十七話 《悪妻ファルファナを作り出したもの》
《悪妻ファルファナを作り出したもの》
◇ 過去 スエイルside
「エルライン公爵様……ファルファナは――私の娘は、本当に貴方様をお慕いしているのです」
「……ミシュラート侯爵」
帝城での会議が終わった直後。
この男は、もう何度も断っているはずの言葉を口にした。
「貴殿の娘の想いは、確かに嬉しく思います。しかし……お受けすることはできません」
しつこい、と言い捨てたくなる気持ちを辛うじて飲み込み、公爵としての礼節だけを残して、きっぱりと告げる。
「そんなことを仰らないでください」
それでも彼は食い下がった。去ろうとする俺の横に、必死に歩調を合わせてくる。
「娘とご結婚いただけるなら、公爵様に有利となる条件をいくつもご提示いたします! 我が侯爵家が管轄する『マギア塔』の一部も、公爵様にお譲りいたしましょう!」
「……なんだと」
ぴくりと反応し、思わず足が止まった。
「マギア塔はグランホール帝国における魔法の源でございます。その管理を任されるのは、名のある貴族の中でも限られた者のみ。ゆえに魔法を主とする我が国においては、極めて重大な意味を持ちます」
「……その権利を、渡そうと言うのですか」
静かに問うと、侯爵は少し疲れたような顔で呟く。
「娘の癇癪がひどいのです。『スエイル様と結婚できないなんて嫌っ!』と、屋敷中の者に当たり散らし、周囲にも多大な迷惑をかけておりまして……」
「……」
その話は、俺の耳にも届いていた。
俺と少しでも言葉を交わした令嬢達に、ひどい扱いをしていると。
「私達が悪いのです。無色に産まれた娘を憐れみ、必要以上に甘やかしてしまった……その結果、娘は自分の感情を抑えられず、周囲に迷惑ばかりかけるようになってしまったのです」
侯爵は目に溜まった涙を、いつの間にか取り出したハンカチでそっと拭う。
「これ以上迷惑をかけるようなら、家には置いておけません。ですが……それでも可愛い娘なのです。幸せになってほしい。特に妻は、そう願っておりまして」
――無色がこの世界でどれほど生きづらいか。
まして貴族令嬢として甘やかされて育った娘なら、家を追われた瞬間に、生きていく術など何一つ持たないだろう。
「俺は……貴方の娘を愛することはありませんよ」
「そ、それでも構いません!」
俺の言葉に、侯爵は水を得た魚のように顔を上げた。
侯爵令嬢ファルファナ。
我儘で傲慢。侯爵家という立場を笠に着て好き放題に振る舞い、努力を嫌い、何一つ成せない。「無色の無能」として帝都では知れ渡っていた。
だが、それでもいいと思った。
マギア塔の管理権。それは帝国の魔法を支える重要な権利であり、公爵家にとって計り知れない価値を持つ。
「分かりました。……その縁談、お受けします」
「ありがとうございます!」
侯爵は目を潤ませたまま、何度も何度も頭を下げた。
どうせ放っておけばいいと――そんな風に彼女との結婚を承諾し。この時の俺は――彼の涙を、一度も疑わなかった。
◇
旦那様も巻き込んでユラを治すアルケミアを作ったあとも、孤児院に顔を出したり、工房で作業したり。
私は変わらず、公爵夫人と平民の二重生活を送っていた。
そして今日は、アルケミアの素材採集の日。
「わぁ……! ここが《サンダラリア草原》ですね!」
目の前いっぱいに広がる草原に、思わず声が弾む。
どこまでも続く緑の絨毯。その上を風が駆け抜けるたび草の穂先がぱちぱちと淡い光を散らし、小さな雷が踊っているみたいに輝いていた。
「ファナ!」
切羽詰まった声が聞こえる。
「ヤト先生?」
振り返ると、ヤト先生が慌てた様子で私の腕をぎゅっと掴んだ。
「あまり離れるな!」
「どうしたんですか?」
「どうしたって……ここは魔物が出る場所なんだぞ」
何度も辺りを見回し、掴んだ手にも力が入る。先生の表情には隠しきれない緊張が浮かんでいた。
……そっか。先生は帝都での採取地が中心だったから、こういう危険な場所に来た経験がほとんどないんだよね。
「安心してください!」
ぐっと拳を握りしめ、胸を張る。
「魔物が出ても、私が殲滅いたします!」
びしっと宣言すると、先生は目をぱちぱちと瞬かせ、そのまま固まってしまった。……あれ? 安心してもらおうと思ったのに。
「それに、ヤト先生だって『戦える』じゃないですか」
そう言って先生の左耳を指さす。耳元で赤く輝く《めらりの耳飾り》。めらりの石をもとに作った、先生が初めて完成させた攻撃用アルケミア。
先生は耳飾りへそっと手を添えると、不安そうに視線を伏せた。
「つ、作ったことは作ったけど……実際に魔物を相手に戦うとなると……」
語尾はどんどん小さくなっていく。
もしかして……先生、緊張してるの? 私は「とりあえずやってみよう!」で飛び込むタイプだから、この感じがちょっと新鮮かも。
「大丈夫ですよ!」
安心してもらいたくて、にこっと笑う。
「だ――スエイル様に伺いましたけど、サンダラリア草原は夜のリッカ山ほど危険じゃないそうですよ」
先生はぴくりと肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。
「ファナ……あれからまたスエイル様に会ったのか?」
「そうですね。最近は顔を合わせる機会が多いと思います」
「……エルライン公爵様と、どこで?」
何気なく答えた私に、先生は少し強張った声を落とした。
――あ、やば。
「えーっと、夢の中でお会いしました」
「夢の中……って、それ……妄想ってこと?」
「はい!」
元気よく頷く。
素直に答えすぎちゃった。平民のはずの私が公爵様と普通に会っているみたいな言い方は、さすがにまずかったよね。
「……ファナ、何か隠してない?」
ヤト先生がじっと私を見つめる。
……あらら、全然信じてもらえてないよね。さて、どうやって話を逸らそうかなぁ――と頭をひねった。その時。
「おいっ、お前等! なんでここにいんだよ!?」
突然、怒鳴り声が草原に響き渡る。
振り向くと、少し離れた場所で数人のお兄さんがこちらを指差していた。あの人達……どこかで会ったような気がするけど。
「どちら様ですか?」
うーん……思い出せない。興味ないことって、記憶の本棚の奥にすぐしまわれちゃうんだよね。
「ふざけんなよ! 路地裏で何度も顔を合わせてるだろーが!」
「路地裏……?」
「喧嘩しただろ! 俺等のこと、ぼこぼこにしやがって!」
「……あっ!」
ぽんっと手を叩く。
「あの時のお兄さん達ですね!」
確か、無色だとちょっかいをかけてきた人達だ。すっかり忘れてた。




