十二話 満月のリッカ山は素材の宝庫でした!
リッカ山は、帝都から馬車でほんの数十分走った先にある山だ。
日中は散策や採集に訪れる人も多く、普段使いされている場所なんだけど、夜になると霧が濃く立ちこめ、魔物が狂暴化する……らしい。
「わぁ、凄いです旦那様!」
目の前で旦那様が剣を振るうたび魔力がきらりと走り、魔物が光に弾かれたみたいに倒れていく。
足元には、さっきまでこちらへ襲いかかってきた魔物達がごろごろと転がっていて――私は両手を合わせて称賛の声を上げた。
「……まさか、こんな場所に連れてこられるとはな」
旦那様の目が、じわりと細くなる。けれど私はその視線を軽く受け流し、転がった魔物のほうへと近づいた。
ぷにぷにとしたスライムみたいな魔物。
しゃがみこんでそっと指先で触れてみると、ひんやりしていて、思った以上に柔らかい。
「これ調合したら、どんなアルケミアになるんだろ!」
目をきらきらさせながら声が弾む。
この世界では魔物も当然のように「素材」として扱われていて、食材になったり薬の触媒になったり、時には宝石みたいに加工されることもある。
そしてもちろん――錬金術の素材にも。
「こっちもあっちも素材の宝庫です!」
うきうき、わくわくのまま、素材をぽいぽいっと籠の中へ入れていく。
そんな私の背中を旦那様は少し離れたところから、どこか冷ややかな目で見つめていた。
「何の遊びのつもりで、俺をここに連れてきた?」
「先生に『危ない場所は絶対に駄目』って言われちゃったんです。でも、旦那様は帝国一の魔法使いですよね? 旦那様と一緒なら安心だと思って!」
小説の紹介文でも、確かそう書かれていたはず。
「先生だと……?」
旦那様は眉間に皺を寄せ、怪訝な表情を浮かべる。
「錬金術師の真似事をまだ続けてるのか」
「はい!」
迷うことなく頷く。
確かに私は、まだヤト先生に弟子としてすら認めてもらえていない。そんな私が、錬金術師を名乗るわけにはいかないもんね。
「今はまだ真似事ですけど、いつか本物の錬金術師になります! その時までには、旦那様との離婚もちゃんと叶えてみせますからね!」
ぐっと拳を握りしめ、決意を込める。
「……」
旦那様はそれ以上何も言わず、静かに黙り込んだ。
あれ、怒らせちゃったかな? ――そう思ったけど、旦那様は襲いかかってくる魔物を淡々と倒していく。冷たそうに見えても、やっぱり優しい!
その背中を追いかけながら歩いていると、不意に霧が晴れた。
「わあ……!」
思わず声が漏れる。
目の前には切り立った崖が広がり、その向こうには満月に照らされた山々がどこまでも連なっていた。白い霧がゆっくりと谷を流れ、まるで月明かりの海みたいにきらきら輝いている。
「すごい……! 落ちたら大変そうですけど、景色はすっごく綺麗ですね!」
もっとよく見たくて、私は無意識に崖のほうへ身を乗り出した。
「ファルファナ」
ぐいっと腕を掴まれ、そのまま強く引き寄せられる。
「身を乗り出すな。魔法が使えない君は……落ちれば今度こそ本当に死ぬぞ」
耳元で響いた声に、ぞくりと背筋が凍った。
な、何も考えてなかった。二階のテラスから落ちた時とは違う。本当に死ぬ場所なんだと痛感する。改めて崖の下を覗き込むと、白い霧がゆっくりと流れ、月の光がその奥を淡く照らしていた。
「……あ」
その時、霧の切れ間で、きらりと何かが光った。
「あれは――《月露華》!」
さっき言われた忠告も忘れて、旦那様の腕の中で身を乗り出す。
「こんなところに……満月の夜じゃないと見られないはずなのに!」
だって、あれは図鑑で見たことがある。
薬の核にもなると言われる、満月の夜にしか採れない貴重な素材。思い出したようにばっと空を見上げると、まん丸のお月様が雲間から顔を出していて。
「旦那様! 今日は満月の夜でした!」
「耳元で騒ぐな!」
嬉しくなって振り返ると、旦那様は眉間に深い皺を寄せた。
「私、ちょっと採取してきますね」
「馬鹿……っ! ちょっと待て!」
籠をそっと地面へ下ろし、そのまま迷わず崖へ足をかける。旦那様の声には、さっきよりもずっと強い焦りが滲んでいた。
「死にたいのか!?」
「まったく死にたくありません。でも必要なんです」
――ユラの病気を治すアルケミアを作るためにも。
私の目を見つめた旦那様は、私が本気だと悟ったのだろう。ぎゅっと奥歯を噛み締めると、観念したように深いため息を吐いた。
「もういい。俺が行くから、大人しくしていろ」
魔法を使い、ふわりと宙に浮く。空まで飛べるなんて、本当に魔法って便利だなぁ。
「少しでも危険を感じたら叫べ。分かったな」
「はい! ありがとうございます、旦那様!」
私を真っすぐ指さすその顔は、いつもよりずっと真剣だった。そのまま霧の流れる崖下へ降りていく背中を見送り、小さく手を振る。
……すると。
しん、と夜が静まり返った。
「邪魔、しないでほしいなぁ」
ぽつりと呟いた直後、霧の奥がゆらりと揺れる。
一つ、二つ……影が滲み出るように現れ、あっという間に私を取り囲んだ。
『グルルルル』
喉の奥で響くその音は、明らかな殺意を含んでいて。
鋭い牙を剥き出しにした狼の魔物達が、じり、じり、と距離を詰めてくる。
旦那様がいなくなった途端に寄ってきたということは、私一人なら簡単に食べられると思ったのかな。
「私を美味しく食べようとしてるの?」
首を傾げて尋ねると、狼達の目がぎらりと光った。
無色の私は、彼等にとって格好の餌食なんだろうけど……だからって、黙って食べられるつもりはない。
「ごめんね? 私、売られた喧嘩は買う主義だから」
――前世、面倒見のいい兄がよく言ってた。「自分から喧嘩は売るな。でも売られた喧嘩は買え」って。きっと、こういうことだよね!
