十九話 次回
夜になると、私はファナでなく――公爵夫人ファルファナになる。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ、ファルファナ様」
エルライン公爵邸に戻った私を、執事と侍女達が一斉に頭を下げて出迎える。
この光景にも、もうすっかり慣れちゃった。……慣れたというより、当初がひどすぎたんだけど。
転生したばかりの頃なんて、玄関ホールいっぱいに何十人もの使用人達が並んでいて――「えっと……何事?」と、本気で頭を捻ったくらいだ。
「ねぇ、《ガラド》。夜の出迎え、本気でもういらないんだけど……」
私の隣を歩くこの人の名前は、ガラド。
エルライン公爵家の執事で、使用人達のまとめ役をしているとか。つまり、この家でかなり偉い人。
「それはできません。ファルファナ様は公爵夫人でありますので」
「やっぱり?」
返ってきたのは、今日もいつもと同じ答えだった。
「そもそも『帰りが何時になろうと、使用人は頭を垂れて待つものだ』と望まれたのは、ファルファナ様ご自身でございます」
「あー……」
実は私、何度も「出迎えはいりません」とお願いしてるけど、そのたびにぴしゃりと断られている。
転生前のファルファナの振る舞いとか、『これも我々の務めです』と真面目な顔で言われてしまうと、それ以上は何も言えなくて。
「でも、人数は減らしてくれたんだよね。……うん、ありがとう! ガラド!」
私がお礼を言うと、ガラドはこちらへ視線を向けた。
「……本当にお変わりになられたんですね」
「何か言った?」
「なんでもございません。こちらへどうぞ」
案内されたのは、いつものダイニングルーム。
大きな窓と高い天井が開放感を演出する広々とした空間。
その中央には真っ白なテーブルクロスが美しく掛けられた長いテーブルが置かれ、磨き上げられた銀の食器が整然と並んでいる。
その向こうに見えた人影に、私は思わず声を上げた。
「旦那様!」
既に席についている旦那様の姿を見つけ、急いで駆け寄る。
「すみません、お待たせしました」
「……別に」
ぶっきらぼうで温度の読めない声。なのに私は、嬉しくて笑ってしまう。
「ふふ」
「何がおかしい」
「いいえ。ただ、旦那様とこうして並んでご飯を食べられるのが嬉しいなって思っただけです!」
子供達に説教されてからというもの、旦那様は時々、こうして私と食事をしてくれるようになった。完全に無関心だった頃を思えば、これはすごい進歩だと思う。
素直な気持ちを伝えると、旦那様はわずかに眉を寄せ、そのままふいっと視線を逸らした。
「勘違いするな。これは、君が余計な真似をしないように見張るためで――」
「私を知ろうとしてくれてるんですよね? どうぞ! 今日は何をお話ししますか? あ、今日は旦那様に教えていただいたサンダラリア草原に行ってきたんですよ!」
食事をしながら、その日の出来事を次々と話していく。
採取した素材のこと。びりびり蜥蜴のこと。先生が初めて魔物を倒したこと。
旦那様は相変わらず無表情のままだったけど、それでも途中で話を遮ることもなく、静かに耳を傾けてくれていた。
あ、そうだ。そう言えば。
「旦那様」
「何だ」
「離婚しましょう」
世間話の続きを口にするくらいの気軽さで、私はにこりと笑った。
「離婚はしない」
そして断られる。
旦那様はこちらを鋭く睨みつけると、ゆっくりと食事の手を止めた。
「離婚ができない理由は、すでに伝えたはずだが」
「ミシュラート侯爵夫妻――お父様とお母様の了承が得られないから、離婚はできないってことですよね」
家同士の利益が絡んだ政略結婚。
どうやら二人は、本気で私達を離婚させるつもりはないらしい。
「あれからも何通も書簡が届いているが……どれも離婚には断固反対だと。侯爵本人だけでなく、夫人からも別に書簡が送られてきている」
旦那様は小さくため息をつく。
「それだけではない。侯爵家は何度も使者を寄越している。『娘のためにも離婚だけは認められない』とな」
――いや、望んでいないどころか、絶対にさせないという強い意志すら感じる。
「私のため、ですか」
当の私が、離婚を望んでいるのに。
「やっぱりこうなったら、強行突破しかありませんね!」
「……何をする気だ。止めろ、余計な真似をするな」
ぴんっと人差し指を立てて宣言すると、旦那様は即座に言い返した。
駄目かぁ。うん、でも仕方ないよね。なるべくなら、ちゃんと円満に離婚したいし。
「では旦那様、お休みなさいませ」
食事を終え、席を立つ。
夫婦だけど私達の部屋は当然別々。旦那様へ一礼し、そのままダイニングルームを出ようと扉へ手を掛けた――その時。
ガチャ。
背後から伸びた手が、開きかけた扉をそっと押さえた。
「待て」
低い声に、きょとんと振り返る。
「どうしたんですか?」
「……ミシュラート侯爵夫妻が、君に会いにくるそうだな」
首をかしげて尋ねると、旦那様は鋭い視線をこちらへ向け、短く告げた。
「そうみたいですね」
私はあっさりと頷いた。
両親からの手紙は、もう数えるのも面倒なくらい私のもとにも届いている。どれもこれも私を罵倒する言葉と、「一度、こちらに戻ってこい」という呼び出しで。
それをずっと無視していたら、ついに会いにくるという話になってしまったのだ。
「……俺は明日、仕事でいないが」
「ご安心ください、旦那様! ちゃんと私が、お父様とお母様に旦那様との離婚をお願いしておきますね!」
拳をぎゅっと握り、胸を張って宣言する。
これが一番早くて、みんなが平和になれる方法だと……そう思ったのに。旦那様は、わずかに不快そうに眉をひそめた。
「誰が君に、そんなことを頼んだ」
「え? でも旦那様も、そのほうが嬉しいですよね?」
首を傾げると、旦那様は小さく息を吐き、一歩、私から距離を取った。
「いいか。くれぐれも大人しくしていろ。問題を起こすなよ」
それだけ言い残すと、旦那様は私の返事も待たずに踵を返す。ばたん、と少し強めに扉が閉まる音だけが、静まり返ったダイニングルームに響いた。
「……あれ?」
閉ざされた扉を見つめたまま、ぱちぱちと瞬きをする。
「何か怒ってた? 私、また変なこと言っちゃったのかな?」
首を傾げながら窓際まで歩く。
なんとなく夜風に当たりたくなってカーテンをそっと開くと、夜空へまっすぐ伸びる白い塔が目に入った。
「……マギア塔。本当に、どこからでも見えるんだね」
グランホール帝国を象徴する魔法の塔。
窓いっぱいに映るその姿は、何度見ても大きい。頂上では淡い光がゆらゆらと揺れていて、まるで夜空そのものを照らしているみたいで。
こうして目にするたびに――本当に、私は「小説」の中にいるんだと実感する。
「ただ……」
窓ガラスへ映る自分を見つめながら、小さく笑う。
「私の知ってる小説とは、ところどころ違うみたいだけど」
一番違うと思ったのは、お父様とお母様。
小説の二人は娘に甘くて、いつも振り回されてばかりの親だった。でも――現実は違う。私のところへ届く手紙には、優しい言葉なんて一つもない。
『無色』『役立たず』『無能』『家の恥』、そんな言葉ばかり。
「……やっとご対面だね」
現実の私は、娘を罵倒するひどい両親を迎えることになる。
「小説と違うお父様とお母様かぁ」
どんな人達なんだろう。明日になれば、ようやく答え合わせができる。
「ふふ」
今からとっても楽しみ!




