十四話 甘いココアは美味しいよ
コローレ孤児院・ユラの部屋
「はい、温かいココアにしてみたよ!」
「あ……ありがとう」
《ゆらゆらミルク》を溶かしたココアが入った二つのカップ。
そのうちの一つを手に取り、ふぅ、ふぅっと息を吹きかける。湯気がふわりと揺れ、甘いココアの香りが部屋いっぱいに広がった。
その様子を、院長先生もユラも固唾を呑んで見守っている。
「いただきまーす!」
私はにこっと笑うと、一口ごくり。温かな甘みが口いっぱいに広がり、ほっと肩の力が抜けた。
「うん! 甘くて美味しい!」
ココアの優しい甘さが《ゆらゆらミルク》とよく合っている。
「薬っぽい味は全然しないよ。体も変な感じしないし、これならユラも安心して飲めるよ!」
笑顔でカップを差し出すと、ユラはおずおずと受け取った。
「けほっ、ごほっ。……ファナさん、本当に大丈夫……?」
不安そうな声。
両手でカップを包んだまま、ユラはじっと湯気を見つめている。飲もうとしては止まり、小さく唇を結び直す。
そっか。いきなり「薬を混ぜたよ」なんて言われても不安になるよね。んー、どうしようかなぁ。
考え込んでいると、ヤト先生が静かに一歩前へ出た。ユラと目線が合うようにしゃがみ込み、優しく微笑む。
「大丈夫だよ、ユラ」
穏やかな声が、部屋に静かに響く。
「僕も最初から最後まで調合を見届けていたけど、危険な素材は一つも使われていないし、出来上がったアルケミアにも問題はない」
そこで一度言葉を切り、先生は私をちらりと見た。
「ファナは君のためだけに、この薬を作ったんだ。その想いだけは僕が保証するよ」
「……私の、ために」
ユラはカップを両手でぎゅっと握りしめ、小さく息を呑む。意を決したようにカップを口元へ運ぶと――ぐいっと一気に飲み干した。
「っ、お……美味しい」
「良かったぁ。薬って苦いのが多いから、少しでも飲みやすいように甘くしてみたんだ」
前世で私も散々飲んだからね。せっかく飲んでもらうなら、少しでも美味しく味わってほしいもん。
ぽぅっとユラの体が光に包まれる。優しくて神秘的な、まるで月の光みたいな淡い輝き。光が収まっていくと、ユラは自分の首元にそっと手を当てて、震える声を漏らした。
「……苦しくない」
「ああ、ユラ……!」
ベッドからそっと足を下ろし、ゆっくりと立ち上がる。その姿を見た院長先生は目に涙を浮かべ、堪えきれずユラを抱きしめた。
「本当にありがとう、二人とも」
ユラを抱きしめたまま、涙で濡れた目を私達へ向ける。
「ヤト先生が力を貸してくださったからこそ、こんなに素晴らしい薬ができたんですね。ファナちゃんも、一生懸命頑張ってくれてありがとう」
「いえ、僕は――」
「ユラが元気になってくれて、私もすっごく嬉しいです!」
ヤト先生が何か言いかけたけれど、私はその言葉を追い越すように、ぱっと笑顔を咲かせた。
「ユラ、治ったのーっ!?」
「やったぁ! また一緒に遊べるんだ!」
「ねぇねぇ、今日ね、おままごとセット新しいの作ったの! 一緒にやろー!」
今まで廊下で息を潜めていた子供達が、待ちきれなかったように部屋へ飛び込んでくる。小さな足音がぱたぱたと重なって、部屋いっぱいに弾んだ。
「うん……遊ぼう!」
ユラは驚いたように目を丸くしたあと、ふわりと笑う。
その温かな空気の中で、院長先生だけが何かを思い出したようにはっと息を呑んだ。
「……あ、あの、その……先ほどから、どうしても気になっていたのですが」
子供達の向こう――部屋の隅へ、おそるおそる視線を向ける。
そこには、最初からずっと静かに様子を見守っていた一人の男性が立っていた。
黒いローブをまとい、魔法使いを思わせる端正な姿。けれど、その衣服は見るからに上質で、この孤児院では場違いなほど浮いてる。
そう、旦那様です!