「代わりに素材になってもらうね!」
そっとポーチから赤い耳飾りを取り出す。
夜の闇でもきらりと光を放つそれには、確かな魔力が宿っていた。
人差し指で、ぴんっと軽く弾く。瞬間――赤い光が花火のように弾け、炎が輪を描くように周囲へ舞い散った。
「《めらりの耳飾り》」
放たれた炎が先頭の狼へ真っすぐ飛び込み、その身体を燃え上がらせる。
『ギャウッ!?』
仲間の悲鳴に、他の狼達が一斉に飛び退いた。
「わぁ、成功! ちゃんと狙ったところに飛んだ!」
嬉しくなって耳飾りを見つめる。
《めらりの耳飾り》は《めらめらの石》をさらに強化して調整した、私が作った正真正銘のアルケミアだ。威力が少し強過ぎる気はするけど、狙った方向へは飛ばせる。一度使ったくらいじゃ壊れないし、素材採取のお供にはぴったりだ。
……本当は調合用の火を出すアルケミアを作る予定だったんだけど。
「うん! これはこれで大成功かも!」
耳飾りをそっと耳につける。
じんわりと熱が肌を撫で、耳元で魔力が鼓動のように、とくん、とくん、と脈打った。
「さて、魔物さん達。もうちょっと遊ぶ? 遊ばない?」
にこっと笑って狼達を見据えた、その時。
「――なんだ、これは」
背後から低い声が落ちてくる。
「あ、旦那様」
振り返ると、旦那様が月露華を抱えたまま立ち尽くしていた。
視線は私ではなく、燃え跡の残る地面へ釘付けになっている。それからゆっくりと狼の亡骸、私の耳飾り、そして私の顔へと移り――ぴたりと止まった。
「お帰りなさいませ。無事に月露華を採ってきてくださったんですね!」
「……魔物を、燃やしている……だと?」
嬉しく声を弾ませる私とは対照的に、旦那様はまるで私の声が耳に届いていないかのようだった。
「これは……君の仕業なのか!?」
「そうですよ。私が作ったアルケミア、《めらりの耳飾り》で退治いたしました!」
胸を張り、つけたばかりの耳飾りを揺らして見せる。
旦那様が戻ってきたからか、魔物達はすっかり逃げ去り、残っているのは黒く焦げた地面と、夜風に流れる細い煙だけ。
「これが……アルケミア? 馬鹿な……っ!」
掠れた声には、驚きと困惑が滲んでいた。
「こんな……こんな威力を持つアルケミアなど聞いたことがない! まして魔物を倒すなど、あり得るはずがない!」
「すごいですよね! 私も初めて使ったので成功するか少しだけ心配だったのですが、思った以上にうまくいきました!」
えへへ、と笑うと、旦那様は言葉を失ったまま私を見つめた。
「本当に……君が作ったというのか……? 傲慢で我儘で、努力という言葉と最も縁遠い君が!」
――うん。大変失礼だけど、昔のファルファナだったら、そう思われても仕方ないよね。
「旦那様? 遠い目をされていますが大丈夫ですか?」
首をこてんと傾げて顔を覗き込む。
旦那様ははっと我に返ると、小さく息を吐き、腕に抱えていた月露華を私へ差し出した。
「ありがとうございます!」
両手で大切に受け取る。
月の光を浴び、白い魔力を放つ月露華。百合の花のように透き通った華弁が夜気の中で静かに揺れ、淡い光の粒がこぼれ落ちた。
「これで、ユラのためにアルケミアを作れます」
ぎゅっと月露華を抱きしめる。
――前世の私と重なる、あの病弱な女の子のために。待っててね、ユラ!




