十五話 子供達のお説教は魔法のようでした
しかし、喜びも束の間。
「ファナ。今回はスエイル様の協力もあってうまくいったけれど……くれぐれも無茶はしないように」
「……はーい」
孤児院を出たばかりの私は、ヤト先生に静かに注意を受けていた。偉大な魔法使いの旦那様と一緒なら、大丈夫だと思ってたのになぁ。
「あんなアルケミアを使えるなら、俺は必要なかったと思うがな」
隣を歩く旦那様が、何気ない調子で口を開く。その一言に、ヤト先生はぴたりと足を止めた。
「アルケミア……? まさか、他のアルケミアも開発してるのか!?」
「大したものじゃありませんよ! ちょっとしたお遊び用のアルケミアを、一つ二つ作ってみただけです!」
「そのお遊びでリッカ山の魔物を倒せるなら十分すぎるだろ」
えへん、と胸を張る私に、すかさず旦那様が呆れたように言い返してきた。
ふふ。遊び半分で作ったものだったけど、褒めてもらえるとやっぱり嬉しいなぁ。
「でも、スエイル様がいなかったら月露華は採れませんでした。本当に感謝しているんですよ」
残念ながら、私は空を飛べない。いつか空を飛べるアルケミアを作れたら楽しそうだけど……それはまた今度のお楽しみかな。
「魔物を倒せる……無色の君が?」
ヤト先生は息を呑み、信じられないものを見るように私を見つめていた。
無色では魔物に太刀打ちできない――それが、この世界の当たり前なのに。
ユラの病気を治したこと。旦那様が証言してくれたこと。それらが重なって否定することができないのか、戸惑ったまま立ち尽くしていた。
「調合の方法さえ分かればヤト先生にも作れますよ! 今度、一緒に採取に行きましょう!」
にこっと笑って先生の手を握る。
先生は目を丸くしたまま私の手を見つめ、それからゆっくりと肩の力を抜いた。
「……すごいな、ファナは」
ぽつりと漏れた一言には、さっきまでの戸惑いとは違う響きがある。
「僕は……どこかで無色というだけで、全てを諦めてしまっていた気がするよ」
先生は静かに目を伏せた。
その横顔には長い時間をかけて積み重ねてきた諦めが、薄く影のように残っている。
無色がこの世界で、どれだけ冷たい目にさらされてきたのか……私は知らない。気にしたこともない。たぶん――これからも気にしない。だって私、気にすることができないもん。
「ヤト先生は、とっても素敵です」
素直な気持ちを、そのまま言葉にする。
「だって私が、先生に教わりたいって思ったんですから!」
これは本心。初めて出会ったあの日から、ずっとそう思っていた。
先生はきょとんと目を瞬かせる。やがて照れくさそうに笑って、ふっと表情を和らげた。
「そっか。ファナがそう思ってくれるなら……僕も、もう少しだけ頑張ってみようかな」
その笑顔は、さっきまで横顔に残っていた影を少しだけ溶かしたように見えて。
「はい! 二人で頑張りましょうね!」
私まで嬉しくなって、笑ってしまった。
「さて、僕は工房に戻るけど……ファナは――」
「あ、私も――」
工房へ行きます! そう言いかけた、その時。ぐいっと、空いていた腕を不意に引かれる。
「わっ」
振り向くと、旦那様が私の腕を掴んでいて。
「『ファナ』は昨晩から休んでいないだろう。今日はもう休んだほうがいい。……俺が家までお送りしましょう」
その口元には、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。
「私は平気ですが」
「遠慮なさらず。それとも……昨晩からわざわざ君に付き合ってあげた俺の気遣いを、不要だと?」
笑っているのに、どこか逃げ場のない優しさ。
こんなに強引に私を連れて帰ろうとするなんて……これって、きっと――。
「そんなに気にかけてくださるなんて……私、幸せ者です!」
「……は?」
ぱぁっと胸の中が明るくなる。
悪妻の私なんて放っておいてもいいのに、昨晩の採取にも付き合ってくれて、今だって帰るように気遣ってくれる。
やっぱり旦那様は優しい!
「スエイル様のご厚意、遠慮なく甘えさせていただきますね!」
「……もう好きに解釈しろ」
そう言うと旦那様は私の肩をそっと抱き寄せ、ヤト先生に向き直った。
「では――ヤト、でしたか。ファナは今日は俺が連れて帰ります」
「……分かりました。ファナをよろしくお願いします」
先生はわずかに目を伏せ、丁寧に頷いた。
孤児院のある路地裏は細い道が入り組んでいて、馬車が入れないほど狭い。私達はその路地を抜け、公爵家の馬車へ乗り込んだ。
「堂々と浮気か?」
向かいの席に腰を下ろした旦那様が、足を組みながらじろりと私を見据える。浮気って……まさかヤト先生のこと?
「心外です、旦那様じゃあるまいし」
「俺はしていない!」
即座に返ってきた否定に、私は小さく首を傾げた。
今はそうでも、そのうちヒロインが現れたら好きになるんだけどなぁ。
「そもそも旦那様は、私がどこで誰と遊んでいようと興味がないのでは?」
小説のファルファナは、旦那様に振り向いてほしくて遊び歩いていた。
それでも旦那様は一度も引き留めず、誰と会おうが何をしようが無関心。私にも「興味はない」とはっきりおっしゃっていたはずなのに……どうして今日は浮気なんて言葉が出てきたんだろう?
旦那様はわずかに視線を逸らす。
「反省しただけだ」
「反省?」
「……」
短い沈黙が落ちた。馬車がごとりと揺れ、その音だけが静かな車内に響く。
やがて旦那様はゆっくりと顔を上げると、私を射抜くような、冷たいほどの眼差しを向けた。
「子供達の言う通り……俺は妻である君のことを驚くほど知らなかったらしい。だから――これからは徹底的に暴く」
低く静かに紡がれる声。
その視線は、まるで獲物を逃がさない捕食者のようで。
「逃げられると思うな」
その一言のあと、また沈黙。旦那様は腕を組んだまま、微動だにしない。
……えっと、つまり。それだけ私を知ろうとしてくださるってことだよね?
「すごい……まるで魔法みたい!」
「……は?」
「昨日まで興味がないっておっしゃっていたのに、私のことを知ろうとしてくださるなんて!」
思わず身を乗り出す。
「子供達のお説教って、本当にすごいんですね!」
「…………」
「今後困ったことがあったら、また子供達にお願いします!」
「君は、本当に何を言ってるんだ?」
旦那様は眉をひそめ、心底理解できないという顔で私を見つめていた。