「こ、このような場所にお越しになるなど……ありえないとは思っているのですが……その……もしや、エルライン公爵スエイル様であらせられますか?」
妙な緊張感が広がっていく。
「……そうだ」
「う、嘘だろ……!?」
旦那様が静かに頷いた瞬間、院長先生とヤト先生の顔は、傍目にも分かるほど真っ青になった。
院長先生は慌てて深々と頭を下げる。
「スエイル様には日頃より孤児院の運営にご支援を賜り……本当に、心より感謝しております!」
「わぁ……だ――『スエイル様』って、本当に優しい方なんですね! 孤児院の支援までしてくださるなんて!」
その場の空気を読まず、両手を合わせて、ぱぁっと歓喜の声を上げた。
「ファ、ファナ。君が言っていた優秀な魔法使い様って……」
「はい、スエイル様です!」
ヤト先生の質問に、元気いっぱいに答える。
「たまたまお見かけしたのでお声をかけたら、来てくださったんです! すっごく優しいですよね!」
「公爵様を、そんな軽いノリで……!」
半ば悲鳴のような声を上げ、先生はがくりと肩を落として頭を抱えた。大丈夫かな? 急に頭痛でもしちゃったのかな?
「……君は、自分が公爵夫人であることを隠しているのか」
旦那様が、周囲には聞こえないほど小さな声で尋ねる。
「はい。だから、ここでは『ファナ』って呼んでください!」
私はこくんと頷いて、にこっと笑った。
それで納得したのかどうかは分からないけど、旦那様は小さく息をつき、何も言わずに視線を逸らした。
「……ところで、この孤児院の運営はどうなってるんだ?」
低く鋭い問いに、院長先生がびくりと肩を震わせる。
「そ、その……どうにもまとまった資金が入らず……子供達の生活も、やりくりで精一杯でして……」
「資金だと?」
旦那様は眉間に深い皺を刻み、口元へ手を添えたまま思案するように沈黙した。
……どうしたんだろう。何か、気になることでもあるのかな。
「ファナお姉ちゃん、スエイル様と知り合いなの? すごーい!」
重苦しい空気など気にも留めないように、子供達がぱたぱたと私達のもとへ駆け寄る。
「公爵様と仲良しだなんて、いいなぁ!」
「じゃあさ! ファナのひどい旦那様のこと、スエイル様に相談してみたらどうかな!」
――おっと? 嫌な予感。
「いえいえ、スエイル様にご相談をするほどのことでは……」
「そのひどい旦那様とは、どういう意味だ?」
私の言葉を遮るように問いかける旦那様。表情こそ変わらないのに、声色にはどこか見えない圧を感じた。
「なんかね、ファナの旦那様って、ファナと愛のない結婚してるんだって! 興味ゼロ! とか、ひどいこと言うらしいよ!」
「それでね、将来的には別の女の人を好きになって、ファナをぽいって捨てちゃうんだって!」
「そういうのって、不倫って言うんでしょ? だめだよね、そういうの!」
子供達は次から次へと話し始める。
そういえば旦那様とのことを聞かれた時、私、包み隠さず話しちゃってたんだったっけ。
「……ほう」
旦那様はどこか鋭い視線を私に向けてくる。その気配に、私は思わず視線を逸らした。
「ファナさん……は」
それまで黙っていたユラが、おずおずと口を開く。
「病気の私を、ずっと励ましてくれました。無色で……親にも捨てられた私を」
弱々しい声。
小さな手を胸の前でぎゅっと握りしめ、まっすぐに旦那様を見つめた。
「優しくて……明るくて、大好きなお姉ちゃんなんです。だから……スエイル様。そのひどい旦那様から、ファナお姉ちゃんを救ってあげてください……!」
「……ユラ」
そんなふうに思ってくれるなんて、本当に嬉しい。
嬉しいんだけど――そのひどい旦那様って、今まさに隣で静かに怒ってるこの人のことなんだよねぇ……!
「……そうだな」
旦那様が薄く笑った。それは優しい笑みじゃなくて、どこか意味ありげに。
「夫婦として、興味ゼロはよくないのかもしれないな。妻のことをよく知るように……これからは、きちんと努力させよう」
「え?」
思わず目をぱちぱちさせる。
旦那様、急にどうしたんだろう。子供達にあんなふうに言われて、少し考え直したのかな? うんうん、それならいいことだよね!
だけど……私達、離婚する予定なのに?
「ねぇ、もう遊んできていい?」
「ユラ、行こう!」
「……うん!」
ユラの手を取って、子供達がぱたぱたと部屋を飛び出していく。
色々あったけれど――ユラが元気になってくれたんだもん。今日はもう、それだけで十分すぎるくらい嬉しい。うん、アルケミア大成功!




