」
お母様がくすり、と困った子を見るように笑う。私の話なんて、最初から聞くつもりがないみたい。
「だけどね、それは仕方がないことなの。無色で無能の貴女は誰にも愛されない。ファルファナを愛してあげられるのは……私達だけなのよ」
……愛、ね。
「お父様とお母様は、私を愛してるんですか?」
「――」
問い返すと、部屋の空気がぴたりと止まった。二人とも笑みを消し、ほんの一瞬だけ互いの顔を見やる。
ふふ。そんなに困る質問だったのかな?
「もちろん、愛しているわ」
お母様は何事もなかったように微笑み直した。
「だからね、私達に愛されたままでいたいのなら、結婚生活を続けて……決して『良い子』になってはだめよ。ファルファナは『悪い子』でいないといけないの」
その優しい声は、少しも心に響かない。
温もりなんてどこにもない。あるのは……私を思いどおりに動かそうとする冷たさだけ。
「ねぇ、どうして悪い子でいなければいけないの? 普通、子供には良い子になってほしいものだと思うけど」
「黙れ! 子供が親に口答えなどするな! お前は親の言葉に従っていればそれでいいんだ!」
「……もう、いちいち五月蠅いなぁ」
お父様の声に、ぽろり、と本音が零れた。
「今……何か言ったの?」
お母様が怪訝そうに首を傾げる。
「いいえ、何も。どうぞ続けてください――お父様、お母様」
危ない危ない。私はにっこり笑って誤魔化した。
「いいか! 無色のお前は、生まれた瞬間から価値などない! だから公爵家では嫌われ者の『悪妻』でいろと何度言えば分かる!」
「そうよ、ファルファナ。貴女は我儘で傲慢で、皆に嫌われる悪い子のままでいればいいの」
「それがお前の役目だ。家のために嫌われ、家の利益となる。それ以外に、お前の存在価値はない!」
「これも全部、ファルファナのためなのよ? 無色で無能の貴女は、一人では生きていけないでしょう? だから私達が進むべき道を教えてあげているの」
怒鳴り声と、優しい声。まるで飴と鞭みたいに、二人の言葉が途切れることなく降り続ける。
頭がおかしくなりそう。
――ずっと、ファルファナはこんな言葉を浴びせられ続けてきたのかな。
「お前はただ『全ての罪』を背負えばいい! それが侯爵家に生まれながら無色という欠陥を抱えた、お前の役目だ!」
「……罪?」
思わず声が漏れた。
全ての罪を背負う? それって、どういう意味……?
「心配しなくても大丈夫よ」
お母様は穏やかに微笑む。
「全部終わったら、お父様とお母様がちゃんと見送ってあげるから。ファルファナが家族のために犠牲になってくれたら……私達も誇らしいわ」
「犠牲……ね」
その一言が胸に突き刺さる。
ふいに脳裏へ、小さな女の子の姿が浮かんだ。膝を抱え、声を押し殺しながら泣いている幼いファルファナの姿が。
その姿を思い浮かべた瞬間……胸の奥で、何かがぷつりと切れた。もう限界。
「――まるで『毒親』みたいだね」
「……は? 毒親?」
二人の目をまっすぐ見つめて、はっきりと言葉を返す。
「ねぇ、お父様、お母様。どうして二人は、私が泣くようなことばっかりするの?」
一歩、二歩。
今度は私の方から二人へ歩み寄る。
「子供を支配して楽しい?」
「まぁ、なんてことを言うの! 支配だなんて……!」
「それって『良い子』じゃなくて、『言うことを聞くお人形』が欲しいだけじゃない?」
「お前……っ!」
お母様の顔から血の気が引いていく。対照的に、お父様の顔は怒りで真っ赤に染まっていた。
「もし『子供を支配する才能』なんてものがあるのなら――貴方達は、その才能のとびきり強い持ち主なんだろうね」
二人をまっすぐ見据え、私は静かに笑った。




